Cross Cultural, Photo

Floral Friday #186


 7月の後半にいつものように梅雨が明けて、梅雨明け十日の言い方通り良い天気が続いたと思ったら、その後もほとんど雨の降らなかった夏。
 ひと月以上も雨らしい雨にもあたらず、連日報道されていた雷雨も知らず、30度くらいまでしか気温が下がらない蒸し暑い朝と、35度を超える焼けるような午後にひたすら耐え、その暑さに慣れることもなく過ぎ去るのを待った夏。
 涼を求めてどこか遠くに旅することも、繰り返す灼熱の日々を受け入れることも、いつもの夏を思い出すことも叶わない程に身体に堪えた夏。
 その夏の終わりに突然降り始めた驟雨は、身体を喜ばせることも、心を楽しませることもなく、再び耐えて待つことを要求する雨となった。

 異常気象とかいう言葉で軽々に語るものでもなさそうだが、ひとまずは区切りがついて、ほんの少し秋に近づいたことを喜ぶべきなのだろう。やれやれ。

Photo, photo challenge

Mostly Monochrome Monday #370, and LAPC #314


When summer comes to an end, I feel like going out and looking for summer, not because I love summer, but because I feel relieved that summer is coming to an end.

夏が終わろうとすると夏を探しに行きたくなるのは、夏が好きだからではなく、夏が終わろうとしていることにホッとしているから。

A Part of Mostly Monochrome Monday

and

A Part of Lens Artists Challenge #314: Shorelines

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #185


 先日、外出先でお昼ご飯を食べようとレストランを探したところ、近くにひまわり畑がある道の駅を発見し、混雑しているかなと思いながら立ち寄った。何も知らなかったが人気の道の駅である上に、そのひまわり畑は最終日ということもあって、お昼ご飯を食べるどころか駐車上に入ることもできず、そそくさとその場を後にした。確かに見事なひまわり畑で、当日の何時からかはわからないが、持って帰っても良い日だったそうである。背丈よりも大きなひまわりは、夏の強烈な光を浴びて輝いていて、確かに一目見るだけでも価値があると思わせるものだった。

 この写真は、当然ながら、その時のものではない。何しろ車を止める余裕もなかったのだから、写真も撮りようもない。ただ遠くから眺めただけだったし、お昼ご飯はそれから1時間半後になってしまったほどだ。田舎の狭い道で、Uターンすることさえ出来ない状況で、遠回りをして別な場所に移動した。

 しばらくしてふと考えた。こんなに混雑しているひまわり畑で見るひまわりと、ゴッホがアルルで見たひまわりは、それでも同じなのだろうかと。ひょっとしたらアルルのひまわりは違って見えたのではないかと。いくら考えたところで結論は出ないのだが、フランスのひまわり畑も同じように一面に広がるものだった。畑なのだから、効率的にタネを取れるように作られているに違いない。ゴッホが見たなんて書くとたいそうなもののようだが、むしろ畑という人の営みが作り出すものという点では、何も変わらないに違いない。きっとアルルに行ってみても、ゴッホが何を見たのかはわからないだろうな。そう思うのである。