Art, Bonne journée

Bonne journée (13)

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先週末(2013/3/10)の煙霧は、空だけでなくWeb上もあっという間に覆い尽くしたが、Wikipediaで見たら不思議なことにhazeとあった。つまり、靄(もや)であると。それなら当たり前の気象だと一瞬納得したが、いろいろと調べてみたら、エアロゾルと書いてあったり北関東の乾燥した土ぼこりだとあったりと、どうも不明確である。要は、気象学的には煙霧と分類される「何か」ということだ。すぐ先まで黄色い世界で見えなくなったから小松左京の「首都消失」を思い出して変な気分だった。原因がわからないと気持ちが悪いものである。
20130318-004一方、春は確実に本番となった。ソメイヨシノもちらほらピンクの花弁が見えてきたし、他の種類の桜も幾つか咲き始めている。こうなると散歩が楽しい。横浜で海を見ながらアート鑑賞などはどうだろうかと思いを巡らす。
そう思いながら、どういう訳か、渋谷にルーベンス(Peter Paul Rubens)を観に行って来た。渋谷駅からBunkamuraまでのコースは、到底春の散歩コースとは程遠い雑然とした色のフラッシュだが、ある種、季節感のない混沌が渋谷の個性ということだろう。皮肉屋のフォーヴィスム(Fauvisme)の画家が印象派スタイルで画いたらこんな絵にもなりはしないかなどと考えながら風景を眺めた。写真で見たエキサイティングな渋谷の交差点を自分の眼でも見たいというのでフランス人を連れて行ったことがあるが、もはや渋谷はブレードランナーの映像すらも超えたところがある。 Continue reading “Bonne journée (13)” →

Art, Bonne journée, Cross Cultural

Bonne journée (7)

焼き物 には陶器、炻器(せっき)、磁器とあって、ある程度、焼く時の温度で決まるものと思っていたが、土の違いが大きいそうである。自分の浅学を恥じるところだが、考えてみれば、その土地の焼き物は固有の姿を持っていて、その土地固有の土がそれを生み出していたりする。充分な質の土が採れなければ、伝統的な姿を維持することが難しい。伝統的な工芸とその土地の土があって、様々な焼き物があるのであろう。

栃木県南部の益子は、首都圏から日帰りできる焼き物の町のひとつである。近年、街中が大きく整備され、ちょっとしたリゾート風な感じの部分もあって、古いこじんまりと落ち着いた益子を知る身には少々淋しいが、せっかくの週末を過ごすなら、おしゃれなカフェのひとつもあった方が良い。観光シーズンの週末には蒸気機関車も運行され、山間の田園を歩けば、近代的な建造物もないのどかな風景が広がっている。

益子は、あまり報道もされないのでよく知られていないが、実は先の震災で大きな被害を受けている。周囲の市町村も含め、震災後の夏は、無残にも瓦屋根が崩れ、多くの家々の屋根にはブルーシートがかけられていた。倒壊するほどの被害は少なかったようであるが、壁が崩れたり、塀が倒れたりで、表面からは見えないところも含めて、相当な被害であっただろう。
しかし、この夏に訪ねた益子は、少なくとも表面的には、すっかりもとのようであった。もはやブルーシートもないし、崩れたと思われる塀もすっかり新しくなっている。知らない間にコンビニができて、少し風景が落ち着かなくなったりもしたが、そこに住む人にも旅行者にも利便性が増したのだから、それはそれで良い。
問題はそこではない。生活が立ち直った後にくる、益子らしさをどう取り戻すかにあるようだった。
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Art, Bonne journée

Bonne journée (5)

秋は行楽の季節である。夏のようなどこまでも明るくまぶしい季節ではないが、落ち着いたトーンの光にあふれている点では、夏以上に風景が眩しく見えることすらある。FMからは、音楽と共に楽しげなトークが聞こえてくるとなれば、急ぎすぎない日常が心地よく感じてくる。もちろん、三連休ともなれば、気が遠くなるような渋滞情報も聞こえてくるのだが。

10月の江ノ島周辺の海は、相変わらず夏のようにサーフボードとヨットでいっぱいだ。海岸で日焼けを楽しむ人は、真夏に比べればずっと少ないが、すぐ近くの葉山の海のような静かな海ではない。江ノ電のゆっくりと流れる車窓からは、夏と間違えてしまいそうな輝く海が見え隠れする。停車する駅から古い寺社に向かう人が散見されなければ、夏はもう終わることがないのだろうかとさえ思えてくる。それでも、もうじきこの最後の夏のかけらも影を潜め、初冬の心地よい寂しさがやって来る。

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Art, Cross Cultural

写真撮っても構いません

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ作「聖アンナと聖母子」は、ルーブル美術館に無数にある傑作のなかでは穴場である。展示室というよりは廊下に掲げられたその作品は、天を指し示す「洗礼者ヨハネ」と共に、静かに来場者を待つ。三角形に配された安定した構図と穏やかなトーンは、ゆっくりと眺めるのが一番あっている。未完とはいえ、ダ・ヴィンチが最後まで持っていた3枚のひとつである。完成度も高い。
巨大な作品が多いルーブル美術館では小ぶりな作品であるが、けして小さくはない。むしろ、目に付く作品である。しかし、ありがたいことに、ゆっくり眺められる程度に、その周りは混雑していない。足速に通り過ぎるひとがほとんどであって、せいぜいとなりあるヨハネと共に一瞥をくれて立ち去る程度である。なるべく空いているであろう平日の午前中を狙い、訪ねたら、絵を独占して飽きるまで眺めるというのが良い。時間が許されるパリ在住者が羨ましい。
その一方で、モナリザは、人と人との隙間からちらりと見えた知人を渋谷の雑踏のなかで捜すかのようである。ルーブルまで行って、見ないで帰るわけにもいかないだろうが、やっと見つけた知人は、ショーウィンドウのガラスの向こうにいて会話もできない。せめて写真だけでも撮って帰りたいところだが、人混みのなかではそれも難しい。ルーブルは、いたるところに記念写真のスポットがあるが、恐らくは、一番難しいのがモナリザであり、その次が、「サモトラケのニケ」やドラクロワの「民衆を導く自由の女神」だろうか。ともに高さが3mを超え、写真に収めるには少し離れなければならないからである。 Continue reading “写真撮っても構いません” →