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encryption

(日本語訳は下にあります)
It was a long discussion in Japanese. In the next room, my colleagues were talking about budgets and technology. It must have been an interesting topic for my guest, who was waiting for the next meeting with me. I was almost confused because budgets must be closely related to his company. But, looking at him, he didn’t seem nervous. After a while, the meeting ended and my colleagues passed by me. One of them was clearly surprised by my guest. I asked him if he understood what was discussed in that room. He answered “It’s mostly encrypted, except for …”. So I asked “Except for what?” His answer was “Mata-ashita (see you tomorrow)”. He was French and spoke good English, but not Japanese. In fact, he didn’t say “Mata-ashita” but “Natasha”. My next question was, as you imagine, “Who is she?”
The photo above was taken in Butrint, Albania. The wall is part of a World Heritage Site and the ruins have a very long history, dating back at least to the 4th century BC. I didn’t understand what was written on the wall. It was like a code to me, but that’s OK. I knew it was a historic place just by looking at it. It’s a kind of common knowledge. If you look at the picture below, you’ll see that the Queen of Hearts is screaming “Off with his head!” though there’s nothing written. That’s it.

(機械翻訳)日本語での長い議論でした。隣の部屋では、同僚たちが予算とテクノロジーについて話していました。次の会議を待っている私のゲストにとっては、きっと興味深い話題だったのでしょう。予算は彼の会社と密接に関係しているはずなので、私は少し戸惑いました。しかし、彼を見ていると、緊張している様子はありませんでした。しばらくして会議が終わり、同僚たちが私のそばを通り過ぎました。そのうちの一人は、ゲストに気付いて明らかに驚いていました。私は彼に、あの部屋で何が話し合われたのか理解したか尋ねました。彼は「ほとんど暗号化されています、…を除いては」と答えました。そこで「何を除いて?」と尋ねると、彼の答えは「また明日(Mata-ashita)」でした。彼はフランス人で、英語は上手でしたが、日本語は苦手でした。実際、彼は「また明日」ではなく「ナターシャ(Natasha)」と言いました。私の次の質問は、ご想像の通り「誰?」でした。
上の写真はアルバニアのブトリントで撮影されました。この城壁は世界遺産の一部であり、遺跡は非常に長い歴史を持ち、少なくとも紀元前4世紀にまで遡ります。壁に何が書いてあるのか分かりませんでした。まるで暗号のようでしたが、それで問題ありません。見ただけで歴史的な場所だと分かりました。一種の常識みたいなものです。下の写真を見れば、ハートの女王が「首をちょんぎっておしまいなさい!」と叫んでいるのが分かりますが、何も書いてありません。そういうことなのです。

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旅の記憶(3)


前回はこちら初回はこちら

  翌日の朝は、夜のうちに舞台装置を総入れ替えしたみたいに青空が戻り、運河の水の緑と倉庫屋根の銀色が落ち着いたコントラストを見せていた。前日に歩いて見て回った歴史的建造物も、旅行ガイドブックの写真のようにかつての栄華を感じられる堂々とした姿で、その横に掲げられた説明書きさえも美しかった。それはまさに前回訪れた時の微かな記憶と重なりあった。朝だからなのか、比較的年齢層の高い観光客が少しばかり歩いているだけで、運河も倉庫も街並みも絵葉書のようにそこにあった。坂の上の駅に向かうサラリーマンやバス停に並ぶ人々は、観光客など目もくれず、今日の面倒な予定でも考えているに違いなかった。誰かが路地裏から廃棄物を運び出して、トラックに乗せていた。一日の始まりがそこにあった。
 今回の旅も、前回同様に小樽は一日だけの遠回りみたいなところがあった。前回と違うのは、用事ついでに一週間くらいのんびりしようという旅ではなく、必ず横浜に帰らなければならない予定が入っている事だ。朝の散歩を終えたら、慌ただしく札幌に向かう事が決まっているようなものだった。物足りないが、それで良いのだろう。どこかの街でゆっくりと過ごすバカンスも、慌ただしく何かを探し回るような旅も、どちらも旅なのだ。その中でいつもと違う文化や日常に触れる機会があれば良い。気づけば街をぐるりと回り、再び運河の近くに戻っていた。朝の光は眩しくなっていた。どこかでクラクションの音がした。
 小樽のノスタルジックな港町から、札幌方面に向かえば、石狩湾の大規模な洋上発電のプロペラが立ち並ぶ姿を境に都市部へと風景が一変する。札幌は人口200万人の大都市であり、コンクリートが折り重なった中心部を住宅街や物流拠点が取り囲んでいて、それを避けるように高速道路が蛇行する。エネルギー溢れる典型的な都会がそこにある。それは互いに見知らぬ顔のない人々が行き交う横浜とさして違わない。そして、それもまた札幌の一部でなければならない。都会である事は、無名であることと背中あわせであり、街にはあらゆる機能が重畳されるものなのだ。だからこそリスが走り回る緑豊かな北大キャンパスのような場所が街の一部となれるのであろうし、歴史と将来が同じ時間を共有できるのだ。もちろん豊かな緑さえあれば都会と自然は両立しえるというものでもないが、それがなければ人はそこに住もうとしないし、時が流れなければ人もその場所に辿り着けないものなのだ。横浜だって郊外に出れば自然もあるし、リスも走る。ただ、そこにいるのが外来種のタイワンリスだったりするのだが。
 午前中は少し雲もあったが、昼頃には札幌は概ね快晴と言って良い青空になって、すっかり夏の空気感が漂っていた。明治安田生命のビルの温度計は26度を示し、歩けば半袖でも汗ばむような暑さだった。ひとブロック歩いて西の山を見れば、遠く大倉山ジャンプ競技場の巨大な台が、そこが紛れもなく札幌であることを主張していた。横を市電がモーター音を響かせ、通り過ぎた。うろうろと歩きまわりながら、観光したり買い物したりするありきたりでも充実した時間を過ごし、札幌大通公園に戻って来たのは、少し小腹が空いた時間になってからだ。
 大通り公園は、オータムフェストなるイベントで思いのほか賑やかだった。事前に知ってはいたが、1kmも続くお祭りとまでは想像していなかった。誰かがまだ動いてるウニを持ち上げて、今から焼くよと大声を張り上げた。
 秋の収穫祭のようでもあり、どこかの学園祭のようでもあり、賑わう観光地の周囲に集まったキッチンカーのようでもあり、巨大なフードコートのようでもあるそれは、誰もが笑顔になって行き交う場所となった。
「おかげさまで、ようやく良い天気になりました。」
と誰かと話すのはきっと関係者なのだろう。にこやかに頭を下げ、警備をしている誰かが頷いた。
 さて、何を食べよう。ザンギ屋さんは今なら空いてるな。でも、さっきからクレープみたいな甘いものが食べたい。野菜はないかな。などと品定めしながらウロウロと歩けば背中にじっとりと汗をかいて、すっかり夏フェスの気分である。軽快な夏らしい曲を聴きながら道を渡れば民謡が聴こえてくるのも、長く続く大通り公園の楽しさの一部でもある。テントの下に並ぶサマーベッドでは、学校帰りの高校生なのか、制服姿でパフェを頬張る二人が談笑し、あっちのカウンターではサッポロクラシックを待つ列が、長々と伸びていた。
「まずは、お肉じゅっ丁目だろう。」
 夕方の仕事帰りのグループが増えるに従って、徐々に混雑してきた会場は、騒々しくも心地よい雑音に包まれていた。

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旅の記憶(2)


前回はこちら

 小樽は実にまだ2度目だった。海に向かって滑り降りられる気持ちの良いスキー場があるのは知ってはいたが、スキーと言えばニセコや富良野に行ってしまって冬の小樽には縁がなかった。どうせなら北海道らしい場所で滑りたいという、風情も何もない決定がいつも優先していた。若かったのだ。
 たった一度の小樽を訪ねた前回は、旭川に行くついでの1日だけ遠回りだった。大して期待もせず、予備知識と言えば運河と北一硝子程度のままたどりついた小樽で、大いに驚かされることになる。石造りの強固な倉庫や日銀や三井などの重厚な金融機関の建造物が建ち並ぶ事に度肝を抜かれ、廃線となっていた旧国鉄手宮線に頭をぐるぐるさせて考えてみるのだが、知識も想像力も欠けていた。疲れ果てて入った喫茶店で店主がいろいろ説明してくれたが、あまり覚えていない。記憶として繋ぎ合わせるだけの力はまだなかったのだろう。喫茶店のカウンター席で古いフィルムカメラを置いて周囲を見まわせば、店主はこう言うのだった。
「とてもきれいな街でしょ。古いカメラを大事に使ってるのを見たら話がしたくなっちゃった。でもね、ファインダーを覗いて見ると、案外良い景色ってないでしょう。そういうもんだよね。お店の中は自由に撮って良いよ。あぁ、でも僕は撮らないで。流れ者だから。いつ写真見られちゃうか分かんないから。」
 その喫茶店がどこで、今もあるのか分からない。あっても名前が思い出せないし、今時だから石蔵カフェなんて呼ばれているかもしれなかった。
 酷い雨もほぼ上がって、時々明るい空も見えていた。雨粒が時々フロントガラスに当たって小さな虫のように跳ね回ることがあっても、ずっと振り続けることはもうなかったし、なによりも雷鳴が響くこともなくなっていた。朝里ICという案内がまもなく到着を告げた。僅か1時間という通勤とさして違いが無いはずの移動は、雲を迂回し損ねた小さな飛行機に乗ってしまったような、少し緊張感があってワクワクするアトラクションとなった。
 ホテルに車を停めて雨上がりのフレッシュな空気を吸いに歩き出した頃には、忘れかけた運河の景色を思い出そうか、それともおいしいものでも探そうかと、曇り空などすっかり忘れて華やかな気分にすらなっていた。それが旅というものだ。だから、再びポツポツと落ち始めた小雨などまったく気にならなかった。どこかで警笛が鳴り、寿司食べよという声が聞こえた。さすがに小雨とはいえ、はっきりと分かるほどに降り始めた雨に折りたたみ傘を開けば、千歳の豪雨ですっかり雨のしみ込んだ布が貼り付き、まだら模様のシミが手に重さを感じさせた。
 ノスタルジックな小樽をふらふらと歩きながら、気になっていた革製品のお店のドアを開けた頃には、歩き始めてすでに2時間ほど経っていた。街が特段広いわけではない。むしろこんなコンパクトな街に大手金融機関のビルや運輸会社の大型倉庫が立ち並ぶということに驚きを感じるような凝縮されたところである。それでも街をくまなく歩こうと思えば、それ相当の時間がかかるには違いなかった。
 雨上がりというにはまだ湿っぽく、時折降り出す小雨が傘に当たって独り言のような小さな音を立てていた。あちこちで気になるお店に立ち寄りながらのそぞろ歩きであっても、そろそろ傘を閉じて、湿った首筋の汗とも湿気ともつかないべたっとした空気を取り払っても良い時間だ。
 革製品を売るその店の中に入れば、エアコンディショナーの幾分乾いた空気が微かに流れ続けていた。馬具を作る歴史的な背景があったからとは言え、革製品に飛び抜けたアドバンテージがある地域というものでもなく、今時はエシカルであることが先に来る時代だから、無駄に廃棄されるものを使うといった説明がつきまとう。それでもそんな説明よりも並べられた皮革製品が輝いていた。
 歩いて来た道は、大雨の影響なのか薄汚れていたから、いっそうきらびやかな灯りで照らされた店内が美しく見えた。街の生活の中心部は坂の上にあって、歩いて来た道は、ある意味観光の路みたいな場所だった。だからなおのこと、狭い路上に溜まった砂利や水が目についたのだろう。記憶にある小樽は晴れてキラキラとした活気のある観光地だった。それが、おそらくは豪雨により湿って薄汚れた砂利の流れ着いた街になったのだろう。きっと晴れたらまた美しくなるはずだ。
「雨が結構降ったんですか。」
そうお店の人に聞くと、意外な返事が返って来た。
「雨どころか水が出てね。午前中は川みたいになってたんですよ。この道がこんなに冠水したことなんてはじめてですね。うちは入り口が上がってるから大丈夫だと思ったんだけど、水がギリギリのところまで来ました。あっちの方の店は床上まででね。もう大変でした。」
 そう言えば、と思い出した。いくつかの店舗で入り口をモップで掃除したり、マットを水で洗ったりしていたのだ。あれは浸水した店先の後始末だったのだろう。相当大変だったろうと想像するが、そんな様子は微塵も見せず、いつものようにお店を開けていたのだ。エアコンの効いた店舗の中から外を見ながら、明日は晴れるといいなと純粋に思ったのだった。

来週に続く

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旅の記憶


 何年かぶりに訪ねた北海道は、車を運転するにも前が見えないほどの豪雨で、昼時にもかかわらず休む事なく稲光が空を走り、幅の広い整備された幹線道路ですら川のように雨水が溜まっていた。それでも、なんでこんな時に来てしまったんだろうなんてネガティブに思う事もなく、降り頻る雨の隙間からただひたすら久しぶりの景色を眺めて頬を緩めていた。それほど前回の訪問からは時が経っていた。
 おそらくは全てが新鮮に見えるだろうと分かっていた。札幌の時計台だって、観光案内などで何度も写真やビデオを見せられているから記憶がリフレッシュされているはずだが、思い出せるのはその建造物の一部であって、その向い側にあるビルなど全くイメージ出来なかった。そもそも前回はどこのホテルに泊まったんだったかも皆目思い出せない。ただ、前回が3月だったことだけは間違いない。誕生日だというのに何故か夕食はラーメンだったのだ。よせばいいのに、何処からか「すすきの」まで時間をかけて歩いて、ラーメンだけ食べて帰ったことだけは覚えている。ラーメンがあまり好きではないから普段食べた事もほとんどないにもかかわらずである。旅とはそんなものだ。
 飽きずに何度か訪問している地域というのがあって、北海道は複数回旅行していても、仕事ということは一度もなく、いつもプライベートという珍しい旅先だ。とはいえ、先に書いた通り前回はずいぶんと前で、まだ何事にも血気盛んな若者だった頃だ。自分にも若い頃があったなんて普段はすっかり忘れているが、スキーと遊び仲間の結婚式ついでの旅行のついでだったのだから、間違いなく若かった。周りから、「また行くの?」なんて呆れられながら、貯金を切り崩し、重いスキー板を担いで羽田に向かったりしたのだった。
 豪雨は全く治る気配が無かった。予約していたレンタカー店までは運よくバスで移動出来たが、車を借り出したところでその車のワイパーをフルスピードで動かしても前も後ろもよく見えないから、思うように先に進めない。「アンダーパス、冠水注意」の看板を横目で見ながらゆっくりと幹線道路に出て、一般道をノロノロと走り出す。その横を大型トレーラーが何事もなかったように追い抜いていけば、跳ね上げた雨水が視界を遮った。近くの道の駅にでも避難する方が良さそうなのは明らかだった。そうやってゆっくり北上していると、気づけば1時間ほど続いた激しい雨が、いつのまにか普通の見慣れた雨へと変わっていた。相変わらず雷鳴は響いていたし、空を見上げるでもなく稲光を常に感じてはいたが、それでもパッチワークのような畑が広がるのも見えてきた。
 しばらくフランスのブルターニュ地方に住んでいたが、時々日本からブルターニュを訪問する人もいて、その感想のひとつが「北海道みたい」だった。確かに牧草地がどこまでもうねるように広がる風景や、春や夏になると遠くまで黄色く染まる菜の花やひまわりの景観は、北海道の郊外の風景に抱くイメージと似ていなくもなかった。見渡す限り続くブロッコリーの畑と収穫したブロッコリーを運ぶ巨大なトラクターは、長沼町あたりの景色とそっくりだ。少し違うのは、北海道の方がずっと近代的で、何もかもが碁盤の目のように整然としているあたりだろうか。そんなことを思い出せる程度には風景が見えるようになると、旅先にいるんだなという実感が湧いてくる。千歳に降り立って、すでに2時間が経過していた。いろいろ寄り道したいと思っていたが、ともかくホテルにたどり着いた方が良さそうだ。雨も上がって、高速道路を移動するのも良い頃合いとなった。まずは札幌をやり過ごして小樽に泊まることにしていたのだった。

来週に続く

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ピクニックテーブル


 自宅近くの公園を歩いていたら、木製のピクニックテーブルがいくつか新しくなっていることに気がついた。木製と言っても公共の大きな公園のものだからかなりしっかりとしたもので、土台部分はコンクリートで出来ていてしっかりとボルトで止めてある。天板や脚も厚みがあり、見るからに丈夫である。もしかしたら、災害時の利用も想定しているのかも知れない。いくら木陰にあっても夏の間はピクニックをするには暑過ぎるので、利用者の少ない夏の初めに刷新したのだろう。春の間はピクニックはもちろん、将棋を指す人達もいたが、今は静まり返っている。

とあるフランスのベンチ

 かつて住んでいたフランスのアパルトマンからほど近い大きな公園にもベンチやピクニックテーブルがたくさんあって、週末にはバーベキューパーティーなどで盛り上がっていたが、それに比べると日本のピクニックテーブルはずいぶんと清潔な印象である。「フランスのピクニックテーブル」なんてひとくくりにするものでもないが、概してあちらのものは清潔感がない。週末にバーベキューをすればきちんと片付けて帰らないし、ドングリが積み重なってもなかなか掃除しない。それでも美しいままのテーブルも案外あって、ゴミを捨てるなとか犬はリードに繋げとか、そういった常識的なことを書いた貼り紙があちこちにない分、自然の美しさがある。そんなちょっとした違いに自分がいる場所を感じるのだ。

妖精の食事のあと

 そういえばと思い出した。フランスの買物は、エコバッグというよりキャリーカートが主役なのだが、もちろんエコバッグも売っている。大手スーパーは自前のロゴが入ったコンパクトになるエコバッグをしっかり用意していて、ひとつやふたつ持っている人も多い。これが小さくたためるのは良いのだが、薄い分だけ傷みやすい。フランスで使っていた見た目は今ひとつだったが使いやすかったエコバックが、少し擦り切れてきたので日本で買おうとしたら、これが案外高い。少し丈夫なのかも知れないが、あまりコンパクトに畳めないものが1000円とか書いてあるではないか。ちょっとおしゃれだなと思ったら2500円だそうだ。当然、利益も上乗せしているのだろう。でも、フランスだったらお高いMonoprix印だって1ユーロ50サンチームだから200円くらいなもの。あまりエコバックで儲けようとは思っていないに違いない。

 そんなわけで、肩にかけられて小さく折りたためるおしゃれなエコバックを物色中である。100円ショップでもいいが、せっかくならちょっとおしゃれなのが良いのだが。
ちなみに、写真はカルフールで買ったエコバック。フランス語で何やら書いてあってかっこいいが、意味は「あなたの支持が私達の力です」である。まぁ、正直、バッグに書く文言ではない。