Cross Cultural

Rolling Takeoff

20130126-001カナディアンロッキー観光の拠点、バンフまでは、カルガリー空港からグレイラインのバスで2時間ほどである。カルガリーを出てまもなく、すでに石油の掘削ポンプ以外ほとんど人工物を見なくなっていた風景は、さらにキャンモアの手前あたりまでくると、完全に期待する自然そのものとなる。トランスカナダハイウエイからバンフに曲がれば、賑やかな街にふと安心するほどである。
このハイウエイとバンフへの道が交差するそばに、かつて小さな空港があった。現在も緊急時は使えるという話も聞くが、元々単なる野原のような滑走路があっただけである。恐らくは、今では緊急時以外は使いたくないような状態に違いない。それでも20年ほど前は、少なくともある程度は整備されており、単発のプロペラ機が周囲の山をかすめながら、ゆらゆらと離発着するのを見ることが出来た。その意味では、いくら滑走路が整備されていても、当時でもあまり安心できる飛行場ではなかった可能性もある。何しろ周囲は写真で紹介されるような雄大な山々であり、はるかに銀色に輝く糸のような滝や静かにエメラルドの鏡となった湖を臨みながらの着陸である。谷間を駆け抜ける風が強まれば、いくら緑輝く夏であっても安心できそうにない。カルガリーの空港から100kmを少し超える程度だから30分もかからないだろうし、一度くらい観光で飛行機に乗ってみたかったような気もするが、自分で操縦出来たとしても降りるには勇気がいりそうである。

もちろん、飛行機を操縦したことなどないから、地上から見ての想像でしかない。だが、実は、何となく不安を感じるのにはもうひとつ別な理由がある。滑走路をエルクが歩いているのである。滑走路の周りに柵などないのだろう。プロペラ機がガタガタと地上を走っているというのに、エルクは悠々と横切って行く。着陸中にエルクが入ってきたらどうするのだろうか。皆目検討がつかない。エルクからすれば餌場を移動しているというのに、移動中にやかましい巨大な鳥が降りてくるのだから、どうしてくれるんだという気持ちは同じだろうが、彼らは恐らく人間の都合など理解していない。人間がエルクの都合を理解していないのとこれまた同じである。猫と自動車の関係みたいなものだろう。
日本に住む身からすればとても身近とは言えない飛行機が、それだけ特殊な自動車程度のものだという事なのかもしれない。 Continue reading “Rolling Takeoff” →

Bonne journée

Bonne journée (9)

20130112-002関東の冬は冷たく乾燥した冬である。乾燥しているがゆえに、時に、カミソリのような空気の痛みを感じることもある。パリもこの季節は同じような気温であるが、この乾いた感覚では異なっているという。1月にパリを訪ねたことはないが、少なくともフランスから日本に来た知人はそう感じるらしい。
そこに住んでいれば当たり前と感じることが、他の多くの場所ではそうでもない。フランス北西部ともなると結構雪が降るのだろうと聞くと、ほとんど積もったこともないし、そもそも降らないとも言う。ニースあたりだと冬も暖かいのかと聞くと、アルプスからの強風が冷たく、雪が降ることもあると言う。当たり前の感覚は、先入観も含んでいるというべきか。
乾燥した関東の風景のひとつに霜柱がある。繊細なガラス棒を束ねたような氷が朝日に輝く様子は美しい。子ども達にとっては、踏めば一瞬にして終わるはかない遊び道具でもある。
この見慣れた霜柱も気象学的には珍しい現象なのだそうである。大陸の冷え切った空気が海を越えて大量の水分を蓄え、日本列島の山で吹き上げられて雪を降らす。再び乾燥した空気は、関東平野を吹き抜け、冷たく乾いた空気が残される。しかし、砂漠と違って関東の肥沃な土地はたっぷりと水分を含み、この冷たい空気に覆われる。しかして、放射冷却で冷えた大地からは空に向かって水分が凍り、再び水分が吸い上げられ凍り、これを繰り返して輝く氷の柱が伸びていく。
20130112-001すなわち、大地は十分に潤っていなければならず、毛細管現象が起こるに十分な粒度と柔らかさが必要であり、そして凍ってはならないのである。氷点下の厳しい寒さの朝、凍らない大地から氷が成長するのである。
自然は時に難しい条件をいとも簡単に作り出す。

Bonne journée

Bonne Année

20130106-003困ったときの神頼みでもないだろうが、小学生の時以来の久しぶりの初詣は、予想以上の混雑で驚かされた。ここ数年、あまりよくないニュースが続いたからなのか、それとも手軽なレジャーなのか、はたまた信心深いひとが増えたのか。賑やかな地方の神社は、さながらバーゲンの人混みである。

20130106-001もはやひと時代昔と言うも憚られる過去のことではあるが、最後に訪ねたときは、賑やかではあっても出店が並ぶというほどでもなく、訪れた人一人ひとりに甘酒がふるまわれるのんびりした雰囲気だった。皆で火を囲み、温かいものを飲みながら暖をとった。それが今や長蛇の列である。いや、商業化し混雑した今を嘆いているのではない。この新年の賑わいに、これからの1年を期待したいのである。

Bonne Année!

Bonne journée

Bonne journée (8)

20121216-002新潟に暫く住んでいたことがあるからか、冬の海と言えばグレーというイメージから離れられない。雪が降り積もった海岸は、黒く沈み込んだ砂のグレーがくすんだ雪の白と曖昧な境界を成す。横浜のどこか華やかさも感じる降雪を無理に重ね合わせるよりも、落ち着いた愁いをイメージしたほうが、むしろ郷愁にも似た影の部分を感じて美しく思えるようでもある。海から吹きつける強風に傾いだ防砂林の松もそれを強調するかのようである。
とはいえ、そのような感覚は、春先には当てはまらない。新潟の春に降る雪は、厳しい季節が終る事を予感するための雪でもある。
20121216-001横浜の冬の海と言えば、特にクリスマスの頃であれば、煌びやかなイルミネーションや透明感の高い空との組み合わせでイメージするだろうか。夜の海に反射するビルの光が不安定に揺れ動くのも、中華街のランタンの赤い光と同じようにクリスマスの輝きのようにすら感じさえする。
その一方で、冬の朝の晴れ渡った空と海は、その境界を金属のような輝きで覆い隠し、ひたすら凍った青である。まして、凍えた水分を遥か北の山脈にふるい落とした風が吹きつける時、穏やかな時間が流れる海はそこにない。海は、春を迎えてようやく落ち着きを取り戻す。

20121216-004永遠の6月バハマの海は、3月であっても輝き続け、3月のコートダジュールは、凍ったアルプスから吹き下ろす強風も影を潜めて穏やかな陽射しに包まれる。南房総の3月は、さまさまな色に覆われた丘を越えて波音を遥かに感じ、沖縄は、夏の喧噪も遠い透明さをまだ守っている。まだ、12月だというのに3月の海を思うのは些か気が早いか。だから、12月の海は切なく美しい。

20121216-005

Books

A Book:百代の過客 日記にみる日本人

20121209-001このようなblogが一般的に日記かと問われれば、それは違うと答えるのだろうか。どこか日記と違っていても、ある種日記であると答えたくなりはしないか。日記という定義があるわけでもなく、blogという定義があるわけでもない。あるのは、日々考えたり感じたりする事を記録するモチベーションとでも言うべき何かである。
どこかで読んだ記憶によれば、人は何かを言いたい衝動があって、いうことで満足するのだそうだ。そこに読者はいなくても良い。吐き出す先が重要なのである。古くからコンピュータに携わってきた人ならblogなど引き合いに出すまでもなく、/dev/nullという何かを書き込むと単に捨て去るだけの装置に愚痴を書き込んだことがあるかもしれない。そこには読み手はいないし、想定しようもない。
一方で、この「吐き出すことで満足する」という考え方は想像しやすく魅力的だが、やや乱暴なようでもある。常識的に考えるに、単に捨て去るだけの書き込みに人が満足するとも思えない。実際には読まれることがなかったとしても、誰かが読むことを想定して日記やblogが書かれると考えるほうが、しっくりするように思われる。

今でこそ狭義の日記は、日付と毎日の出来事とそれに関するちょっとした感想や考えを記録するものであって、時に天気などの客観的情報も加えられたりもするが、そうした定義は極めて狭い意味と考えるべきだろう。平安の古より人は日記を綴り、今で言う文学のひとつとして成立してきたのだという。日記は必ずしもリアルタイムにその日その日で記録されたとは限らず、時には脚色もされて、随分後から書かれたものも多いらしい。
そうした意味において、blogの少なくとも一部は、昔からある日記の延長と言えるかもしれない。書き手が何かを思いそれを単に記録に残す場合もあれば、何か意図があってそれを広く伝えるために書く場合もあろう。目的を持った旅路の記録としての日記もあれば、仕えた貴族の賛美ということもある。その構図は今も変わらない。
個人的な旅行の思い出の記録もあれば、仕事で参加した会議の作法を綴ったものもある。支持する政党の考え方を書いて後押ししているものはインフォーマルな形で書くと胡散臭いが、それでも確かに存在する。もちろんその逆の批判めいたblogは、ずっとたくさん存在する。
昔との違いがあるとすれば、今はやたらと情報提供を目的としたblogが多いということだろうか。

タイムリーに情報提供するには、1200年昔のインフラとしての日記は、勿論不十分だった。昨日何があったではなく、昨年何があった程度のタイムスパンが限界だったはずである。Webがなかったどころか印刷機がない状態では、タイムリーに広く読まれることは想定しようがなかったのだから。
恐らくは、そのタイムスパンにおいて1200年昔の日記は、読者を想定していたはずである。すなわち、次の世代に向けて。次の世代が読者であれば、他人に見せることのない個人的な記録と読ませるための作品が両立する。極少数の選ばれた読者だけが、僅かに遅れてそれを読むことのできる幸運を手にするのである。
これが、江戸になってくれば話は異なる。調べたことがないのでわからないが、限界のあった人間印刷機である写本ですら組織的になったのではないか。日記の古典的な形態でありながら商業化を意識した、あるいは商業化の計画の一環としての作品が生まれたに違いない。

キーン氏は、一般読者に向けて、日記の変遷を丁寧に見せてくれる。ひとつひとつの日記を個別に紹介しながら、時折挿まれる大きな流れを外観する助けも借りて、読者は、短期間に歴史のうねりまでを実感することになる。時には、日本以外の日記や詩歌の引用により、その時代の日本の日記の特質を描き出して見せてくれることすらある。文庫本であってもポケットに入ると言うには無理のあるその厚みに圧倒される読みでのある本ではあるが、1000年を遥かに超える日記文学の歴史が目の前にあることに驚きを禁じ得ない。
高校生が学ぶ古典の日記は、平安時代と江戸時代がほぼすべてである。それどころか、日記に限らず学ぶ古典すべてに、この大きなギャップがあるように思われる。しかも文法解釈と現代とは異なる語意の理解に明け暮れるので、時代的なギャップに気づくことなく時間が過ぎて行く。勿論、そのような理解は個人的なものであって、実際にはそれ以外も学んでいるのかもしれない。しかし少なくとも、個人的にはそう感じていたことは事実である。
今、それが、平安の終わり、貴族から武家の時代変わりゆく中で失われた部分と、再び訪れた江戸の平安にルネッサンスのように現れた部分とのギャップであったと思いあたる。
なるほど松尾芭蕉が描いた旅は、曽良のような随行者が書いた旅と異なっていると学んだように記憶してはいる。だから、芭蕉の書いたことを鵜呑みにするなと。今思えば、その講義は正しくなかったのである。芭蕉は最初から事実を記録するつもりなどなかったのだから。
感じたギャップは、「作品」としての価値であり、「記録」としての価値において存在しているのではない。そんなことを思いながら、1200年の時の流れを身近に想う本である。

本の中で流れ行く時代は、江戸で終わりを告げる。欠けたその後の日記文学は、続編として刊行されている。鷗外や啄木など、いよいよ華やかな日記を収めるのに文庫で800ページとさらに多くの文字が必要だったということだろうか。
そして考える。果たしてWebの時代の日記を論評するなら、キーン先生ならどう扱うのかと。

最近読んだ本

百代の過客 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)
ドナルド・キーン, 金関 寿夫 訳

世界を変えるデザイン――ものづくりには夢がある
シンシア スミス 著, 槌屋 詩野, 北村 陽子 訳