Art, Photo

the last leaf


そろそろ冬も終わって春の気配がし始める頃、最後の1枚となった赤い葉が小枝の先にしがみついていた。小刻みに震える小枝には微かな光があたり、間も無く春の葉を広げる準備も整いつつあるというのに、真っ赤な残り葉は落ちようとはしない。光はその深紅の1枚に影を作り、春を伝える。

Just as winter was about to end and signs of spring were beginning to appear, the last red leaf was clinging to the end of a twig. A faint light shone on the trembling twig, and it was soon getting ready to unfurl its spring leaves, but the remaining bright red leaf refused to fall. The light cast a shadow on that scarlet leaf, heralding the arrival of spring.

Art, Bonne journée

撮影しても構いません


 レオナルド・ダ・ヴィンチ作「聖アンナと聖母子」は、ルーブル美術館に無数にある傑作のなかでは穴場である。展示室というよりは廊下に掲げられたその作品は、天を指し示す「洗礼者ヨハネ」と共に、静かに来場者を待つ。三角形に配された安定した構図と穏やかなトーンは、ゆっくりと眺めるのが一番あっている。未完とはいえ、ダ・ヴィンチが最後まで持っていた3枚のひとつである。完成度も高い。
 巨大な作品が多いルーブル美術館では小ぶりな作品であるが、けして小さくはない。むしろ、目に付く作品である。しかし、ありがたいことに、その周りは混雑していない。足速に通り過ぎるひとがほとんどであって、せいぜいとなりあるヨハネと共に一瞥をくれて立ち去る程度である。なるべく空いているであろう平日の午前中を狙い、訪ねたら、絵を独占して飽きるまで眺めるというのが良い。時間が許されるパリ在住者が羨ましい。
 その一方で、モナリザは、渋谷の雑踏のなかで人と人との隙間からちらりと見えた知人を捜すかのようである。ルーブル美術館まで行って、見ないで帰るわけにもいかないだろうが、やっと見つけたその知人は、ショーウィンドウのガラスの向こうにいて会話もできない。せめて写真だけでも撮って帰りたいところだが、人混みのなかではそれも難しい。ルーブル美術館には、いたるところに記念写真のスポットがあるが、恐らくは一番難しいのがモナリザであり、その次が「サモトラケのニケ」やドラクロワの「民衆を導く自由の女神」だろうか。ともに高さが3mを超え、写真に収めるには少し離れなければならないからである。

 ヨーロッパの美術館や博物館は、フラッシュさえ焚かなければ、写真撮影が許可されている場所が多い。研究のためにというより観光目的がほとんどだろうが、好きな絵とともに写真に収まったりあとで思い出したりするために撮っておくのは、多くの人の期待に沿っている。何故、日本ではほとんど許可されていないのか知らないが、権利面あたりにでも何か理由があるのだろう。
 よく言われる混雑緩和や絵の傷みへの対応というのは、分かったようでわからない理屈である。混雑していれば、撮影を終えて先に進むよう促せば良いことであるし、写真は反射光をセンシングしているだけだから、フラッシュを焚かなければ絵が傷むことはない。
 かつて品川にあった原美術館のオトニエル展は、その意味では、写真撮影可能な稀な展覧会であった。現代作家であるとは言え、作品を前に構図を考えることができるだけでも愉しみは何倍にもなる。

 ドイツ北部に位置する街、ハンザの女王リューベックには、トーマス・マンゆかりの博物館ブッデンブロークハウスがある。実際にトーマス・マンの祖父母が住んでいた家であり、トーマスマンとその兄ハインリッヒゆかりのものが多数置かれている。訪ねたのはずいぶん昔のことであるが、ここもまた、写真撮影が可能だった。リューベック自体が中世の様子を色濃く残すフォトジェニックな街であるが、トーマス・マンの時代も現代もずっと同じく生活が続いているのではないかと勘違いしてしまいそうな旧市街の佇まいが、いっそう旅愁をかきたてる。ホルステン門から中に入った瞬間から感じられる独特の雰囲気が、恐らくはそう感じさせるのだろう。木組ではなくレンガを主体としたまちづくりが、他の街との違いを際立たせるし、運河もまたこの地固有の雰囲気をあらわす。

 その雰囲気をゆっくりと味わっていたからか、ブッデンブロークハウスに着いた頃には夕方になってしまった。あと30分で博物館が閉まる時間である。来たからにはざっとでも見ておきたいというつもりでトーマス・マンゆかりの展示を見ていると、学芸員が近付いてくる。はい、閉館ですね、と思って身支度を整え始めると、学芸員は思ってもみなかった事を話だした。
「ここは、写真を撮ってもいいですよ。トーマス・マンはお好きですか?せっかくいらしたのですから、自由に写真を撮ってください。」
肩からカメラを下げていたからだろうが、わざわざ写真を撮って行けという。
「どちらからですか?日本でしょうか?リューベックはあまり知られていないので、日本の方は珍しいですね。私はまだしばらくいますから、是非、ゆっくりと見てください。今からあなたの貸し切りです。」

 ロシュトック行きの列車でリューベックに向かうと、その途中で東ドイツに行くならビザが要ると言われた時代である。確かに、日本人は少なかったのだろう。気を遣ってくれたに違いない。さすがに申し訳なく早めに帰ったが、それでも30分近くは閉館後に居たかもしれない。迷惑な客である。
 そのずっと後になるが、アヴィニョンのプティ・パレ美術館でやはり写真を撮って良いとわざわざ言ってもらった経験がある。こうなると、もはや、撮影禁止か撮影許可かの違いというよりも、撮影禁止と撮影推奨の選択ではないかと思えてくる。

 もちろん、ヨーロッパにも撮影禁止の美術館はある。ちょうど特別展示をやっていたりすると、普段大丈夫でも、その期間だけはだめということもある。ミュンヘンには大きな美術館があるが、ここでは、カメラを肩から下げているだけで、すぐに係りの人が飛んできた。
「ここでは撮影出来ません。」
 撮影する予定はなかったからクロークに預けて戻る。すると、またも係りの人が駆け寄ってきた。
「協力に感謝します。ここは、あなたのような方の協力があって運営されています。ありがとうございます。」
 美術館の職員ではなく、ボランティアということのようであった。カメラをクロークに預けて来ただけで、握手する手を両手で握られ感謝されると、所在ない。なかなか指示に従ってもらえないということではない。皆で文化なり美術館を護ろうということであり、人に感謝することでそれが成立しているということだろう。
 日本は高度成長期を経て社会が成長し、クルマよりヒトが優先されるような社会となったといったことを聞いたことがある。確かに、横断歩道で待つ人を無視して通りすぎるクルマが多いが、人が車の間をぬって道を渡るような社会ではない。しかし、駅前の混雑のなか歩行者が続き、そのため渋滞しても知らんぷりという社会でもある。一方、人が車に道を譲る社会もある。一見、車優先の社会と似ているが、譲るという点で明らかに違う。
 美術館における写真の「禁止と許可」を「禁止と推奨」と置き換えた時、この人と車の関係がどこか根底のところで関連しているような気がしてならない。「写真を撮っても構いません」と言われた時、そこには、許可以上の背景がある。

(この文章は、2012年に書いたものを一部改変したものです。)

Art, Bonne journée

il me semble que j’entre dans un rêve

Je ne sais pas si vous êtes comme moi, mais quand je pénètre dans ces serres et que je vois ces plantes étranges des pays exotiques, il me semble que j’entre dans un rêve. 
あなたも同じかどうかわかりませんが、温室でエキゾチックな国からの植物を見ていると、夢の中を歩いているような気がします。

Henri Julien Félix Rousseau
アンリ・ルソー

 元祖ヘタウマなどと誉めているのか貶しているのか分からないことも言われるルソーだが、間違いなく夢の中でも歩いているような独特の世界観を見せてくれる。やれ立体感がないとか、人間の形が変だとか、何を描いているのか分からないとか、そういうどう考えてもまともじゃない絵を日曜日の趣味みたいに描き、仕事といえば税関職員だったなんて、歩くアバンギャルドだ。今だったら絵描きというよりイラストレーターに近い感じもするが、実際のところ商用などでは全くない絵だったから画家以外の何者でもない。
 そのアンリルソーを誰もが認めたのは死後であって、早い段階から支持者はいたものの、評価される類の絵などではなかったらしい。今となっては歴史に残る作品となった「眠るジプシー女」は売れない困窮の中で描いたと言われているし、売れないから絵で支払ったという話もある。そもそも絵で支払ったなんて困窮画家の典型的な話のようだが、受け取った側はキャンバスに価値があって絵にはいらなかったとか。
 ルソーといえばジャングルをテーマにした作品も多く、その熱帯の森をどこで見たのかということも話題となる。最近の研究では若い頃に軍隊で行ったメキシコという説は否定され、パリ植物園ということだったらしい。上の言葉はそのことを語っているのだろうか。
 ルソーの集大成といえば、言わずと知れた「夢」である。このジャングルの層が重なったような絵と「蛇使いの女」の印象がよほど強かったのか、ルソーと言うとどこかジャングルに蛇がいるようなそんなイメージが湧いてくる。実際にはそんな絵はないと思うのだが、頭の中に思い浮かぶルソーがそれなのである。
 冒頭の写真は、そんなイメージを狙って撮ってみた。と言うより、光が熱帯的だななんて思っていたらカナヘビがやってきたから、これはラッキーと撮ってみた写真である。


パウル・クレーの言葉
Le génie, c’est l’erreur dans le système.

ポール・ゴーガンの言葉
L’artiste ne doit pas copier la nature

Art, Bonne journée

L’artiste ne doit pas copier la nature

L’artiste ne doit pas copier la nature mais prendre les éléments de la nature et créer un nouvel élément.
アーティストは自然を映しとるのではなく、自然の要素を取り込んで、新しい要素を作成するのです。

Paul Gauguin
ポール・ゴーガン

 ありきたりな言葉にも聞こえるが、これをゴーガンが言うと説得力のある強い言葉にも聞こえるのが面白い。実際のところ、タヒチやブルターニュの自然を大胆に描いた作家のようで、意外に生物を描きこんでいないのが、ゴーガンでもある。
 ゴーガンの絵は、明確に印象派を否定しているかのようである。それは西洋絵画に詳しくなくても一目見ればわかる。大胆で強い筆の運び、色彩を否定するかのような深く沈んだ色、その風景の印象よりも内省的な風景を重視するかのような題材。印象派の最後に属しながらポスト印象派に向かって行った時代のようなものがあったのだろうか。今ではその絵の価値を評価されながらも画家という人間としては否定的な見方も多いゴーガンであり、単純に褒め称えて良いものか躊躇はするが、自然から新たな要素を見出して表現してきたのだろうことは否定できない。
 ブルターニュに移ったばかりに描いた素朴な絵を見て、その後にタヒチからブルターニュに戻った後に描いたタヒチの絵を見れば、その間のタヒチの少女たちとの関係を考えざるを得なくなる。もはやそれを差し置いて評価はできない。それでも上の言葉が表面的なものではないのだろうと考えられるのは、やはり絵の力なのである。

 Paul Gauguinの日本語表記は、近年ポール・ゴーギャンからポール・ゴーガンに変わってきたように思います。今回は、少し本来の発音に近いゴーガンとしました。また、冒頭の写真はタヒチの海岸やブルターニュの田舎ではなく、先島諸島のものです。ブルターニュの写真もありましたが、より楽園のイメージに近いと感じたこちらの写真を使いました。

Art, Bonne journée

Le génie

Le génie, c’est l’erreur dans le système.
天才とは、システムのエラーである。

Paul Klee
パウル・クレー

 ソフトウェア技術者が聞いたら勘違いして大喜びしそうなこの言葉は、残念なことにコンピュータとはまったく関係ない。パウル・クレーが亡くなったのは1940年の6月の事である。ソフトウェアの原型を作ったアラン・チューリングが若くして亡くなったのは1954年だから、関係ないと断言できる。ソフトウェアがシステムレベルとなるのはずっと後の事だ。
 この言葉がどんな文脈で発せられたのかは把握していない。原典にもあたれていない。だから本当にパウル・クレーの言葉かどうかも分からない。きっとあちこちに書いてあるからパウル・クレーの言葉なんだろうという程度である。だから誤解している可能性がある事を承知で書くが、ここでいう意味は日本語にはなかなか訳しにくい「系」なのだろうと思う。
 平たく言えば、「系」とは様々なものの組み合わせで出来ている仕組みのようなものだ。だから、社会そのものでもいいしスーパーマーケットの物流網を想像したって良い。その仕組みにエラーがあった時にそれを天才だと言っているのかなと思う。まずこれをやって、次にこれをやって、そうしたら誰かにその結果を渡して、なんていう手順と実際に行う仕組みは、物事をスムーズに行うための仕組みである。それがあるから失敗なく短時間で仕事が終えられる。それなのに、こんなことやめてこっちの方を先にやったら?などと一日がかりの仕事を30分で終えてしまうようなやつは、仕組みを壊すエラーであると同時に天才というものだ。
 そんな事を言っているのかどうか知らないが、あの他の誰にも引けないような線で天使を描いたパウル・クレーがどんなことを考えてこれを言ったのか興味深い。忘れっぽい天使は、誰に才能を与えたのかすら覚えていないのかも知れないが、その感性に満ちた才能とシステム・エラーは関連しているのだろう。

 Paul Kleeの日本語表記は、ほぼパウル・クレーに統一されているようですので、これに従いました。