Bonne journée, Cross Cultural

Bonne journée (23):Bluetooth keyboard

20131201-001ここしばらくiPhoneについて書いていなかったが、Bluetooth keyboardを時々使うようになったので、感じた事などを少しばかり。(The text was written only in Japanese)

個人的な事で恐縮だが、フリック入力がどうも性に合わない。ガラケーを使っていた頃もテンキー入力が苦手だったから、そもそもフリック入力以前の問題というべきか。「な」行と「は」行がごちゃごちゃになったり、押す回数を間違ったりと、長文入力など考えられないという思いが強かった。どうせテンキーが苦手だったのだからと、いっそこの機会にフリック入力を覚えてしまおうと暫く努力したものの、結局はイライラがつのるばかりで、それ以来、ずっとフルキー入力だけを使っている。もはや、テンキーは表示されない設定のまま、2年以上の時間が経った。

あまり評判の良くないiPhoneのフルキーボードも慣れればかなり高速に入力が出来る。両手の親指を使えば相当楽である。特に英文入力は良く出来ている。単語の途中まで入力すれば概ね正しい候補が表示されるし、スペルミスもかなり訂正される。ピリオドすら入力する必要がない。スペースキーを2回連続して打てば、ピリオドが自動で入力される。時々、余計なスペルチェックが働いて、似たような違う単語に変換されてしまうことが最大の問題だろうか。似たスペルだから変換されたわけで、さっと読み返した時に気づかないことがあるからだ。

ところが、人間は贅沢なもので、慣れたといっても不満は出てくるものである。PC用の物理的なキーボードよりiOSのソフトキーボードが入力しにくいのは当然としても、日本語配列と英語配列を切り替える度になぜかミスタッチが多くなる。そして、結局はイライラするというわけである。アイソレーション・キーボードのような見た目ではあるが、実際には絵が書いてあるだけで、キーの間隔が広いというわけではない。そもそもiPhoneのディスプレイ幅にフルキーが収まっているから、幅を確保することなど望むべくもない。指が慣れるのを待つ以外にないのだろう。ずっとそう思ってある程度割り切って使ってきた。

ちょっとした入力は何でもない。検索キーワードを入力したり、短いメモやメールを書くなら全くストレスを感じない。このブログのほとんどのポストの下書きは、実際のところiPhoneで書いたものだ。電車の中などで時間があるとちょっと書き、それを積み重ねて最後はPCで書き直す。そんなやり方を続けている。だが、やはり長い文章となるとストレスがたまる。仕方ないこととは思っていたが、原因のひとつはつまらないことにあると最近気がついた。どうやら、英語キーボードと日本語キーボードの微妙な配列の違いが案外大きな原因なのである。

20131201-002英語配列と日本語配列には、たったひとつだけ違いがある。日本語だけハイフンキーが付けられている。なるほど長音を入力する機会の多い日本語では便利な配列だろう。「キーボード」という単語を入力するにはぜひ欲しいキーである。とは言え、このたったひとつのキーにより、中段のキー配列は左に半分ずれている。だから、keyboardという単語を入力した後で日本語を入力すると半分だけずれたキーを叩くらしいのだ。ミスタッチが多いのはiやoで右上が多い。こんな小さなソフトウェアキーボードで位置の違いが出るのだから、人間の脳は良く出来ているということか。

なんだか前置きばかりとなってしまったが、そんな理由でBluetooth keyboardを使い始めた。使うのは専ら自宅でさっと入力したい時であって、今のところは出先では使っていない。電車の中での入力程度なら今のところさほど困っていないから、どちらかというとPCを立ち上げずに文章を書きたい時用だ。少々もったいない使い方なのだが、長めの文章となると断然楽である。ソフトウェアキーボードを非表示にすることで広い領域が見渡せるし、そもそもあまりキーボードに目を落とす必要がない。

使い始めて気がついたのは、カーソル移動が使えるのが案外便利だということだ。タッチパネルに慣れてカーソルキーなんて要らないという感覚にもなってきていたが、文字を書くならやはり便利なのである。さっと文章を書いて、前に書き足そうなどと思った時には、カーソルキーで移動したくなる。キーボードから手を離してスクリーンを触りたくはない。さすがにPCで編集するのに比べれば面倒だが、イライラはだいぶ解消された。

使っているのは新潟のリュウド(REUDO)という会社の折りたたみ型キーボード(RBK-3200BTi)だ。少々華奢ではあるが、使わない時には小さくなるから邪魔にならないのが良い。恐らくは、家の中だけで使うなら、寧ろ普通の折りたたみではないものの方が良いのだろう。膝の上で使う場合でも、しっかりしている方が安定するに違いない。折りたたみにしたのは、小さくて邪魔にならないというだけでなく、使う時に十分なキーピッチがあることを考慮したからだ。いくつか試してみて、キーピッチが狭い小型のキーボードでも慣れれば入力に問題ないことは分かっていたが、ブラインドタッチは難しい。そう思っての選択である。使ってみて、ほぼ普通のキーボードと同じ感覚でキーがあるのは確かに大きなメリットだと感じている。

ところで、個人的には、もうひとつメリットがあった。iOSの英語キーボードは(内部的には)ASCII配列であるが、仕事でもASCII配列を使っているので、違和感が少ないのだ。JIS配列(普通の日本語キーボード)とASCII配列には大きな違いはない。ともにQWERTYだ。だが、セミコロンやアポストロフィの位置が違う。これが違うだけで、またもやイライラすることになる。ASCII配列は大変にありがたい。

因みに、フランス語のキーボードもまた違う。カナダのフランス語配列はほぼASCIIやJIS配列と同じだが、éとかçとかを入力するために、右の方に特別なキーがある。フランスのフランス語キーボード(またもやややこしい)は、AZERTY配列で、AとQなどが入れ替わってこれまた違う。以前、面白がって買おうと思ったが、いくらなんでも使いにくいから思いとどまった。とは言え、最近はフランスでもASCII配列を使う人が多いそうだ。アクセント記号はあまり気にしないということか。

キーボードの事を書いていたはずなのに、今回もまたフランスに関する事に脱線してしまった。このブログの基本テーマのひとつはカルチャーギャップなので、とりあえずご理解いただきたい。

さて、ともあれ快適になったキー入力だが、やはり、となりで凄い勢いでフリック入力をしている人を見ると羨ましい。話すより速いのではと思う人の指の動きは、もはや残像が見えそうである。脳がついていけるのかと心配してしまうが、余計なお世話なのだろう。そんなつまらない事を考えている自分は、今日も、あくまでもフルキーボード派である。これもまたカルチャーギャップか。

今日も良い一日を。

Bonne journée, Cross Cultural

Bonne journée (22):Chinese whisper

whispering bee(The article was written only in Japanese)

「何度も言ってるのに全然聞いてないんだから」という時は、ちゃんと伝える努力をしたかよく考えるべきだそうだ。ビジネス書などによく書かれている話である。曰く、相手の分かる視点で話をしたか。曰く、伝わったかどうか確認できる質問をしたか。曰く、相手の目を見て語りかけたか。要はコミュニケーションは思ったほど簡単ではありませんよということだろう。

小学校あたりだと、この伝えることの難しさを遊びで教えたりする。いわゆる「伝言ゲーム」である。ゲーム嫌いだから、バスでの遠足やお楽しみ会(なんという表現!)ではもっぱら影に隠れて参加しないで済むようにしてきた身としては、伝言ゲームを語る立場にないと思うほど記憶が薄い。だが、何やら紙を渡されて開いてみたらやたらと長い文章が書かれていたといった記憶はある。今になってみれば、記憶力ゲームじゃないかと思わないでもない。これが先頭なら簡単かと言えばそうでもない。最後の友達が答えを言うのを聞いて、完璧に伝わったと安心してホッとした途端、「はい、残念でした。おしい。」と打ちのめされる。「最初にこんにちはと挨拶がついてましたね。どこかで挨拶がなくなっちゃいました。」犯人はもちろん自分である。要件を一所懸命憶えたのに、頭がそっちに行って重要ではない部分が抜け落ちたのだ。記憶が薄いと書いたが嫌な事は思い出す。だからゲームが好きではなかったのだろう。さすがに大人になって、そんなつまらない理由でゲームが嫌だとは言わないが、未だ好ましくはない。

その伝言ゲームであるが、大人になると実際のゲームではなく、それは比喩的表現となる。先日も、伝言ゲーム状態で内容が怪しい情報を確認する必要があったが、そんなことは仕事をしていれば日常茶飯事だ。その時は、確認をとるのがまずは基本と連絡をとることにした。相手は例によってフランス人である。「又聞きの又聞きだから確認したい」と言う代わりに、伝言ゲームだからと書く。伝言ゲームは、英語でChinese whisperと表現する。中国人のささやきという感じだろうか。背景を知らないから何故そう表現するのかは皆目見当がつかない。まぁ、そう表現することだけは知っていたのでそう書いた。ところが返ってきた返事は、そんな表現は初めて知ったということだった。辞書か何かで調べて意味を理解したらしい。そして、素晴らしい表現を教えてくれたのだった。フランス語では、Téléphone Arabeと言うと。つまり、アラブの電話である。アラブの言葉が分からないからか、アラブの人の言うことが分からないかは不明である。ただ、違った言語で似たような表現をするらしいというのが面白い。次に使う機会がなかなかなさそうなのが少々残念ではある。

20131103-002そう言えば、先日も面白い言い方というか、名称を知った。ペリカンの写真を見てなんとなく辞書を引いたら、英国の押しボタン信号をPelican crossingというと書いてあったのだ。ペリカン横断である。おやと思ってよく読んだら、実はもともとはpelicanではなくpeliconだという(最後のところがcanではなくcon)。つまり、元は”Pedestrian light controlled crossing”(歩行者信号制御横断歩道)というわけで、押しボタン信号と言うのとたいして変わらない。本当に定着している名称なのかどうかは分からない。先日、イギリス人と会ったばかりなのに聞く事が出来なかったのが残念である。どなたか真偽のほどを教えてほしい。

日本でも交通系ICカードはSuicaにICOCAと語呂合わせ的な名前ばかりである。つまりはきっと同じ発想に違いない。覚えやすいとか、面白いとかそんなところだろう。となれば、pelican crossingはSuicaレベルだろう。ICOCAは一枚上手である。

さて、書いた内容にはほとんど責任を負えない伝聞ばかりである。Téléphone Arabeでないことを祈る。

今日も良い一日を。

Bonne journée

Bonne journée(21): Looking into a deep

20130921-001日本語は後半に。

Looking into a deep and dry blue 
through a break in the trees. 
Falling down to the sky like 
fragments of the summer filigrees. 

When dry air covers the city of Yokohama, close to Tokyo, it tells the Autumn is coming just over there. Autumn is also rainy season. Both dry air and rain brings the harvest season to Japan.

20130921-003乾いた深みを木々の間から覗き込む。光が零れるかわりに自分が落ちて行く。秋の空は深い。

通勤電車の軋む音にふと、前に座る疲れた誰かがふたり分の椅子を使ってうなだれているのに気付く。薄目を開けて混雑し始めた車内を見回し、再び目をつむる。まるで世界など最初からなかった様に、周囲から目をつむる。

ひどく暑かった夏の終わりに秋の扉をこじ開けた風雨が、ひと足先に黄色くなった葉を散らす。秋にはまだ少し間がある。

通勤電車が乗り換え駅に近付いて行く。スピーカーがパチと音をたてる。乗り換えの案内。そして、「どうぞこの先も気をつけて行ってらっしゃいませ」と、いつもと違うアナウンス。

Bonne journée

Bonne journée (20)

20130907-001日本語は後半に

It is easy to cherish tradition but difficult to do it in real life. Civilization is usually based on resorting to convenience and a cost rules the life. By only a paper-thin margin like devotion or abandon, tradition would be kept in fragmented days.

When you walk on a stone-paved road which was tradition of the Rome, it means, it is same that you walk on persistent effort whether it is an intention of the government or not. France, and some countries, has a common but a bit strange building regulation that restricts refurbishing a building to conservation of scenery of the town. It must be useful to keep the visible tradition but the law is applicable also for just ten-year-old buildings. Color of the wall, shape of the roof, etc. I don’t know it is a good way to make sure of conserving our essential life based on traditional culture.

At least, such a regulation would help unexpected encounter of missing time.

Have a nice day.

20130907-002

伝統を守ろうとすることは難しくないが、実際に実行することは簡単ではない。文明は利便性に頼ることを基礎とし、その人生はコストに支配されている。わずかに信仰心と諦めによって、伝統は分断された日々のなかで維持されているのだろう。

ローマの伝統である石畳の道を歩く時、それが行政の意図するところであろうとなかろうと、たゆまぬ努力の上を歩いていることを意味している。フランスやいくつかの国は、ありふれてはいるが少しばかり奇妙な法律を持っている。つまり、街の景観を保つよう建物の改修を制限する法である。それは視覚的な伝統を保持するに役立つに違いないが、築10年であっても法は適用される。壁の色も屋根の形もである。それが伝統文化に根ざす基礎的な生活の保存するものなのかはわからない。

少なくとも、このような法により失われた時への不意な出会いを後押しするようではある。

よい一日を。

Art, Bonne journée

Bonne journée (19)

20130810-002

日本語は後半に

A new TV ad series of the LED light project of musée de Louvre by Toshiba was shot in the museum. In the previous ad video, a little girl was just talking with an old man there. He was unknown man but obviously any art lover would likely imagine who he was because he was bearded. The ad looked common and non characteristic as usual corporate ads did. Continue reading “Bonne journée (19)”