Bonne journée

Bonne journée (12)

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相変わらず寒い朝には霜柱が存在を主張し続けているが、時々温かい南風が入ったりして、ようやく冬も終わりそうに思えてきた。早朝の空もいくらか早く白み始め、金色に輝く月とクリーム色の混じったピンクの背景が明るさを増した空に春を感じさせる。

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20130303-002気が付けば、パンジーのすぐ横にはチューリップの芽がたくさん出ている。不思議なことに、芽が出てきても暫くは気付かない。自然とはそういうものなのだろう。

つららの季節は間違いなく終わりである。

Cross Cultural

le carrousel

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ヨーロッパの街には広場が多い。旧市街の狭い街並みを抜けるといきなり視界が開け、石畳の賑やかな空間が現れたり、新しい街並みが伝統的な様式で広場を備えていたり、生活の中で重要な場所となっている。オープンカフェでくつろぐ人や古本を物色している人を見ていると、そんな環境が羨ましいと思うと同時に、実は、街には必要な機能なのではないかと感じてくる。ある時には、やけに小さなハープを奏でている若い人がいて、ストリートミュージシャンもヨーロッパだとこうなるのかと妙に感心したりもしたが、聞いたところ、地元に昔からある伝統楽器で伝統音楽を伝えるグループの練習ということだった。日本だったら、さしずめ、なんとか太鼓の保存会といったところか。もちろん、若い人はロックだったりするのが普通だろうが、そういったエネルギー系の音楽は、夜遅くなってからがメインである。 Continue reading “le carrousel” →

Bonne journée

Bonne journée (11)

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寒いと熱いコーヒーが欲しくなる。夏でもホットコーヒーを飲みたいほうなので冬に限ったことではないが、寒い中で暖かくして飲むコーヒーは格別である。淹れたてのコーヒーの香りの甘さと苦味が一層強く感じる瞬間が心地よい。

グレイラインのバスに乗っていると、バスストップにあるコーヒーサービスで水筒サイズのカップにたっぷり補給するちゃっかり者を見かけたりするが、あれはコーヒーが妙に薄いからできるのだろう。フランスだと、特に注文をつけなければ濃くて香りの強いコーヒーが出てくる。もちろん量は少なめだ。だが、皆が濃いめのコーヒーが好きなのかと思いきや、そうでもないらしい。薄くしてくれと頼んだり、カフェインを抜いたデカフェを頼んだりする人も多い。大抵エスプレッソが置いてあるあたりは強いコーヒーが好きな人が多いということだろうが、もはやステレオタイプな見方なのだろう。シアトル系コーヒー店がほとんどないのはおそらく別な理由だろうが、従来型の見方は当てはまらないと考えた方が良さそうだ。ちなみに、コーヒーを最も飲む国はフィンランドだそうである。これまた、日本人が抱くイメージとは少し違うかもしれない。 Continue reading “Bonne journée (11)” →

Cross Cultural

誰か落としませんでしたか

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ずいぶんと昔のことだが、チューリッヒから中東経由で東京に戻ったことがある。いわゆる「南回り」である。多少時間がかかるとはいっても直行便の10倍かかるというわけでもない。途中のトランジットを楽しんだ上に安いのだから、特に急ぐ旅でなければ、選択肢にいれても良い。
その時のスチュワーデスは、英語、フランス語、韓国語、日本語の4か国語を話したように記憶している。韓国語もフランス語もわからない私は、もっぱら通じない英語で苦労をしたことが妙に印象に残っている。隣の乗客は、アメリカ在住の南イエメン人だった。確か、南部の何処かの州だったと思うが、そこからニューヨーク経由でヨーロッパの何処かに飛んで、さらにチューリッヒに飛び、いよいよ中東まで来たところだとしみじみと語っていた。長い道程であったが、実家までもう少しのところまで来たと。地球儀を眺めれば確かにもうすぐだが、これからもう一本乗り継ぐとかで、相当疲れた様子だった。

正確には、南イエメンという国は、現在存在しない。20年ほど前にもうひとつのイエメンと統一され、最終的にイエメン共和国となった。統一後も内戦があったと聞く。今はどんな国となっているのか、接点もなくまったく知らないが、隣り合わせたイエメン人がとても嬉しそうにしていたところをみると、きっと素晴らしい故郷なのだろう。もちろん、何もかもがバラ色などという事はないのが常である。彼は、搭乗時に預けた乾電池のことをしきりに気にしていた。手にいれにくいのだという。時代も代わり、今はもうそんなこともないのかもしれないが、少なくとも当時は電池を無くしたくないということだった。 Continue reading “誰か落としませんでしたか” →

Bonne journée

Bonne journée (10)

20130203-00110回目の区切りの良い Bonne journée に悲しげな写真である。衰弱し枯死に至ると書かれグルグルと紐が巻かれた様子は、物悲しいという他人事のような感覚より、自らへの不安すら感じさせる。

樹木の寿命は、それが大きければ大きいほど無限のようにも感じてしまいがちだが、実際には意外に永くはない。森は大きくなった木々が朽ちて新たな若木が育つことで刷新されて行く。冬は終わりの季節であると同時に準備の期間だ。シデコブシの枝先には銀色の羽毛。春の気配がしてきた。