Art, Bonne journée, Cross Cultural

柿の実


 柿の実がボツリと落ちた。テカテカと光アスファルトに咽せたように、その小さな独り言が溶け落ちた。夏空の隅々まで覆い尽くす蝉がいっそう大きく騒いでいた盛夏の午後。
 足元に打ち付けられた緑色の柿の実は転がることもなく、焼けるような日差しには似つかわしくない瑞々しい内臓を曝け出して無言のままそこにいた。日差しはますます休む事なくアスファルトを照らし、何も覆うもののない首筋に突き刺さった。重く澱んだ盛夏の午後。
 踏みつけた小さな何かが薄茶色のため息を吐いても、それに気付かなかったふりをして引き攣った次の足を前に押し出す。そこに入れた事すらも忘れていたスマートフォンのバイブレーションが、汗が染み込んだ右の背中を振るわせ、半分開いた唇の渇きが、左の首筋を押さえつける。もうひとつ、青い柿の実が落ちた。

 本当に「記録的」な暑さだなと思っていたら、7月の記録としては更新していて、年間の記録更新も間違いないとのこと。本当に涼しい日は来るのだろうか。熱中症で倒れた経験から言うと、水分は「喉が渇く前に飲む」が原則。自分で気付かないうちに急に倒れます。お気をつけ下さい。

Bonne journée, Cross Cultural

Hot!

English texts at bottom.

「日本ってこんなに暑かったっけな。」
なんて繰り返し言うほど暑い夏が続いている。「今日は31度までしか気温が上がらなくて、涼しいね。」と言う会話がおかしいだろうと冷静な頭で考えるのだが、考えたところでどうしようもない。朝の混雑した電車に揺られる通勤客は、冷房が入っているというのに誰もがハンカチで汗を拭き、あれほど固執していたマスクを外して悪態をついている。
「今年は異常だよね。去年はこんなに暑くなかったじゃない。」
なんて話しかければ、同僚はウンザリした目つきで冷たく言い放つ。
「おまえ、日本に戻って来たのは去年の7月じゃん。去年は6月が夏みたいに暑くて、7月になったら雨ばっかりだったんだよ。8月もあまり晴れなかったから、そっちがおかしいの。」
まるで自分が変であるかのように言われて、なんだか腑に落ちない。

パルテノン神殿が気温40度超えで閉鎖されたとか、従業員がストライキをしているとか伝えるニュースも、ふーんというだけで、どこがニュースのポイントなんだか分からない。東京ディズニーリゾートでショーがキャンセルになったというのと同じこと。

夕方の天気予報で
「今日は各地で35度を超え、暑い日となりました。明日はさらに気温が上がることが予想されます。熱中症にご注意ください。」
なんて訴えかけるように伝えるスーツにネクタイ姿の気象予報士は、どことなく違う世界に住んでいるようだ。

今日は梅雨明け。明日からが夏本番。多分。

“Is it really that hot in Japan?”
It’s been a hot summer to say the least. It might be strange to say, “It’s only 31 degrees centigrade today, isn’t it cool?” Commuters swaying on the crowded train in the morning, even though the air conditioning was on, everyone wiped their sweat with handkerchiefs, took off their masks that they stick to wear, and cursed.
“This year is abnormal. It wasn’t this hot last year.”
When I talked to my my colleague like that, he will say it coldly with a disgusted look.
“You came back to Japan in July last year. Last year, June was hot like summer, and in July it was all rain. Same in August. That was weird.”
Somehow I felt strange when I’m told as if I’m weird.
Anyway, a hot summer has just started.

Cross Cultural

one year


(日本語は下に)

Around one year has passed after having moved back to Yokohama from heart-warming and beautiful Brittany. A lot of unexpected things happened and eventually I have found calmness called daily life. 

Before, I was believing that goodness and badness were relative feelings. When I was facing difficulties, I thought it may have a good aspect. Probably it is true. However I learnt. What I am seeing is from what I experienced. I cannot see what I haven’t experienced. Everyone needs to do it again and again before learning anything. When I say it’s relatively bad or something, probably I should add ‘compared with experience’ in my mind. When I think Japan is easy or hard to live in, I might be seeing just a small face of it based on my experience. In other words, it is always not true that Japan is better or worse than France. You may think it is ambivalent but consistent for me. After having learnt that, both two countries have become fantastic place for me. 

ブルターニュからふたたび横浜に移動して1年ほどになる。色々あったがようやく「日常生活」と言う平穏な日々を過ごせるようになった。

以前は良いとか悪いとかは相対的な事で、良くない事があればきっと良い側面があるのだと思っていたが、自分が経験したことでひとは善し悪しを判断するものだと思いあたった。辛い事があれば、あるいは良い事があれば、それはそれまで経験してきた事の中で善し悪しを感じているのだ。だから相対的だと感じているのも自分が見ている世界の話であって、他の人が同じように感じているとは限らない。日本のほうがフランスより良いとか、日本はフランスに比べてここが良くないとか、そんな事はきっと相対的という以前に個人の経験によるものなのだ。二律背反的な曖昧さに見えるが自分の中では一貫している。そう思うようになってから、両国は共に魅力的な場所となった。

Bonne journée, Cross Cultural

Yokohama

(日本語は下に)

The usual Yokohama is finally back. Some people say that after three strange years of hard days, life has returned to normal, but I may have forgotten what it was like at that time.
Three years ago, I was in Europe watching a TV news report about a large number of infected people on a large cruise ship from Hong Kong. The ship had dropped into the port of Yokohama to receive medical assistance but, for me, it didn’t sound real thing.
Then, two weeks ago, 6 large ships entered Yokohama Port at the same day and many tourists were enjoying their vacation. The usual Yokohama is finally back.

やっといつもの横浜が戻ってきた。 3年続いた奇妙な日々の後で、普通の生活が戻ってきたという人もいるが、私には以前の様子を忘れてしまっているような気がしている。
3年前ヨーロッパにいて、香港からの大型クルーズ船で多数の感染者が出たというテレビニュースを見ていたが、それは現実のものとは思えなかった。
2週間前、同日に大型客船6隻が横浜港に入港した。 ようやくいつもの横浜が戻ってた。

Cross Cultural

Pâque

15年ほど一緒に仕事をして来たフランスの知人によれば、多くのフランス人はもはやキリスト教など信じていないという事になる。ムスリムが増えたとかそういった事ではない。依然としてキリスト教徒が9割の国である。日曜礼拝どころか毎日カランカランと教会の鐘の音が響き渡る。それなのに、礼拝など行ったことがないのだそうだ。洗礼を受けただろうなんて言ってみようかとも思ったが、日本でも子供が生まれたらお宮参りしたりするが、毎日神社にお参りする人は多くないなと思い返した。その知人によれば、欧州の多くの国と同様、宗教はもはや習慣の類であって、真剣に神の存在を信じている訳ではないのだ。

それでも仕事で関連していたブルターニュはカトリックの強い地域である。日曜となれば教会にそこそこ人も集まる。あの教科書で習う宗教の自由を保証したナントの勅令は、プロテスタントを認める王令であってブルターニュとも関係が深いし、フランスの中では特に日曜日をお休みとするお店が多い地域でもある。小さな村であっても欠かさず毎日教会の鐘の音が響きわたる。それこそ1時間毎に。

そんなブルターニュでも、というよりキリスト教の根強いフランスであっても、この時期は鐘の音を聞かなくなる日が訪れる。復活祭(イースター)である。復活祭の前の木曜日の夜から教会の鐘は鳴らなくなる。鳴らしてはいけないとか、準備で忙しいとか、そんな理由ではない。そもそも鐘はそこにないのだ。いや、尖塔を見上げたらちゃんと鐘があったとか、そんなのは形だけだとか、今どき鐘はタイマーで鳴らしてるとか、そんな事は言ってはいけない。鐘はそこにない事になっている。鐘は皆、キリストの死を悼んでローマ方面に旅立ったのだ。鐘を鳴らす人ではない。鐘自体が旅立ってしまうのだ。

どんなふうにローマに飛んで行ったのかはよく分からない。羽が生えて飛んで行ったらしいが見た人はいない。バチカンでは教皇に祝福を受け、復活祭の日曜日に戻ってくる。そうでなければ困るのだ。何故なら、バチカンのお土産はチョコレートなのだから。祝福を受けた教会のそれぞれの鐘は、復活祭の日曜の朝、イタリア土産のチョコレートを持って復活を知らせにそれぞれの町に戻ってくる。戻ってくる途中でチョコレートはバラバラと落ちてしまうのだが、良い子たちは木々の間や茂みの中にそれを見つけ、復活祭の楽しいひと時を過ごすわけだ。無論、良い子でなければ見つからない。アメリカあたりだとチョコレートはイースターバニーが運んでくるらしいが、フランスはバチカンを訪問した教会の鐘たちのお土産というわけだ。そんなわけで、熱心なキリスト教徒にとってはもちろんクリスマスより重要な復活祭だが、子供達にとってもようやく春になって暖かくなったひとときを楽しく過ごす一年で一番重要なイベントでもある。もはやキリスト教を信奉していないなどと言いながらもすっかり生活に宗教が根付いているわけで、人の営みとはそういうものなのかなと思う。

そう言えば、日本にだって似たようなものがある。すっかり名前だけになってしまったが、10月を神無月というのは八百万の神々がみな出雲に行ってしまっているから神様の無い月なわけで、どこか似ているでは無いか。チョコレートこそお土産にもらえないが、ぜんざいは出雲発祥とのこと。神様の帰りを待ってもきっとお土産はないが、そこはそれ、今どきオンラインで買えば良いのだ。いや、10月まで待ってられないなら東京ディズニーリゾートでイースターを楽しめば、と思ったら、今年は40周年でイースターイベントはないそうな。まぁ、なんでもお遊びにしないほうが良いとは思うのだが。

ところで、昨年の復活祭(フランスではパクと言う)でふと疑問が湧いたことがある。いや待てよ、今年の復活祭はまだ金曜の夜だというのに教会の鐘がだいぶうるさいなと。気温が上がったので空気の入れ替えにと窓を開けたら、近所の教会の鐘の音が風に乗ってガンガン響いてくるのだった。そう言えば以前もなってたような。真相はわからないが、結局のところタイマーで自動で動いている教会の鐘は、復活祭の前であってもなり続けていたようだ。

まぁ、そんなものである。

今年の復活祭は、2023年4月9日。今年はフランスにいる予定はない上に、プロジェクトも区切りを迎えてここしばらくはフランス人と話す予定もないから様子もわからない。すっかりコロナの影響も無くなって、きっといつもの復活祭が戻って来たのだろうと想像している。