
Is it me twisted, or the world? Perhaps it’s not twisted at all? Or is the very thought of it being twisted proof that it is?
ねじれているのは自分なのか、それとも世界なのか、もしかしたらねじれてなどいないのではないか、いや、ねじれていると考えること自体がねじれている証なのか?
A Part of Mostly Monochrome Monday
capturing in prose

Is it me twisted, or the world? Perhaps it’s not twisted at all? Or is the very thought of it being twisted proof that it is?
ねじれているのは自分なのか、それとも世界なのか、もしかしたらねじれてなどいないのではないか、いや、ねじれていると考えること自体がねじれている証なのか?
A Part of Mostly Monochrome Monday

今週の話題は選挙。このBlogは本名で書いていないので、政治的立場に触れることはしないようにしています。匿名で政治的な表明を行うのは無責任ですし、そもそも読まれる方が楽しくないですから。
というわけで、選挙と言ってもちょっと感じる日本人の態度の違和感の話です。いつもと違って、文体も変えました。多分、つまらない話題なので、読み飛ばしていただいて構いません。
さて、そもそも「世界は」とか「日本は」とか書くほど世の中は画一的なものではないことは当たり前のことです。だから、日本は変だなんて書きません。でも、多分、読まれる方によってはそう感じる内容になっています。そう感じてしまう場合があることが、まさにその違和感の根源です。
先日の選挙は、予想通りなのか、予想に反してなのか分かりませんが、自民党の歴史的勝利となりました。以前の民主党による政権交代と似た雰囲気も感じないでもありません。人それぞれの政治的立場もありますし、この結果がどんな影響として現れてくるかも現時点では分かりません。ひとつだけ、大きな変化があったという事だけは、おそらくは事実です。これだけ議席の様子が変わって、何もなかったねということはなさそうです。
この結果を受けて、海外取引にも関わる仕事の現場で、為替レートがどうなるだろうという話題を振りました。
輸入に関わる仕事であれば、現在の円安は致命的にもなりかねないレートになっています。たった5年前は125円だった1€が、今は180円となりました。10,000€の商品だったら、125万円を払っていたのが、今では180万円になっています。言い換えれば、もう5年も同じ水準の商品を買い続けているのに、55万円もの損失が出ることになります。その損失を徐々に値上げすることで凌いでいるのが現在の物価上昇と見ることもできます。
円安が続くのか、円が元の水準に戻るのかは、大きな問題なのです。もう、ずっと円の価値は下がり続けています。円は世界的に見て相対的に弱くなっているわけで、選挙結果を受けてどうなるかの関心は、高くなっています。
つまり、「今回の選挙の結果として、短期的に為替レートはどうなるんだろうね。」というのが話題の趣旨でした。
その質問に対する回答はちょっと意外なものでした。「政治的な話題には触れるな。」というものだったのです。その背景には、積極財政だから円は弱含みかもしれないが、選挙結果に反するような趣旨の会話は相応しくないという雰囲気が強くありました。
会話は、為替レートの話題であって、政治態度でもなんでもありません。でも、日本らしさなのか、どこかで少しでも政治にリンクする話題は避けたいという力が働くのだろうと思います。
日本は、輸出入がなければ成り立たない国家です。少なくとも現時点では、避けようがありません。そうした輸出入という経済の話が、政治的態度と結び付けられて語られる雰囲気に、なんだか説明の難しい違和感を感じました。もちろん、今回が初めてではなく、この数年、ずっと感じてきた違和感でもあります。
夫婦別姓やジェンダーの話がいつの間にか消えてしまった不思議な選挙でした。新しい価値観の話がいつの間にか昭和に戻った選挙だったのかなと思います。そんな古い価値観の戦いの中にポピュリズムが台頭した姿は、ある種、欧州の状況とも似たところがあります。
でも、それ以上に経済の話を政治状況と重ね合わせてしまう雰囲気や、多様性の話を国際紛争と取り違えてしまう環境、そしてそうした会話を避けて忖度する社会環境には、不安を感じます。
ここまで書いたことを読み返してみて、なんだかつまらない話題だったなと思います。でも、せっかく書いたので残す事にしました。
海外と直接関わる仕事をしてきて感じる事には、比較的安全で快適な環境を日本社会に感じるということもあれば、相変わらず内向きで世界とリンクしていることを認識しない不安定な環境を日本社会に感じることもあります。たまには、そんな違和感について書いてみても良いかなと思ったのがこのポストの趣旨でした。

When I was fluttering down with snow onto the familiar ground as it begins to fall, it made sense that the world was actually made up of simple textures.
降り始めた雪と共に見慣れた地上に舞い落ちてみれば、案外世界は単純なテクスチャでできているものなのだと腑に落ちる。
A Part of Mostly Monochrome Monday


咲きそろっているのが愛らしくて、つい車を止めて写真を撮りにいったのだが、ソフトフォーカス気味に写した写真をみたら、皆がこちらを見ているような気がしてきて何だか落ち着かない。ディズニー映画やパークでお目にかかる歌う花って、こういうことなのかと考えた。
若い頃は動物でもない植物が、口でもない花弁を開いて歌い出すという表現が今ひとつ理解できなかったが、歳を重ねてみれば、花が歌って見えるというのを受け入れられてしまうのも不思議なものだ。それだけ、子供のような頭に戻ってきたのか、さまざまなものを受け止めるだけの余裕ができたのか、あるいは単純に興味を持つものが少なくなって、細部を受け入れるようになったのか。少なくとも、天真爛漫に物事を見られるほどは歳をとっていないし、そもそも法的にもまだまだ高齢者ではないので、それだけ許容範囲が広がったのだろうとポジティブに受け取った。
とはいえ、いわゆる若者という部類ではないことは認めなければならない。だって、上みたいな写真をわざわざ撮ってしまうのだから。
先日、知人がSNSでアニメーションを紹介しているのを読んで、少しやりとりした。その方に迷惑をかけるかもしれないので、そのやりとりについては書かないが、要は、自分がマンガというものを受け付けないという点がやりとりの背景にある。有名なマンガとかアニメーション作品というものがあるが、マンガ雑誌のようなものに連載される作品は、読んでもほとんど頭に入らない。それが動画として動きを持つと多少は分かるが、すぐに飽きてしまって最後まで見られないのである。
一枚一枚の絵としてなら、「ああ、この絵は面白いな」とかいった感想はある。AKIRAのキービジュアルを見て、「アメコミみたいな絵なのに細かいな」なんて思ったりもする。でも、読んでみろと言われて借りた単行本には、何が書いてるのかよくわからない。だから、学生時代に漫画を読み耽ったなどという経験もない。そう考えると、若くないというよりは、マンガの読解力がないのだろう。もしかしたら、さらに歳を重ねると読めるようになるのか、それとも、脳の柔軟さが欠けてきて、ますます読めなくなるのか、どちらなんだろう。どうでも良い話なのだが、写真を見ながらくだらないことを考えたのだった。