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Mostly Monochrome Monday #407


Is what has been lost the echoes of laughter of yesterday, or the colors that are everywhere? Perhaps it is neither, but the time that cannot be turned back.

失くしたものが笑い声が響く昨日なのか、どこにでもある色なのか。おそらくはそのどちらでもなく、後戻りできない時間なのだろう。

A Part of Mostly Monochrome Monday

Bonne journée

習作 (study)


 夏風の青く輝く葉と葉の隙間から黄金色の陽光が漏れ出すコンペイトウのような夏至の日も、ねっとりとしたエメラルド色の空気が首筋に汗の跡を赤く残す甘酸っぱい梅雨も、やがてやってくる明日の楽しみと、やがてやってくる昨日の痛みと、通り過ぎて行ったばかりの今日の疲労とが、説明のできない明日への不安のように曖昧に混じり合っていた。
 何かが違っているのに、それが何か分からないもどかしさ。そして静寂。背負ったナイロンのバックパックのポケットを開き、人差し指と中指を差し入れて、パスポートがそこにあることを確かめた。

 時々、いつも不平ばかりを言っているような気がして、なんだか嫌な気分になることがある。それは、一時的なもので、本当に不平ばかりを言っているわけでもない。あの街の夏風は気持ちが良かったのに、ここはいつもジメジメしてばかりいるなんて言ってみたり、あの街の冬は長くて辛かったから、ここの夏が暑く感じられるんだなんて言ってみたり、八つ当たりもほどほどにしなければならない。
 そんな身勝手で曖昧な感覚を文字に起こしてみたらと思って書いてみた習作である。表現って難しいなとつくづく思う。この感覚を共有しようと思ったら、同じ追体験をしてもらわなければならない。それがこの文字だけでできるわけでもない。実感として、感じてもらうだけの文章力がなければならない。その点、自由度がある映像はいいななんて思うこともある。でも、映像表現をする側から言えば、表現したものしか伝わらないから、映像を見た人が同じ感覚になるとは限らないとか。やっぱり難しい。
 やれやれ、これも身勝手な八つ当たりか?

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #226


 日差しがあるとなんだか楽しい気分になるのは、もしかすると生命を感じるからかもなどと、大袈裟なことを考える。いや日差しがないとそもそも生きていけない生き物なのかもしれないと考え始めた時点で、すっかり梅雨にやられていると言うものだ。花が咲き乱れ、蝶が舞う公園の片隅で、キラキラと輝く空気を感じていたいのは、当たり前と言えば当たり前なのだろう。
 雨降りが続いたって大きな葉の下では雨が止むのを待つ昆虫もたくさんいるし、先日切ったクズの葉からうっかり落ちてきた黄金色の毛虫だって、大急ぎで別な葉の下に隠れたくらいで、たまたま晴れたら目につく場所に命が湧いてくるように見えるだけなのだ。つるに躓いた右足の真っ白な靴の下に、どれだけの生き物がいるかなどわかるはずもない。
 大体において、梅雨の中休みで真夏のような日が来たらホッとするのかと言えば、そんなことはない。蒸し暑くてたまらんと不平を漏らすのだ。そんなことも含めて梅雨が続く。