A Part of Wordless Wednesday

capturing in prose

I take a breather, gazing at the pure white rose petals that are fluttering in the early summer sunlight, and then start walking again to my next destination.
初夏の日差しからこぼれ落ちたような真っ白な薔薇の花弁に一息ついてまた歩き出す。
Je prends une pause, regardant les pétales de roses d’un blanc pur qui tombent sous la lumière du soleil du début de l’été, puis je recommence à marcher vers ma prochaine destination.
A Part of Mostly Monochrome Monday


時々、日本の電車はうるさいという記事を見かける。モーター音がうるさいとか、おしゃべりがうるさいというのではなく、繰り返される車内放送や発車メロディーのことである。
個人的には常々不愉快だと感じているのでぜひ減らしていただきたいのだが、そんな声が多少あったとしても色々事情もあるようで、なかなか静かにはなるものでもない。車内放送の少ない欧州の人が日本の電車に乗ると驚くという話は大袈裟ではなく、どうしてこうもやかましいのかと話題にもなる。それでもだからと言って困るということでもなさそうだから、我慢できる範囲ということなのかもしれない。
車内放送などの音の是非については、ここではひとまず議論を置いておこう。発車ベルがわりの美しくもない音楽を毎日聞かされるのも、掴まりようのない吊り革に掴まれという案内も、程度問題といえばその通りであり、裏事情については山ほど記事があるからここで議論する理由もない。

同様に、日本は貼り紙だらけという点についてもたくさんの記事がある。あまりに多いので見ないようにしているが、それでも目には入ってくるので視覚的にうるさいことには違いない。ある研究によれば、貼り紙が増えてもほとんど役に立たないという話もあるし、貼り紙は責任逃れという説も誤解だそうだし、じゃあ何のために貼り紙があるのかという素朴な疑問が湧いてくる。貼り紙の是非についても、ここではひとまず議論を置いておく。貼り紙肯定派の方のために一つだけ個人的な印象を書いておくと、例えばフランスには貼り紙が少ないからといって問題もなさそうだし、コロナ期間中に2年ほど日本を離れていて日本に戻ってみると、細かな注意書きがやたらと増えたような気がしている。窓の隙間は3cmとか、そんな類である。

不思議だなと思うのは、誰もが安らいだり、子供たちと遊んだり、時に季節を感じたりするような公園のような場所に、それを妨げるような貼り紙がたくさんあることである。ここにアップした写真はなるべく掲示者などをぼかすように直接映らないアングルなどで撮っているのでわかりにくいかもしれないが、実際にははるかにたくさんの貼り紙があって、そこには「XXX管理事務所」のような名前も記載されている場合が多い。美しいつつじも、すっかり緑になった桜の木も、都会の片隅の畑も、目を背けるしかない。きっと気にならない人も多いのだろう。
でも、ひとつだけ書かせて欲しいのである。この手の貼り紙に「視覚的に」不愉快さを感じるのである。内容ではない。ごちゃごちゃとした貼り紙そのものである。


ゴールデンウィークが過ぎると間も無く沖縄が梅雨入り。横浜はまだしばらく梅雨前線とは無関係だと分かっていても、なんとなく春が終わって初夏までの季節の中休みみたいな気分になる。もちろん梅雨時だって美しい季節だし、湿気を除けば過ごしやすいし、雨が降ってこそ季節を感じるというものなのだが、どこか落ち着かない季節でもあるのだ。早朝に日差しが当たって僅かにオレンジ色に染まった空気を感じると、なんだか得した気分になるのは、そういうことだ。おまけの時期というか、ボーナスタイムというか、ちょっとだけいつもと違う感じがするのである。
そんな季節は、実は一番植物が輝いている。どこの路地を歩いても甘い初夏の匂いが広がり、こわばっていた体が自由になるような季節である。週末は早く起きて、静かでフレッシュな朝を楽しみたい。散歩ついでに周囲を見渡せば、冒頭のような写真も撮りたくなるというものだ。
なんて書いているのは、最近、散歩を予定していた週末の朝が雨続きということの裏返しである。これって、マーフィーの法則?