Cross Cultural

one year


(日本語は下に)

Around one year has passed after having moved back to Yokohama from heart-warming and beautiful Brittany. A lot of unexpected things happened and eventually I have found calmness called daily life. 

Before, I was believing that goodness and badness were relative feelings. When I was facing difficulties, I thought it may have a good aspect. Probably it is true. However I learnt. What I am seeing is from what I experienced. I cannot see what I haven’t experienced. Everyone needs to do it again and again before learning anything. When I say it’s relatively bad or something, probably I should add ‘compared with experience’ in my mind. When I think Japan is easy or hard to live in, I might be seeing just a small face of it based on my experience. In other words, it is always not true that Japan is better or worse than France. You may think it is ambivalent but consistent for me. After having learnt that, both two countries have become fantastic place for me. 

ブルターニュからふたたび横浜に移動して1年ほどになる。色々あったがようやく「日常生活」と言う平穏な日々を過ごせるようになった。

以前は良いとか悪いとかは相対的な事で、良くない事があればきっと良い側面があるのだと思っていたが、自分が経験したことでひとは善し悪しを判断するものだと思いあたった。辛い事があれば、あるいは良い事があれば、それはそれまで経験してきた事の中で善し悪しを感じているのだ。だから相対的だと感じているのも自分が見ている世界の話であって、他の人が同じように感じているとは限らない。日本のほうがフランスより良いとか、日本はフランスに比べてここが良くないとか、そんな事はきっと相対的という以前に個人の経験によるものなのだ。二律背反的な曖昧さに見えるが自分の中では一貫している。そう思うようになってから、両国は共に魅力的な場所となった。

Photo

Floral Friday #124


流石に涼しい木陰にある紫陽花も花期を終え、街は真夏の花に入れ替わり始めた。梅雨の合間に差し込む日差しが目の奥に染み込んでくるようで、せっかくの陽射しであってもサングラスをかけて出歩くような強烈さだ。

良い週末を。

Bonne journée, Photo

切通し


 汗っかきの右足を滑り込ませたスニーカーの少しばかり擦り切れた緑色のキャンバス地と、短夜の霖雨に押されて声のしない雨粒の間を転げ落ちたクスノキの葉を踏みしめるゴム底との隙間に、梅雨時の湿気が染み込むのを気にしながら、また次の一歩を上へと押し出す切り通し。雨上がりでもなお雫を落とし続ける紫陽花の青は、僅かな雲の隙間に開いた青よりもずっと赤く、ガラスのような光を控えめに放つ。続く雨が時々落ちてくる見えもしない天の裂け目を見上げて嘆くより、肩ほどの高さに俯く紫陽花の真ん中に砕かれた金平糖が水色とピンクの粒に散らばる様を見ていた方が、きっと陽の光に届きそうだと足を止めて考える。谷戸の森に穿たれた向こう側の街に続く坂道を昨日の雨が流れ落ち続けている。初夏の落葉もアスファルトに積み重なって水を含み柔らかく、幾つも連なる坂道に疲れた足裏には幾分優しい。両方の足を交互にゆっくり押し出しながら、左手のタオルで額の汗を拭い、右肩の藍染めのサコッシュを右手で掛け直した。車の通ることもない切り通しは、やがて木々の空気にひんやりと静まり返っていた。

 鎌倉と言えば八幡様や大仏様、アジサイの季節なら北鎌倉の明月院といった知られた社寺が思い出されるが、そうした言わばメインストリートだけでなく、狭い谷戸に散在するお寺さんを探しながら歩くのも楽しい。たいていは谷戸を作り出した小川沿いに車がすれ違うのも難しいほどの狭い道が続き、その両脇に住宅が建つ。だから片側は、用水路となった小川を越えるように橋がかけられている。少し広くなった開けた所では住居は面に広がるが、広いと言っても見渡せる距離である。
 鎌倉駅から江ノ電で行く海側は比較的知られていていつでも混雑しているが、山側はあまり有名な場所が多くないからか海側ほどは人も多くない。谷戸を分ける尾根はさして大きくないとはいえ、何層にも重なる山で、鎌倉が天然の要害であったことは想像できる。小さな山でもそれを越える必要があっただけでなく、見通しが効かない。そんな谷戸と谷戸の間をつないで尾根を通り抜ける切り通しは、ちょっと楽しい。知らない隣の街にでも行くような気分だ。
 そんな切り通しを通り抜けて北鎌倉駅側から鎌倉駅側に向かって横須賀線の線路を越えたら、人力車がちょうど観光客を案内してきたところだった。その向こうをサーフボードを抱えたバイクが行く。マリンスポーツをするにも古都巡りをするにも、何もかもが小さな空間に押し込められた混然とした街が、都会の裏通りとは違った落ち着きを見せて、ちょっと落ち着く。
 今日は海を見てから帰ろうかなと鎌倉女学院の横をぬけ由比ヶ浜まで歩いたら、案外1万歩になった。
 歩いた頃はまだ材木座の海の家も建設中。きっと今頃は完成して海開きを待っているのだろう。

材木座海岸