Bonne journée, Photo

Macro Monday: little tiny flowers (l.t.f.)

201605-111Taking pictures of little tiny flowers is a pleasure of early summer as Claude Monet said;
ちっちゃな愛らしい花の写真を撮るのは初夏の楽しみである。クロードモネが言ったように

I must have flowers, always, and always.
花がなければならないのだ、いつも、いつも

This week I plan to post series of flower pictures ‘l.t.f.’
今週は「l.t.f.」と名付けた一連のポストを計画している。

A Part of Macro Monday

 

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Capturing in prose

201604-411English text at bottom.

元来、写真とは散文的なものである。見たものを淡々と記録することで事実を伝え感情を排す。四角い平面の中央に家族がすっと立ち、背景には青空と輝く観光地の風景が写しこまれる。時には意図せず写しこまれた文字に、その時々の時代が切り取られることすらある。それが写真である。そうやって記録された事実は、間も無く感情へと昇華を始める。撮影した意図も感じた空気も何もかもがその場を離れ、事実とも分離した「感情」が醸成される。感じるのは写しこまれた瞬間ではない。写されたそれを見る瞬間である。だから、写真とは元来散文的なものだと思うのである。

だが散文は写真的にはなり難い。余程注意深く書き込まなければ、そこに思いがけず写しこまれた事実はない。だから不意な発見があればついていたというべきである。もちろん繰り返し読むうちに、思わぬ作家の意図を見出して歓喜することもある。手練れた作家の仕掛けには少なからず驚きすら感じるものである。そうやって作家の仕組んだ世界に身を委ねる時、散文は怜悧で機械的な光の定着とはほど遠いものとなる。

古ぼけた実験室の片隅で結晶の構造を分析しながら、一方で物書きになりたいとも思ってひたすら文章を書きなぐっていた頃、写真はどうにも思い通りにならない道具のひとつであった。ロトリングのペンで描くメモよりはずっとマシだったが、撮った写真はロトリングのメモ以下の記録でしかないこともしばしばだった。そのもどかしさからか、今、散文のように写真を撮り、写真のように文章を書きたいと感じている。”capturing in prose” とした副題の意味は、実は案外根が深い影を抱えている。

When I started this blog, I added a text in French “C’est important de le savoir”(it’s important to know) on the header banner because I always felt something strange in my daily life as a result of cross cultural job and I believe the main topics should be a question how to know a alternative manners of foreign cultures. At first most of posts were written in Japanese and I thought common Japanese believed the foreign language was English. That’s why I started with French text.

After spending a decade with cross cultural nightmare and joyful accidents, I suppose it’s time to step out to the next one. That is “Capturing in Prose”, which I would like to do when I express something with text and photos – taking a picture like prose, writing a text like a picture.

201604-412

 

Bonne journée, Photo, photo challenge

Monochrome Monday: Future

201604-221From lipsticks to locomotives, Raymond Loewy might be one of the origins of retro-future design. Of course, he must not have agreed with me if he could read this post. However, I think, his design has been and will be somehow contemporary.

口紅から蒸気機関車まで、レイモンド・ローウィレトロフューチャの原点の一人だろう。もちろん、このポストを読んだら違うと言ったに違いない。だが、思うのである。そのデザインは、これまでもこれからも、どこか現代的であると。

Also my second contribution to the weekly photo challenge: Future

Art, Bonne journée

ART: 佐藤雅晴―東京尾行

201604-211確かに家を出た時には理解していたはずの行き先は、時が過ぎるとともに曖昧になって行く。やがてどこに向かっているのかも考えなくなってしまった人々は、うつむきながらゆらゆらと前に進み、コートの襟は肩にかけられたバッグの重みに歪む。朧げな両目の先に白く光を放つ小さな聖書を抱え、誰もがその曖昧な行き先に引き寄せられる。発車ベルとモーター音と靴音とコンクリートに反射する声とコンプレッサーの共鳴音とが混じり合った静寂。朝の駅から吐き出された無口な人々は、雑踏の静寂に身をゆだね、否応なしにその1日を始めるのだ。 Continue reading “ART: 佐藤雅晴―東京尾行”