Bonne journée, Photo

Autumn touched by

201611-111

季節は感じるものである。そして、季節は探すものである。
朝まだ暗いうちに玄関のドアを開けた瞬間に足元を通り過ぎる深く沈んだ紺碧の冷気も、あわててシャツの前を両手で締めながら見上げる空のオリオンも、郵便受けから取り出したインクの匂いのしそうな新聞の乾いた音も、秋を感じるひとつひとつの儀式のようなもの。早朝のわずか5分に季節はやってくる。
午後の気怠い陽射しの中でかさかさと音を立てる山道を歩き、正解の分からない問いを探し続ける。何かが欲しいとわかっていながらそれが何かが分からない。午後のそぞろ歩きとはそんなもの。やがて赤くなった紅葉の葉を足元に見つけ、探していた秋を知り、忘れる。
秋は感じるものである。そして、秋は探すものである。

Autumn is what you are touched by and what you are looking for.
You may find your tiny autumn in cold air in a morning. You may feel your autumn just next to you after your long walking.

201611-112

 

Photo, photo panoramique

Monochrome and Macro Monday: Autumn

201609-411

It might not be a pine corn but something small less than 2.5cm (1 inch). It missed the color after the rain.
1cmにも満たない松ぼっくりのようなこれが何かはわからないが、雨の後で色を失っていた。

The day ended very fast in the autumn and the grass were swinging in the mist of time.
秋の日は短く、雑草は時の霧中に揺れ動く。

201609-412

Books, Photo

A Book: My Family and Other Animals

201608-411

written only in Japanese.
石ころをひっくり返してダンゴムシがわっと広がるのをじっと見ていた夏は、遥か遠い時間の彼方に静かに沈み込んでしまっている。その湿った石の青い匂いはまだ鼻の奧に微かな記憶を残してはいるが、決してそれが本当の記憶かどうかは分からない。記憶とはそんなものだろうし、記憶が定かでないから鼻の奥をくすぐり続けるのだ。ちりぢりになったダンゴムシが草の裏や隣のコンクリート塀の隙間に消えて、その後どうなったのかは覚えていない。きっとずっと見続けていたわけではないのだろう。ただ、翌日になればまた同じように石をひっくり返し、ダンゴムシがわっと広がるのを飽きるまで繰り返し見ていたのだ。
飽きるまで見ていた記憶はもうひとつある。近所の見上げるような神社の大柱と階段の間にできた雨のあたらない隙間に、それは秘密の場所のようにひっそりと隠れていた。昼下がりの生ぬるい光の陰に隠れて潜り込んだ先には、アリジゴクの巣が無数にあったのだ。決して蟻を捕まえて放り込むようなことはしなかった。ただひたすらアリジゴクと一緒に、餌を探して歩き回る不運な蟻が、ふとしたはずみで足を滑らす瞬間をひたすら待っていた。どれくらい待ったのか、何度足を運んだのか、記憶は何も教えてくれない。ただ、不運な蟻がもがけばもがくほどすり鉢の下に吸い込まれ、やがて自然の連鎖に組み込まれていく姿を見たのは、一度や二度ではなかったことは確かである。
そういった記憶には、なぜか自分以外が出てこない。どうやって思い出そうとも、それはただひとりの記憶である。不思議に孤独感がないのには、何か理由があるだろう。その理由にはまだ解がない。

201608-413自然が好きな少年の文学などととらえる向きはないだろうが、そのように読んでも全く問題はない。まばゆい光と自然の創り出す色と時に夜の輝きとに溢れるギリシャの田舎で、少年の目に映る一家の騒動が幸せ一杯に描かれれば、それが少しばかり暗い影を持っていようと読者は一緒に大騒ぎに加わって良いのである。

この幸福感はどこから来るのか、ひょっとすると忘れている子供の頃の記憶の中に共通の何かがあるのではないかと思わずにはいられない。

 

最近読んだ本

虫とけものと家族たち (中公文庫)
ジェラルド・ダレル著、池澤 夏樹 訳

201608-412