Bonne journée, Photo

カンゲンクゲン


湿気が溶けこんだシャツの重みに
上がらなくなった両肩と
白く凍った空に吸い込まれていく
ヒリヒリ痛む首筋とを
忘れようと歩き出す昨日

ギッタン カンゲン
クゲン ムゲン
ラッカン キッタン
ギーチョン グン
青野原に潜むスニーカー
蒸せかえる沈黙
耐えきれず鳴くキリギリス
蚊をつぶす手が誘う静寂
シンシン カンシン
シカン オカン
クウカン ゴッカン
シータン ズン
白い息に痺れ始めたスニーカー
諫言を重ねたメッセージ
不意に広がる空から落ちる六花
音の染み込んだ土色の死骸

無限 諫言 歓楽 苦言
思い出すには単純過ぎる昨日

 このBlogには習作でも掲載してきたが、今回もネコトコトリのシリーズの新しい試みである。単なる言葉の遊びと思われるかもしれないが、毎回何かしら試していることがあって、今回は感じ二文字の熟語とリズムの組み合わせをテストしている。
 もし、夏と冬とが同居したシーンと快楽と苦行が淡々と同居する日常とが混じり合った記憶のようなものとを感じ取っていただけたら、この詩は成功したと思っているのだが、どうだろうか。

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #153


 正月に咲く水仙は、春らしさを最初に感じる花であるとともに、どこか寒さも思う花でもある。冬のまだ弱い日差しに咲く小さな花を見ていたら、小さな蜂が現れた。ここにも春があるのか、まだまだ続く冬に備えて忙しいのか、見ている側の心のうちが透けて見えるような気がして落ち着かない。
 そんなことを考えること自体、どこか自己愛が出ているような気がすると思ったが、そもそも水仙は英語でもナルキッソス(narcissus、英語の発音はナーシサス)であって、湖水に映る自分に恋焦がれた罰として水仙になってしまった自己愛の象徴みたいな存在である。完全に見透かされたらしい。