
もう花も終わりのヤグルマギクを見ながら、昔の職場の近所にあった原っぱを思い出した。原っぱなんていつの時代の言葉だろう。昭和を古い時代遅れの懐かしい昔のように言う風潮にも慣れたが、その慣れのせいなのか、色々な言葉が古臭く感じて使いにくくなった。それで他の言葉を探すのだが、思い出したものは「原っぱ」としか表現が思いつかない場所だった。
原っぱ。決して自然が残された草原のような場所でも、森の中に開いた草地でも、作られた遊び場でもなく、何かの跡地を整地したものの、ずっとそのまま残されたままの土地で、それでも定期的に草が刈られている。立ち入り禁止で、杭が立てられロープで区切られてはいるが、子供たちは時々その原っぱに入り込んで鬼ごっこをしたり、バッタを捕まえたりもしている。子供たちの目から見ればその場所は十分に広く、小さな空き地といった類ではない。
ともかく、そんな場所なのである。思い出した原っぱは、季節折々に花が咲いていた。おそらくは以前にはタネが撒かれ、しばらくは整備されていたのだろう。その花が残って、毎年、同じように花が咲く。もう整備はされていないから、終わった花殻も積まれることは無い。だから、茶色くなった花弁がまだ咲き続ける花に混じっている。作られた花壇ではなく、原っぱの自己主張。
この場所は、きっと間も無く刈り取られる。放置された原っぱなどではなく、花壇の一部である。それでも都会に住み続けていると、こんな風景がきっと楽しいのだ。
私の原っぱと言う言葉から思い出すのは、多分空襲で家々が破壊された跡地。子供たちの格好の遊び場だったように思います。それがだんだん整備されて公園になっていったような⋯。夏休みに帰省した田舎には自然の中で遊び回ったものの、原っぱはありませんでした。(^_^;)
それだけ発展したという事でしょうし、公園でもない場所で子供が遊んでいるというのもどうかと思いますが、一方で何だか少し寂しさを感じます。ノスタルジーではなく、自然と学べる場所が無くなっているもどかしさみたいなものでしょうか。
原っぱは良いななんて思う今日この頃です。
整備された公園もいいのですが、野性味が感じられないのがさびしいところですよね。自然のなかで子供たちの冒険心を掻き立てると言ったところ(原っぱなど)があればいいなと思います。👦👧