Bonne journée, Cross Cultural

tous les étés

 いつになく静かな夏のいつになく湿った日曜の朝、いつもより近く聞こえる教会の鐘を聞きながらシャツのしわを伸ばし、少し硬めのソファーに身を委ねる。久しぶりに街を覆うぼんやりとした霧を眺め、昨日までの熱波が終わりを告げつつあるのだろうと考える。特に何かあるわけでもない。ただ、いつもと少しだけ違う夏。
 様々な色に塗られた観光バスは皆どこかに消えてしまったのだろう。確かに旧市街にはドイツ語やらスペイン語やらが響き、見慣れないナンバーの車が通りを行き交うが、文化になどついも興味がなさそうな賑やかな集団が、わずかに傾いた木組みの店の前で大騒ぎを繰り返すこともない。観光バスのフロントウィンドウに貼られたツアーの名前を見ながら、おや、英語だとかハングル文字だとか、ひょっとしたらスオミかなと遠い国に想いを馳せ、不意にすれ違ったバスのJTBの文字に郷愁を感じたのは、もうずっと前のような気がしてしまう。ただ静かな夏。繰り返す夏。

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Salt farm

 何というか、要するに塩である。

 結晶学的には塩素とナトリウムが交互に規則正しく並ぶ面心立方格子という面白くも何ともない結晶構造を持ち、式量はおよそ58。電気的には絶縁体であって、見た目は無色透明な直方体となる。水溶性があって、水に溶ければ塩素イオンとナトリウムイオンが電導性を示すが、融点は意外に高く、およそ800度になる。地球上には海水及び岩塩として大量に存在するが、多くの生物にとって生命の維持に必須の物質であって、口に入れれば他にはない塩味を感じる。

 要するに塩化ナトリウムの結晶なのである。

 ただ、純度100%かどうかと言われれば、食用の塩はマグネシウムを多く含んでいる。カリウムやカルシウムも少なくはない。それどころか、おそらくは多くの不純物が含まれている。これらの塩化ナトリウム以外の成分が「まるやかな」塩を生む。

 物質の多くは結晶化する際に不純物を自ら排除する。大雑把に言えば、異なるイオンがあると規則正しく並びにくいため、不純なイオンは結晶に入り込みにくい。だからゆっくりと結晶化させて不純物濃度を下げるといったことも行われる。人間が手作業でやるとなると大変な労力を必要とする。海水が多ければ生産できるというものでもない。もちろん熱を加えて水溶液から水を飛ばすことで生産できるが、多くは太陽熱と風による蒸発を利用した天日塩である。海から少しずつ海水を取り入れ、徐々に浅くしながら海水濃度を上げる。やがて現れる小さな結晶を少しずつ陸にかきあげながら「乾いた」塩にしていく。雨が多く寒い地域では生産は容易ではない。暖かくて晴天率の高い地域が生産には適している。

 そうやって作る塩の北限と言われる場所のひとつが写真の「塩田」である。アジア出身の自分にはどう見ても水田なのだが、ここは紛れもなく海であり、遠くまで続く塩田の先には我々が普通知る海が広がっているはずである。

Bonne journée, Photo

ouvert

It’s still in lockdown and nobody knows what will happen in next weeks but gradually difficult days are passing away. Just it’s time to enjoy your sunshine with care. I could find a good word other than de-confinemen, for example…

厳しい外出制限が緩和されたからと言って、明日がどうなるかは誰もわからない。ただ、公園に行くことが許可された事に少し安堵を感じる。「開いた」ことがこんな意味を持つとは…

Bonne journée, Photo

遠い街の冬

まるでそれが日課だと言わんばかりにやってくる雨に、石畳みが濡れているのが当たり前のような気がしていた。仕事に向かうまだ薄暗い朝、その磨かれ硬く丸みを帯びた石で足を滑らせ、日が伸びたとはいえもう薄暗くなった帰り途、レストランの灯りと愉しげな声を反射させて黄金色に輝くそれに目を細める。雨とはいえ気温は上がらず、雪でない事にのみ安堵を覚える。ポケットに入れた手がかじかんでくる。それが冬である。

ようやく晴れ間が出れば、太陽が恋しくて外が歩きたくなるのは特別なことではない。ただ、外に出たところでその僅かな光で体が暖まるという事でもない。やがて間も無く雨雲が通り過ぎ、ぽつぽつと降る雨に結局は体を冷やす。木の下に逃げ込んでも冬枯れの枝には雨を受け止める葉も見当たらない。ただ襟を立て小さくなって足急ぐだけだ。それが冬である。

そうやってどこかで諦めのつかない週末にふと現れた青空は、何はともあれ外に出て陽の光を肺の奥まで吸い込むための記号である。教会のミサを報せる鐘が聞こえる前の音のない朝でも、ゆっくりとランチを楽しんだ後でも、近くの公園にはすっかり湿った体を乾かすためにひとが集まってくる。芝生に腰を下ろして本を読むには少し早いが、よく見れば新しい芽があちこちにある。それが冬である。

Bonne journée, Cross Cultural

vivre à l’hôtel

Yokohama

有名作家がホテル暮らしをしていたのはひと昔前どころか遥か昔の話だが、そのホテル暮らしが可能なのはそれが「一流」ホテル暮らしだからであって、一般庶民が実際にホテルで生活するとなるとそう楽ではない。生活するとなれば、食事の心配と同じレベルでゴミの心配をし、限られた空間で何を妥協するのかを考えなければならない。増してそれが異国の地であってその地のルールを知らないとなればなおさらである。

新しいフラットを見つけるまでの間とは言え、ホテルでしばらく過ごすうちにそうした葛藤のような中で自然と考えることも多くなる。何を食べようかと思うだけなら美味しそうなメニューが頭の中をグルグルと巡るが、小さなキッチンでりんごの皮をむけば、そろそろゴミもいっぱいになってきたし生ゴミもあるからフロントで新しいゴミ袋を多めにもらってきておこうなどと考えるものである。そこで「あぁ、またフランス語の発音が悪くて通じないかな」などとは心配しない。いや、心配しなくもないが、ちゃんと伝わるものである。どちらかといえば、分別ゴミの心配をしたりする。紙とかプラスチックとかちゃんと分けてはいるものの、これで捨てて良いのだろうかといった心配である。

昨年まで住んでいた横浜は、世界的に見てもゴミの分別が細かい自治体だそうである。もうすっかり癖がついて、ティッシュの箱が空になれば潰すついでに取り出し口のビニールをとるし、プラスチックとPETはしっかり分けて出す。当たり前といえばそれまでだが、フランスの多くの自治体では通常そこまで区別しない。リサイクルとそれ以外があるだけである。そう書くとリサイクルが進んでいないように聞こえるかも知れないが、ある程度リサイクル対象とそれ以外を分けて回収した後で、回収後に再度仕分けをするというやり方をとっている。もちろん、細かく分けて回収している場合もあるが、回収後の処理でしっかり分ける作戦だそうである。

聞いた話なのでどこまで正しいかわからない。ホテルの一室でリンゴを食べながらふと疑問に思っただけである。日本のリサイクル率はかなり低いというので、Webで数字も調べてみたが計算方法によって変わるのでここには記載しない。疑問に思ったから、フランス人に聞いてみたという単純な話でしかない。そのフランス人が正しいことを言っているかどうかもわからない。

ただひとつ言えるのは、なれないホテル暮らしで疑問が湧き、それを地元フランス人に聞けば環境保護に関する大論争が巻き起こるということである。やがてそれは日本の法制度への質問となり、ゴーン氏の扱いは正しいか否かという激しい議論へと繋がるのだった。(いや、リンゴの皮は生ゴミである事に間違いないのだが)