Bonne journée, Cross Cultural

土曜の午後に

日常が戻ってきた。
安っぽいスピーカーから流れるフレンチカリビアンも、繁華街の片隅にある公共施設の前で誰かを祝う拍手も、遠くの通りを行くデモ隊のアジテーションも、幾重にも重なり合いながら、エアコンディショナーのコンプレッサーのハム音のように不思議と誰も気にしない通奏音となっていく。やがて、錆びた金属のような喧騒が唐突に終われば、カモメの甲高い声と外のテーブルを挟むおしゃべりが、自分たちが次の主役だと言わんばかりに主張を始め、次の仕事を待つ配達員がスマフォを取り出して誰でもない誰かに何かを話す。9月の土曜日がやってきた。

衛生パスを案内するレストラン

あまりCOVID-19のことなど気にならなくなって来たのかもしれない。フランスでは相変わらず検査の列もできているし、衛生パスが無ければ入れない場所もある。レストランは丁寧に衛生パスをチェックしているし、店舗の上限人数も入り口にしっかりと書かれて一定のルールは守られている。それでも外でマスクをしている人もだいぶ少なくなって、一時期のような閑散とした街はもうない。2年前は催涙弾が飛び交うような黄色いベスト運動のデモが盛んだったから、衛生パス反対デモの明るく華やかな様子を見ていれば、むしろずっと以前の生活が戻ったようにすら錯覚しなくもない。普通に買い物を楽しみ、レストランで食事を取りながら楽しいおしゃべりもする。前保険相に対する予備審まで始まって、コロナは過去の事だったのかと思いたくもなる。容疑は人々の命をコロナの危険に晒したという事らしい。当時、フランスは遠い東洋の話だったのだ。

だが、実際のところはだいぶ違う。相変わらず1万人の新規感染者が毎日記録され、国庫は火の車だ。フランスのやり方が決して理想的なわけではない。世界で最も厳しいと言われたロックダウンもすれば、衛生パスを使った生活の制限もしながら、感染者数は相変わらず多いままだ。

それでもフランスから学べることもある。衛生パスのアプリを見れば、ワクチン接種者と非接種者の陽性率や重症化率、入院のベッド占有率や主要な変異株の比率など、さまざまな数字が客観的に示され、施策には基準が伴う。ほぼ全ての店舗には入れる人数の上限値がしっかり大きく書いてあるし、検査もワクチンも全てQRコードで管理できるようになっている。家の掃除や語学レッスンのような個人の契約ですら、たとえ一人しか雇っていない場合であっても、国が費用を負担するから契約の解除はしないようにと念押しのメールまでしてくる国である。日本では「もうやれることが少なくなった」と誰かが言っていたようだが、きっとまだまだやれることがある。できない理由よりもできる理由を探すべきなのだろう。

衛生パスの反対デモは、少しずつだが規模が小さくなってきたらしい。気をつけなければならないのは、これがワクチン反対デモではないという事だ。自由を愛する国である。衛生パスで縛られることに反対しているのだ。生粋のフランス人の知人に言わせれば「あいつらはバカなんだ」の一言なのだが、そうやって自由を主張する人々を見ていると、やっぱり日常が戻ってきたのだなと感じるわけである。

Bonne journée, Cross Cultural

autumn

8月の終わりといえば夏休みの終わりだと思っていたのは一体いつのことだったろうと、少し感傷的な気分になるのが8月の終わりでもある。学生の頃はといえば既に2学期制で夏休みも曖昧だったし、今は日本を離れて夏休みの感覚もない。誰もがバカンスに行く夏は、風通しの良い部屋で宿題をやったり、焼けるような暑さの中をプールに通う夏休みとは少し違って、日常を離れて過ごす特別な日々なのだろう。「夏休み」という日本語とは少し違う。

スーパーに行けば、一番目立つところにあったバーベキューセットはどこへやら。真っ先に目に飛び込んでくるのは新入生セールの通学バッグや文房具ばかりで、これでもかと山積みになっている。残り少なくなったノートを買い足すなら安くて良い時期だからちゃっかり利用させてもらっているが、夏休みが終わって残暑の新学期が始まる感覚はない。

公園を歩けばドングリが無数になって枝先が下がり、そんなものはまだ美味しくないと言わんばかりにリスは別な木に登っていく。もう秋なのだ。朝は10度しかないから上着がないといられないし、午後も20度程度で半袖だと少し肌寒い。あとひと月もすれば、冷たい雨の10月がやってくる。少しばかり麦わら帽子の似合う夏休みが欲しいと思う8月の終わりである。

Bonne journée, Cross Cultural

Fête nationale du 14 juillet

日本語だと「革命記念日」とか「パリ祭」であるし、英語なら”Bastille Day”(バスティーユ牢獄襲撃日)なのだが、フランスは単に «Le Quatorze Juillet»(7月14日)と言う。アメリカで独立記念日を日付で言うのとも似ているが、「フランス国祭の7月14日」とは言っても、「フランス国祭」とは言わない。

前夜となる7/13の深夜は年越しイベントのように花火がうるさくて眠れなかったし(GoogleですらDoodleをクリックすると花火が上がる)、恒例のシャンゼリゼの軍事パレードもあっていつもと変わらないようにも見えるが、イベントはいくつも中止されたようだ。パリから遠く離れたブルターニュでも戦闘機が低空で通り抜けたりしたものだが、それも今年は気づかなかった。そもそもフランスでワクチンが義務化されるなど、誰が予想しただろう。義務は医療従事者だけとはいえ、レストランの従業員もワクチンパスポートが必要となれば実質的には同じことである。それだけフランスは追い詰められているという事でもある。

午後になってようやく日差しが戻った7月14日の夜が、いつもの静かな夜であることを願っている。

Cross Cultural, Photo

ragondin

ハナウドでも野良ニンジンでもなさそうなこの白い花は何だろうと覗き込む。もちろん知らないのだから覗き込んだところで答えはない。案外一年中咲いているフランス菊も流石に盛りは過ぎて、一面の白い花畑はもうないが、この水辺の白は勢いを増すばかりだ。記録メモとして写真を撮っておこうとカメラを高く持ち上げて。構図も関係なしにシャッターを切る。そんなことをしながらふと気がついた。水の中に体長50cmほどもあるネズミが泳いでいると。

おそらくはヌートリアだろう。フランスではラゴンダン(ragondin)という。カピパラとも似ているが、より小さく、顔立ちはよりネズミらしい風貌で、害獣指定されている。毛皮目的で飼われていたものが野生化してしまったというのが本当のところであって、本来は南米の動物だそうだ。日本にも西日本に野生化しているそうなので世界中に広がっているということなのだろう。

世界は急速に小さくなっている。

Bonne journée, Cross Cultural

ブルターニュ

「パリはフランスとは違う。だから、マスクもしないたくさんの若者がセーヌ川のほとりでビールを楽しんでいるなどと、パリの事をフランスの事のように話さないでほしい。」
「ロンドンはEUではない。だから、パブでビールを飲むならマスクは要らないなどと、ロンドンの事をEUの事のように話さないでほしい。」

正直に言えば、そこまで直接的な言い方ではないかもしれないが、それでもこの2年ほどで何度か聞かされた話の一部ではある。パリに用事があってTGVの予約をすれば駅からはスリだらけのバスに乗るなと言い、EUのCOVID-19感染状況マップ上を見れば英国とスイスは真っ白のままでであれはEUじゃないからねと言う。

パリが安全ではないと言うのは、ある意味本当のことであって、仕方ない反応ではある。地方の道を歩いていて財布をすられることなど滅多にないが、その地方からパリに出かけた人の何人かは何かを経験している。白昼堂々身包み剥がされそうになったとか、携帯を奪われたとか、そんな類いである。日本人を含む外国人の話ではない。地方生まれ地方育ちの生粋のフランス人の話である。だから、フランスにはパリとフランスがあるなどと言いたくなるわけである。いや、単に田舎者と言うだけじゃないのかとは思わないわけでもないが、そこはそれ、礼儀というものもある。

だから地方の人がパリが嫌いかと言われれば、そんな事もない。確かに特段の用事もないのにわざわざ行くような場所ではないだろうが、むしろフランスの中でもパリは別物と思っているだけなのである。多少の偏見もあるだろうが、一人ではなく複数の知人が言うのだから特殊な話などではないはずである。あんな狭い家には住みたくないだとか、1時間も通勤電車に揺られるなんてごめんだとか、そんな感覚がおそらくパリに距離感を感じる理由なのだろう。

ただ、ブルターニュについて言えば、多少違った要素もあるにはある。ここで言うブルターニュとは、フランス北西端の行政単位としてのブルターニュ地域圏と言うより…

(続きはまた後日。)