Bonne journée

Sunday Squirrel


 この写真は北西フランスで撮ったものである。このあたりのヨーロッパ赤リスは、随分と人を恐れているふうに見えるのだが、どうやら子供たちに追われるかららしい。同じところに住むウサギも人の姿を見ると慌てて巣に逃げ込むのだが、その逃げ込んだ巣穴に子供たちは容赦なく木の枝を差し込んでいる。そんな様子を少し残酷に感じるかもしれないが、ある意味自然な姿でもある。お寺の境内に住む鳩やスズメを追いかける日本の子供達となんら変わるところはない。このリスも数メートル離れた場所で何やら食事中であるが、これ以上は近づかせてくれない。せっかくの食事時を邪魔するわけにもいかないから、いつもその距離を保って様子を見ている。

Bonne journée

Sunday Squirrel


Squirrelを動詞として使うとは知らなかった。英語圏に住んだこともないというのもあるが、「リスる」っていうイメージが湧かなかった。なるほど溜め込むってことねという発見がなんだか今更面白い。
Don’t squirrel away the chance to boost your skill. (能力を磨くチャンスを放り出すな)I’ve been squirreling away money. (これまでお金を貯めてきた)
というわけで、溜め込んでほったらかしにしてあったリスの写真をアップ。正直いえば、暗い写真だったのでボツにしていただけだが。

Bonne journée, Cross Cultural

DST


 兎角、人の考えは論理より感情を優先するものである。そう感じたのは昨年の初夏のこと。サマータイム(夏時間)の是非について、知人がかなり否定的にまくしたてたのを聞いた時である。
 ヨーロッパでは、広くサマータイム(普通は、Daylight Saving Time = DSTと言うことのほうが多いように思う)が使われてきたが、あまり効果がないということで、ヨーロッパ政府が廃止を勧告したのは、今から数年前のことである。元々は夏の長い昼間の時間を使って、明るい夜の時間も別なことに使おうとか、エネルギーを減らそうとか、そんな意義があったが、今では時代に合っていないと言うのがきっかけだった。確かに、白熱灯だった夜の灯りはLEDに置き換えられ、消費電力は格段に下がったに違いない。
 とはいえ、議論の様子を見ていると実際にはエネルギーの話は建前であって、早起きが嫌だというのがあちこちから聞こえてきたことも事実である。欧州政府もどこかに頼んで調査を行い、サマータイムが人間の睡眠に与える影響があるという話をしていたこともあった。この政府調査と言っているのは案外怪しくて、どこかに頼んで調査しているらしいことはわかるが、本気で調査しているのかどうかはよく分からない。ちゃんと影響調査して政策を考えているあたり、欧州も真面目だなとは思うが、コロナでロックダウンした時に性交渉の頻度への影響を調査したってあたりが少々怪しさを感じる部分でもある。将来を不安に感じて頻度が低下し、出生率が下がるのではないか(欧州は日本とは比較にならないくらいに人口動向を心配している)、いや、外出もままならないから頻度が増えて出生率が上がるのではないか、そんな議論があったらしいが、アホらしいので結果は知らない。

 冒頭に書いたサマータイムに否定的な、しかも感情的な議論とは、こうである。
「あんなもの、毎日早起きしてたらそれでなくても夏バテするのに不健康に決まっている。サマータイムは導入すべきじゃないし、導入されたら夏の間はテレワークしかない!」
おいおい、ちょっと待て。冬時間から夏時間に切り替わる日だけ睡眠時間が1時間短くなるが、時計をずらすのだから翌日からは夜の時間も同じだし、起きる時間も同じだろう。そう説明したところで納得しない。
「そんなことはわかってる。毎日1時間早く寝ろってことだろう。早く寝られるものなら寝てみろ。自分は夜遅くまでTV見たりしてゆっくりしたいんだ。」
いや、時計をずらすんだ。夜の12時は、夏時間だって12時だ。無意味な説明である。気持ちが早起きは嫌だとなっている。ここで、秋を考えろなんて言っても無駄である。秋にサマータイムが終了する時、その日だけは夜が長くなる。そんな説明しても、ずっと早起きしていたんだから1日くらい夜が長くたって回復するわけがない。なんて、もはや宗教論である。

 そんなわけで、以前にサマータイムを説明するためにキャプチャした天気予報を冒頭に置いてみた。深夜2時が2回あるのはバグではない。欧州の夏時間への切り替えは、3月の最終日曜日の午前2時。中央時であれば、日本との時差は8時間から7時間に短縮される。

Bonne journée, Photo

magnolia


 公園のフェンスの隙間から覗き込んだ先に、春らしい暖かく湿った芝生が緑色に輝き、紫木蓮の巨木が枝いっぱいに花をつけていた。その下に行って肺の奥まで空気を吸い込みたかったが、公園の入り口は少し離れた場所にあった。誰でも入れる公園なのに、どこかもどかしさを感じる朝だった。

 紫木蓮(シモクレン)は、フランス語ではマニョーリア。ヨーロッパでも日本と同様に公園や庭に植えられているありふれた観賞用の花木であって、様々なところで広く愛されている。あまりに普通に植えられているからヨーロッパ原産なのかと思いきや、フランス人に聞くと日本原産じゃないの?なんて聞き返される。実際のところ、中国南部原産である。そう言われてみれば、中国の伝統的な絵などにも描かれていそうではある。花弁は大きく、泰山木のような南の木を感じさせる。泰山木も木蓮の仲間であるので、そうイメージするのかもしれない。花が終わった後の実も泰山木と木蓮は似た形をしている。
 そんな紫木蓮だが、個人的には「詩木蓮」と書きたいなと思う時がある。うまく説明できないが、春の花であるはずの木蓮を見ていて、どこか涼しげな初夏や秋の詩情を感じることがあるのである。泰山木と木蓮の関係の様に、何か理由があるのだと思うのだが、どうしても理由が見つからない。

 写真は、何年か前の3月半ばにフランス北西部で撮ったものである。

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

朝の風景


 ディズニー映画「美女と野獣」はフランスが舞台なので、映画の中ではたくさんのフランス語が登場する。とは言っても、例えばアメリカ人がフランス語を理解するわけでもないから、誰でも知っている単語だったり、知らなくてもなんとなくフランス語感のある単語という程度ではある。日本人が見たって「ボンジュール」と言い合う姿は理解しやすい。主人公のBelle(ベル)は「美しい」という意味だし、ガストンといつもいるLeFouは「おバカ」。街を歩きながら歌う「Belle(ベル)/朝の風景」の中には誰でもわかるバゲットが出てきたり、フランスの語感のあるprovincial(田舎の)という単語が使われていたりもする。

 その「朝の風景」の軽やかなリズムに乗せてベルが本を読みながら歩く活気ある街の風景の中に、日本人にはあまり馴染みのない中世フランスらしい描写がある。街の建物の二階からたらいの水を撒くシーンである。ベルはどこかの店の前に吊るされた看板を手で押してその水を避けるのだが、その撒かれた水が流れるのがこの写真の溝である。いわゆる側溝が中央にあるものなのだが、石畳の路地の中央に凹みがあって、そこを雨水が流れ排水するようになっている。

 写真は歴史的建造物としての「溝」ではなく現代に整備されたものであるし、流れているのは雪解け水である。単に道の中央に凹みをつける伝統がそのまま残っているというだけの話である。だが、その歴史を紐解くと、ちょっと違った世界が見えてくる。つまり、この中央の凹みは伝統ではあるのだが、古くは現代のような雨水を流すだけの目的では無かったのである。この凹みは下水だったのだ。中世のフランスには、下水道の仕組みはほとんどなかったから、生活排水はこの道の中央の溝を使って流されていたということらしい。

 かのマリー=アントワネットがフランス国王となるルイ16世に嫁いだ時、母親である女帝マリア=テレジアは、あまりに田舎であったフランスに嫁ぐ娘を心配して大量の付人をつけたと記録に残っている。当時はオーストリアが欧州の中心であり、フランスは洗練された国とは言えなかったということらしいが、庶民の生活が貧しかったことは間違いない。田舎は特に整備されていなかった。上下水道が整備されたローマは、中世に完全に失われていたのだろう。上水道もないから、井戸から水を汲んで桶に入れ、家の中に置いておいたのだ。その桶の水で煮炊きをし、体を洗い、汚れた水は窓から投げ捨てられた。だから建物のすぐ外を歩く時は、注意して歩かなければならなかった。

 ベルが避けた水は、夜の間に使った後の汚水だったはずである。爽やかな朝の風景も、写真の雪解け水も、そうした背景を頭に入れてみると、不衛生な感じがしてくる。汚水には、当然、排泄物も含まれている。専門の掃除夫がいて、その掃除夫が綺麗にした後でなければ、歩いただけでズボンは真っ黒に汚れたらしい。この「路央下水溝」が暗渠化されるのは18世紀以降。病気も蔓延するわけである。ディズニー映画は理想論でできているという事を言う人がいるが、それはある程度正しいとはいえ、案外真面目に歴史的考察が反映されているらしい。

 最近はすっかり忘れていたが、元々このブログは比較文化論的な考察が主目的だった。まあ、国や地域による違いで驚かされたことを書き殴っているだけのことをかっこよく言っているだけで、大したことは書いていないのだが、急に思い出して書いてみた。興味がなかったら申し訳ない。いや、興味があろうがなかろうが、面白くなかったら申し訳ない。