
The soft sunlight at the start of a hot and humid day casts shadows on the summer grass.
蒸し暑い1日の始まりのまだ柔らかな日差しが、夏草に影を映し出す。
A Part of Mostly Monochrome Monday

capturing in prose

The soft sunlight at the start of a hot and humid day casts shadows on the summer grass.
蒸し暑い1日の始まりのまだ柔らかな日差しが、夏草に影を映し出す。
A Part of Mostly Monochrome Monday


もう花も終わりのヤグルマギクを見ながら、昔の職場の近所にあった原っぱを思い出した。原っぱなんていつの時代の言葉だろう。昭和を古い時代遅れの懐かしい昔のように言う風潮にも慣れたが、その慣れのせいなのか、色々な言葉が古臭く感じて使いにくくなった。それで他の言葉を探すのだが、思い出したものは「原っぱ」としか表現が思いつかない場所だった。
原っぱ。決して自然が残された草原のような場所でも、森の中に開いた草地でも、作られた遊び場でもなく、何かの跡地を整地したものの、ずっとそのまま残されたままの土地で、それでも定期的に草が刈られている。立ち入り禁止で、杭が立てられロープで区切られてはいるが、子供たちは時々その原っぱに入り込んで鬼ごっこをしたり、バッタを捕まえたりもしている。子供たちの目から見ればその場所は十分に広く、小さな空き地といった類ではない。
ともかく、そんな場所なのである。思い出した原っぱは、季節折々に花が咲いていた。おそらくは以前にはタネが撒かれ、しばらくは整備されていたのだろう。その花が残って、毎年、同じように花が咲く。もう整備はされていないから、終わった花殻も積まれることは無い。だから、茶色くなった花弁がまだ咲き続ける花に混じっている。作られた花壇ではなく、原っぱの自己主張。
この場所は、きっと間も無く刈り取られる。放置された原っぱなどではなく、花壇の一部である。それでも都会に住み続けていると、こんな風景がきっと楽しいのだ。

The reason we feel awe towards places that lie beyond our reach is not so much because they appear mystical, but because they are places that are out of our grasp.
辿り着けないその奥にある場所に畏敬の念を感じるのは、その場所が神秘的に見えることよりも、自分には手の届かない場所であることによる。
A Part of Mostly Monochrome Monday

このオオスカシバは、スズメガ(雀蛾)の一種で蜂ではありません。スズメガは、テンガ(天蛾)とも書きますのでなかなかややこしいのですが、要は蝶もその仲間のひとつである蛾の一種であって、当然毒針も持たず、花の蜜を集めて飛び回っています。
ややこしいついでに書けば、オオスカシバは、大きな透かし翅(はね)だろうと思うのですが、透かし翅を持つスカシバの仲間ではありません。スカシバに似ているがそれより大きなスズメガであって、意外なことに蚕も案外近縁のようです。
オオスカシバはありふれた蛾ではありますが、最近はあまり見かけなくなったような気がします。幼虫はクチナシなどで育ち、かなりの大食漢であるとのこと。見かけたら駆除されてしまいますので、都会ではあまり見かけなくなったと言うことなのかもしれません。
こんな見た目ですし、蜜を吸う時はホバリングもしますから、蜂と間違われるのはある意味、仕方ないことではあります。もしかしたら、この見た目が一種の擬態として作用しているのかなと思います。巨大な蜂に見えれば、鳥に襲われる確率も低そうです。
でも、ふと思うわけです。蛾なのに、どうして羽が透明なんだろうと。透明な羽がありなら、透明な蝶々だっていそうです。
少し調べてみてわかりました。このオオスカシバ、サナギから蛾として出てきたばかりは、蝶や蛾の仲間らしく、鱗粉に覆われた羽を持っているらしいのです。普通の蛾と違って、ホバリングのために羽をかなり震わせます。そんな小刻みに震える羽根から、あっという間に鱗粉が剥がれるとのこと。自然界は、ほんとうによくできています。