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Mostly Monochrome Monday #463


The reason we feel awe towards places that lie beyond our reach is not so much because they appear mystical, but because they are places that are out of our grasp.

辿り着けないその奥にある場所に畏敬の念を感じるのは、その場所が神秘的に見えることよりも、自分には手の届かない場所であることによる。

A Part of Mostly Monochrome Monday

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #282


 このオオスカシバは、スズメガ(雀蛾)の一種で蜂ではありません。スズメガは、テンガ(天蛾)とも書きますのでなかなかややこしいのですが、要は蝶もその仲間のひとつである蛾の一種であって、当然毒針も持たず、花の蜜を集めて飛び回っています。
 ややこしいついでに書けば、オオスカシバは、大きな透かし翅(はね)だろうと思うのですが、透かし翅を持つスカシバの仲間ではありません。スカシバに似ているがそれより大きなスズメガであって、意外なことに蚕も案外近縁のようです。
 オオスカシバはありふれた蛾ではありますが、最近はあまり見かけなくなったような気がします。幼虫はクチナシなどで育ち、かなりの大食漢であるとのこと。見かけたら駆除されてしまいますので、都会ではあまり見かけなくなったと言うことなのかもしれません。

 こんな見た目ですし、蜜を吸う時はホバリングもしますから、蜂と間違われるのはある意味、仕方ないことではあります。もしかしたら、この見た目が一種の擬態として作用しているのかなと思います。巨大な蜂に見えれば、鳥に襲われる確率も低そうです。
 でも、ふと思うわけです。蛾なのに、どうして羽が透明なんだろうと。透明な羽がありなら、透明な蝶々だっていそうです。
 少し調べてみてわかりました。このオオスカシバ、サナギから蛾として出てきたばかりは、蝶や蛾の仲間らしく、鱗粉に覆われた羽を持っているらしいのです。普通の蛾と違って、ホバリングのために羽をかなり震わせます。そんな小刻みに震える羽根から、あっという間に鱗粉が剥がれるとのこと。自然界は、ほんとうによくできています。

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Mostly Monochrome Monday #462


When it rains, I get fed up with getting wet, and when the sun shines, I complain about the heat. I’m disgusted with myself for feeling this way, but in the end, I’m the one who enjoys the weather.

雨が降れば降ったで、自分が濡れることに辟易し、晴れが続けば、暑いと文句を言う。そんな自分にうんざりしながら、結局その天気を楽しんでいるのも自分だったりする。

A Part of Mostly Monochrome Monday

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #281


 このポストは、完全に予約ポストであって、私はここにはいません。

 …と言うのは本当なのですが、今日の話題は「私はここにはいません」です。この「ここ」ってどこなのでしょう。

 哲学的な疑問を投げかけているわけではありません。今、予約ポスト用に記事を書いている7/4(土曜)の自分は、自宅のソファーでMacのキーボードを叩きながら、「ここ」って自宅のソファーってことじゃないよなあ、なんて考えているわけです。きっと予約した7/10(金曜)のBlogページのどこかが「ここ」なのです。

 いや、待てよ。まだ影も形もない7/10(金曜)を想像して、もっと言えばありもしないBlogページという場所を「ここ」と言っている?それって変じゃない?なんて思い始めます。もしかしたら、「私はここにはいません」という言い方が間違っている可能性もあります。ひょっとしたら、「私は7/4(土曜)にここにいました」と言うべきなのかもしれません。

 ここまで書いておいてこう言うのもどうかと思うのですが、英語だったらどうでしょう。”I’m not there.” と書くのでしょう。Google翻訳に訳させると、”I’m not here.”と訳すところですが、明らかに読者がいるので、読者にとっての「そこ」にいないと言わないと混乱するかもしれません。「来週行くよ〜」と言うのに”I will go next week”なんて言ったら、どこに行くのかなあ?会えないのかなと思ってしまうのと似ています。きっと、”I will come”なのです。

 まあ、どうでも良い話ではあります。ここがどこだって結果は同じ。大抵は意味は通じます。それって、大抵は、互いに何とか相手の言うことを理解しようとしているコミュニケーションの努力の結果なのです。その重要性を理解しない輩もいるのは確かですが、そこはそれ、仕方ないのです。たぶん。