Cross Cultural

本屋の店頭とゴミ箱

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本屋さんの店頭ディスプレイ。JaponとTokyoの文字が見える。Instanbulは世界中の憧れかも。

(The article was written only in Japanese) 店先のディスプレイや通りの様子を見ていると、その街の個性や住む人の意識がぼんやりと分かってくる。それは、旅行者が、例えばその地域固有の古い建物に目をやり、その歴史に思いを馳せることとは少し違う。むしろ、生活空間の空気を感じる事であり、今そのものに微かに触れることである。東京に残された日本庭園や神社仏閣を訪ねつつの街歩きの途中で、ヨーロッパからの旅行者が、ふと見つけた小さな道祖神や語りかけてくる自動販売機に興味を持つ。日本からの旅行者が、初めてのパリの早朝の街角で、都会に響く教会の鐘の音や通勤通学の前の道路清掃を新鮮な驚きとして感じる。そうやって、少しづつその街やそこに住む人々が見えてくるのだろう。

日本に住んでいて当たり前と思っていたが、そもそも東京の密集した住居自体が驚きなのだそうだ。高いビルから遠くまで広がった住宅街を見た知人は、すぐさま写真を撮りたいと興奮気味であった。そんな時、どこが面白いんだと聞いてはいけないのだろう。私のように、何回か行っているフランスの街で、カフェの前に停められた普通のイタリア車の写真を撮ったり、普通の川にかかった普通の橋に興味を持ったりするような輩からは聞かれたくないに違いない。

そのような意味では、本屋の店頭は案外面白い。その国の今がわかるとまでは言わないが、空気のようなものを感じることがある。例えば目立つように置かれた旅行ガイドからは、人気の旅行先が見えてくる。児童書を見ると、案外定番の有名作品は同じなんだなと発見がある。そうやって感じるのは、フランスの相変わらずの日本びいきである。正確に言えば、フランス人の多くが日本を好奇心をもって見ているわけではない。ましてや日本好きが必ずしも多いわけではない。それでもなお、本屋の店頭には日本に関する本が並んでいる。今、社会を支えている若い層が、日本製のアニメを見て育ったからという話もあるが、定かではない。19世紀後半にあったジャポニズムを考えれば、今に限った話でもない。ただ、少なくとも本屋の店頭を見れば、日本に関する関心が高いということは想像できる。良かれ悪しかれ関心をもってもらうことは重要で、互いに関心があるからこそ交流も生まれるというものである。

20131026-002街角のゴミ箱ですらその街を想像する材料となる。20年近くも前になるあの事件以来、日本では街角でゴミ箱を見ることが少なくなった。それが、フランスの街角には多く残っている。日本と同じように分別が進んでいるのは同じだが、どことなくオシャレに堂々とあるところが大きな違いだろうか。「日本の街はきれいだよね」とフランスからの知人が言うくらいにフランスの街角にはゴミが多いが、それは何を基準に見るかということであって、そのまま受け取ってはいけない。フランスではプラスチックバッグが鳥と一緒に空を舞っていることもなければ、ペットボトルが車と競争していることもない。そして、汚れていそうなゴミ箱の周りも案外きれいである。朝一番に道路の清掃が行われたりもする。ようは、そこに何を見るかだろう 。

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ゴミ収集車の横には、食料の廃棄を止めよう!のスローガンが。2人は「冷蔵庫が空っぽよ。」「でも、ゴミ箱ならいっぱいさ。」と話している。

そうやって考え出すと、つまらない物にも興味が向くことになる。洗濯物はどこに干すのか、それともドライヤーで乾かすのが普通なのか、あの汚れた車はいつどこで洗っているのか、普段の買い物はどこでするのか。残念ながら、観光旅行で郊外の大型スーパーを訪ねるなどということはあまりないだろうが、実は案外面白い。広さに任せて卓球台が延々と置かれていたりするのを見て、買ったらどこに置くのかなと思ったり、馬具が並んでいるのに驚いたり、日本とは違う様子に興味は尽きない。ヨーロッパからの旅行者が、キラキラと夜も輝く自動販売機の列に思わずシャッターを切るのとも似ているだろうか。

まぁ、そんなわけで、いつも見慣れたゴミ収集車の写真を撮ってしまうわけである。変なやつとだけは思われたくないが。

Photo, photo panoramique

Photo panoramique: autumn roses

20131020-001秋の薔薇は春に比べると少しさびしいが、横浜イングリッシュガーデンには多くの薔薇が咲いている。先日の台風のせいか、多くの花が傷ついている。それでも十分である。この季節は、花が徐々に少なくなる季節なのだから。

Autumn roses looks quieter than spring but you would see so many roses at Yokohama English Garden. Many flower’s petal are scratched probably by typhoon having gone through close to Yokohama last week.

20131020-00420131020-00220131020-003間もなく、ハロウィン。イングリッシュガーデンではあるが、華やかに。

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Books

A Book: バルセローナにて

バルセローナにてそもそもヨーロッパ史は単純ではない。中高生に教えるいささか単純化された歴史は、それをよく知っている人にはよくまとまっていると思えても、恐らくは、学ぶ側から見れば単純化され過ぎて意味不明なところが多いだろうと思う。重要な事件は書かれても、その事件がおきた背景はひとことだったりする。曰く、「重税に不満をもった群衆が蜂起し王は幽閉された」の類である。そこには重税の背景も他国の侵攻も書かれない。10行前に隣国の貿易による台頭は経済状況として触れられているし、直接の原因ではないからだろう。残念なことに、多くの中高生にとっては、その事に気付くのはずっと後になってからだ。テレビのクイズ番組で見たとか、旅行の予定があるので少し調べたとか、何かのきっかけで興味をもったことで歴史の意外な背景を知るといった類である。

ヨーロッパ史にはなかなか理解が難しい部分がいくつもあるが、広範囲におよぶローマ史などよりも、スペイン史やハプスブルク家にまつわる歴史のほうが、ずっと難解だと感じている。例えば、必ず教科書に出てくる神聖ローマ帝国皇帝カール5世(Karl V.)がカスティーリャ女王フアナの子であったり、スペイン史にイスラム文化やケルト文化が登場したりすると、地理的な知識と混じってわけがわからなくなるのもうなずける。スペイン史と「幸いなるオーストリアよ、何時は結婚せよ。」は、そう簡単には結びつかない。

その上、観光ガイドはこう告げる。「スペインはスイスならぶ山岳国家である」と。まぁ、確かにそうだろうなと思わないこともない。フランス国境に横たわり、スペインをむしろアフリカと結びつけたがるピレネー山脈は、雪を頂く厳しい環境である。時にツール・ド・フランスの山場のひとつとなる。実家がピレネー近くという知人が言うには、谷間の村がとても綺麗でバカンスを過ごすには良いところだそうだ。

そんな背景を知って最初の「アンドリン村にて」を読み始めると、その厳しい自然描写とお節介だったり一風変わっていたりする人々の様子とが、鮮やかにイメージされてくる。雨と霧が覆う山岳地域は夏でも急激に気温が下がり、一方でアンダルシアでは40度の熱風が大地を覆う。思いのほか多民族であるスペインの小さな村は、美しくも微かな影を抱く。そこに住んでみたいという堀田善衛の想いは、読者をも同じ気持ちへと誘う鮮やかさである。

そうして作家に誘われ、小さな村のささやかなスペイン滞在を楽しみながら、読者はそこに暮らす人々と交流し、時に戦争の惨禍を思い描き、時間をも超えて行く。次の街はグラナダである。いや、正しくはグラナダなどではない。もっと大きな光と影と言うべきである。そう気がついた時、読者は完全に堀田善衛の見る世界の中にいる。

これ以上はここに記載すべきではない。もし、まだ未読なら自分で読んで感じなければならない。そうしなければ、この作品の魅力は恐らくわからない。文庫化されているから少しでも興味があれば読まれたい。コーヒー1杯の価格でできるスペインツアーは、普通のスペイン観光よりは、少々影が濃い。

 

最近読んだ本

バルセローナにて (集英社文庫)
堀田 善衞 著

Cross Cultural

Le pont et el puente y 橋

pont du gardThis article was written only in Japanese.

フランス南部にあるローマ時代の水道橋ポンデュガールpont du gard)はフランス南部を代表する橋のひとつである。もはや現役ではないが、2000年の時を隔ててそれはそこにあり続けている。人の住む気配もない渓谷を越えて、それは、かつて水を運び続けていた。そして今運んでいるのは、観光客とたゆまぬ時である。橋に向かって今は世界遺産として整備された観光客向けのゲートをくぐると、その先は渓流沿いの散歩道か公園といった景色となる。緩やかなカーブを曲がってふと現れるそれは、まさに巨大な石の建造物である。あまりに巨大で精密にできているため、200年前に作られたと言っても誰も疑わないだろう。だが、それでもその水道橋はローマの史跡としてそこにある。pont du gard

セーヌ川に架かるパリ最古の橋はポンヌフPont Neuf)である。17世紀初頭に竣工した情緒のあるその佇まいは、度々写真でも紹介され、パリ好きでなくとも何処かで見覚えがあるだろう。規則正しい石造りのアーチと橋桁ごとにある円柱を半分にしたような張り出しが、シテ島を挟んでセーヌ右岸と左岸をつなぎ、それは、400年にわたって歴史を見続けてきた。有名な橋には必ず事件やドラマがあるとでも言いたげなほど、その橋には歴史がある。

イタリアのフィレンツェにも有名な橋がある。アルノ川に架かるポンテヴェッキオ(Ponte Vecchio)は、あまりにも有名な橋であるがゆえに、すぐにはピンとこなくても写真を見れば誰でも「あぁ、あれか」となる。橋の上には宝飾店が立ち並び、橋を渡っているかどうかも一見分からない。こちらはフィレンツェで最も古い橋だそうである。

せっかくだから、スペインの世界遺産の橋にも触れておきたい。プエンテデビスカヤ(Puente de Vizcaya)はエッフェルの弟子が作った運搬橋である。橋には違いないが、普通の橋を想像すると大分違う。高い鉄の橋桁からワイヤーが下ろされ、運搬用のゴンドラを吊り下げている奇妙な形状なのだ。いろんな橋があるものだ。

フランス語やイタリア語が得意なわけでもないから、最近まで、こうした橋の名前は単に記号のようなものだった。フランスのかの世界遺産ポンデュガールはポンデュガールという名前でしかなかった。実はpontがフランス語で橋であることは知っていても、それは別なものだったのである。ラテン語系の言語でポンという発音が、あるいはpntで構成される言葉が橋であると頭が気付いた時、急にフランス語のpontとポンデュガールが繋がった。普段使わない言語とはそんなものだろうが、何か神経回路が再構成されたみたいで、奇妙な感覚である。

そうなると、つなぎ直された神経回路がささやき出す。ポンヌフは新橋だと(ヌフは新しいの意)。「巴里の中心を流れる川には大きな中洲があり、その中州に渡るなら新橋が良い。」などと書くと急に東京の話のように思えてくる。新橋という地名は日常ではそれ自体が記号みたいなものであって、新しい橋とは考えないだろうが、何処かで新しい橋という意味合いは感じている。フランスに住みフランス語を当たり前のように話す人にとっても同様なのではないか。日本に住んで日本語を当たり前のよう話す人が新橋と言う感覚でポンヌフと言い、なんでこんな古い橋が新橋なのかねと思うのではないかと。イタリア語はほとんど分からないが、こうなるとポンテヴェッキオも古橋であって(ヴェッキオは古いの意)、そのままの意味だ。ちなみに、フランス語で古いは vieux と音は似ているが語源が同じかどうかは分からない。

疑問を感じたら知り合いのフランス人に聞いて見れば良いのだが、これは案外難しそうだ。ほら、東京に新橋があるだろうなどと切り出しても埒が明かないのは明白だ。私の英語力では細かなニュアンスまでは伝わらないだろうし、相手も英語は道具であって感情までを伝える言語ではない。フランス語は挨拶程度なので話にならない。結局はポンヌフと新橋の差は分からないのだろう。

ラテン語系の三姉妹ついでに言えば、よく知られた新聞のルモンド(le monde)は、そのまま「世界」である。ワールドカップは、フランス語ではCupe du monde であって、スペイン語だとCopa del Mundo となる。なんとなくラテン語系の言語間の変換ルールが見えそうでもある。だからと言って、ヨーロッパに住む人が母国語以外に複数の言語を話すのが当たり前だということにはならない。日本語とフランス語を覚えるよりスペイン語とフランス語を覚えるほうが簡単ではあろうが、ゲルマン系のドイツ語とフランス語はだいぶ異なっている。ヨーロッパに住む人は、必要があるから努力して他の言語を覚えているということだろう。先日、テレビを見ていたら、ポーランドだったかどこだったかの比較的ヨーロッパ北東部の国の人が、フランスの会社が運営する船の乗務員としてスペインを航行する船上でインタビューされていた。岩手県出身の人が、大阪の船会社に就職し、現在は鹿児島の観光船で働いているという感覚なのかもしれない。だとすれば、必要なら努力して他の言語を覚えるのが当然という思いに至っても不思議ではない。

何はともあれ、次回チャンスがあれば、パリの新橋を訪ねてみることにしようか。

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Bonne journée

Bonne journée(21): Looking into a deep

20130921-001日本語は後半に。

Looking into a deep and dry blue 
through a break in the trees. 
Falling down to the sky like 
fragments of the summer filigrees. 

When dry air covers the city of Yokohama, close to Tokyo, it tells the Autumn is coming just over there. Autumn is also rainy season. Both dry air and rain brings the harvest season to Japan.

20130921-003乾いた深みを木々の間から覗き込む。光が零れるかわりに自分が落ちて行く。秋の空は深い。

通勤電車の軋む音にふと、前に座る疲れた誰かがふたり分の椅子を使ってうなだれているのに気付く。薄目を開けて混雑し始めた車内を見回し、再び目をつむる。まるで世界など最初からなかった様に、周囲から目をつむる。

ひどく暑かった夏の終わりに秋の扉をこじ開けた風雨が、ひと足先に黄色くなった葉を散らす。秋にはまだ少し間がある。

通勤電車が乗り換え駅に近付いて行く。スピーカーがパチと音をたてる。乗り換えの案内。そして、「どうぞこの先も気をつけて行ってらっしゃいませ」と、いつもと違うアナウンス。