Cross Cultural, Photo

Floral Friday #157


 この写真は随分前に撮って没になったもの。奥の蕾にピントがいって、見ていてあまり安心できない。それでも今回ポストしたのは、どことなく薄暗い春の初めの天気が懐かしくなったから。

 横浜に住んでいれば、冬の初めから春の初めまでは、カラッとした晴天が続くと暗黙のうちに考える。もちろん時には雨も降るし、曇り空が続くことだってないわけではないが、冬といえば抜けるような青空のように、ついステレオタイプに見てしまうものである。確かに晴天率は高い時期だが、だからと言って必ず晴天が続くわけでもないことくらい理性では分かっている。でも、どこかで晴天を期待しているのだ。
 フランスに住んでいた頃は、冬といえば毎日小雨だったし、その雨だって晩秋の曇った一日に時折ぱらつく雨と、春の強烈な日差しとあられが交互にくるような雨とではまるで違っていたから、場所だけでなく季節で違っていることなど当たり前だと冷静な頭は考える。天気のことを方程式のように考えたって仕方がないのだろう。
 そんなことを考えていたら、少し薄暗い中に咲く白い花が、ジメジメとした空気の記憶の中に蘇ってきた。

Art, Bonne journée

Jazz


 クラシック音楽は歴史として記録されるアートである。ミケランジェロの彫刻がギリシャ芸術の復刻であろうと素晴らしく、ミケランジェロの彫刻の精巧なコピーがこの現代に飾られていても美しい事に変わりがないように、グレングールドの弾くAACで記録されたバッハのゴールドベルク変奏曲を通勤電車の喧騒の中で聴いたとしても、歴史に刻まれたアートは普遍の価値を持つ。

 ジャズはライフスタイルである。それがブルースやラグタイムに期限を持とうとその拡大期に大衆音楽として完成したものであろうと、ひとたび生活の場にその音楽が漏れ出せば、軽快で自由闊達な空気が周囲を包み込む。

 ポップスはエンターテイメントである。人は街角に今流れるポップスに時代の空気を感じながら、嫌なことも楽しいことも思い出す。そうやって咀嚼し切れない一日の出来事は昨日の記憶へと昇華する。エンターテイメントとして消費され続けるからこそポップスは記憶に刻み込まれる。

 ロックは生き様である。ロックが流れていようといまいと、自分のスタイルを貫けばロックは成立する。ただ、自分を貫くことは容易ではない。容易でないから生き様になるのだ。

 若い頃はロックに憧れたりもしたが、今はもうジャズばかりを聴いている。ラップには音楽を感じられないし、 K-POPもJ-POPも時に雑音にしか聞こえないことすらある。きっとそれは、歳をとってきたということなのだろう。自由が容易に得られるものではないと知り、日々の機微をいなす法を覚えた今、ジャズあたりが落ち着くということなのだとふと思ったのだった。