Bonne journée, Photo

magnolia


 公園のフェンスの隙間から覗き込んだ先に、春らしい暖かく湿った芝生が緑色に輝き、紫木蓮の巨木が枝いっぱいに花をつけていた。その下に行って肺の奥まで空気を吸い込みたかったが、公園の入り口は少し離れた場所にあった。誰でも入れる公園なのに、どこかもどかしさを感じる朝だった。

 紫木蓮(シモクレン)は、フランス語ではマニョーリア。ヨーロッパでも日本と同様に公園や庭に植えられているありふれた観賞用の花木であって、様々なところで広く愛されている。あまりに普通に植えられているからヨーロッパ原産なのかと思いきや、フランス人に聞くと日本原産じゃないの?なんて聞き返される。実際のところ、中国南部原産である。そう言われてみれば、中国の伝統的な絵などにも描かれていそうではある。花弁は大きく、泰山木のような南の木を感じさせる。泰山木も木蓮の仲間であるので、そうイメージするのかもしれない。花が終わった後の実も泰山木と木蓮は似た形をしている。
 そんな紫木蓮だが、個人的には「詩木蓮」と書きたいなと思う時がある。うまく説明できないが、春の花であるはずの木蓮を見ていて、どこか涼しげな初夏や秋の詩情を感じることがあるのである。泰山木と木蓮の関係の様に、何か理由があるのだと思うのだが、どうしても理由が見つからない。

 写真は、何年か前の3月半ばにフランス北西部で撮ったものである。

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

朝の風景


 ディズニー映画「美女と野獣」はフランスが舞台なので、映画の中ではたくさんのフランス語が登場する。とは言っても、例えばアメリカ人がフランス語を理解するわけでもないから、誰でも知っている単語だったり、知らなくてもなんとなくフランス語感のある単語という程度ではある。日本人が見たって「ボンジュール」と言い合う姿は理解しやすい。主人公のBelle(ベル)は「美しい」という意味だし、ガストンといつもいるLeFouは「おバカ」。街を歩きながら歌う「Belle(ベル)/朝の風景」の中には誰でもわかるバゲットが出てきたり、フランスの語感のあるprovincial(田舎の)という単語が使われていたりもする。

 その「朝の風景」の軽やかなリズムに乗せてベルが本を読みながら歩く活気ある街の風景の中に、日本人にはあまり馴染みのない中世フランスらしい描写がある。街の建物の二階からたらいの水を撒くシーンである。ベルはどこかの店の前に吊るされた看板を手で押してその水を避けるのだが、その撒かれた水が流れるのがこの写真の溝である。いわゆる側溝が中央にあるものなのだが、石畳の路地の中央に凹みがあって、そこを雨水が流れ排水するようになっている。

 写真は歴史的建造物としての「溝」ではなく現代に整備されたものであるし、流れているのは雪解け水である。単に道の中央に凹みをつける伝統がそのまま残っているというだけの話である。だが、その歴史を紐解くと、ちょっと違った世界が見えてくる。つまり、この中央の凹みは伝統ではあるのだが、古くは現代のような雨水を流すだけの目的では無かったのである。この凹みは下水だったのだ。中世のフランスには、下水道の仕組みはほとんどなかったから、生活排水はこの道の中央の溝を使って流されていたということらしい。

 かのマリー=アントワネットがフランス国王となるルイ16世に嫁いだ時、母親である女帝マリア=テレジアは、あまりに田舎であったフランスに嫁ぐ娘を心配して大量の付人をつけたと記録に残っている。当時はオーストリアが欧州の中心であり、フランスは洗練された国とは言えなかったということらしいが、庶民の生活が貧しかったことは間違いない。田舎は特に整備されていなかった。上下水道が整備されたローマは、中世に完全に失われていたのだろう。上水道もないから、井戸から水を汲んで桶に入れ、家の中に置いておいたのだ。その桶の水で煮炊きをし、体を洗い、汚れた水は窓から投げ捨てられた。だから建物のすぐ外を歩く時は、注意して歩かなければならなかった。

 ベルが避けた水は、夜の間に使った後の汚水だったはずである。爽やかな朝の風景も、写真の雪解け水も、そうした背景を頭に入れてみると、不衛生な感じがしてくる。汚水には、当然、排泄物も含まれている。専門の掃除夫がいて、その掃除夫が綺麗にした後でなければ、歩いただけでズボンは真っ黒に汚れたらしい。この「路央下水溝」が暗渠化されるのは18世紀以降。病気も蔓延するわけである。ディズニー映画は理想論でできているという事を言う人がいるが、それはある程度正しいとはいえ、案外真面目に歴史的考察が反映されているらしい。

 最近はすっかり忘れていたが、元々このブログは比較文化論的な考察が主目的だった。まあ、国や地域による違いで驚かされたことを書き殴っているだけのことをかっこよく言っているだけで、大したことは書いていないのだが、急に思い出して書いてみた。興味がなかったら申し訳ない。いや、興味があろうがなかろうが、面白くなかったら申し訳ない。

Bonne journée, Cross Cultural

palets bretons


(English text at bottom)

 パレ・ブルトンというと、ガレットというフランスのバタービスケットのことを指す場合が多い。実際のところ、’palets bretons’ を検索すると、ほぼ間違いなくガレットの紹介記事(英語)がヒットする。明確な定義はないが、薄いバタービスケットがガレットであり、厚みのあるものがパレ・ブルトンである。
 このブルトンというのはフランス北西部にあるブルターニュ地方のことであり、このブルターニュ地方でガレットというと蕎麦粉の食事クレープを指す。デザートの小麦粉のクレープはクレープであり、ガレットを出すレストランをクレパリーと言う。ブルターニュには、いたるところにクレパリーがあり、ブルターニュ人にどこが美味しいかなんて聞いたら議論百出である。
 この段階ですでにかなりややこしいことになっているが、日本語でいくら「パレ」や’palets bretons’を検索しても出てこないのが、 ‘le jeu de palets breton’ (パレ・ブルトン・ゲーム、単にパレと言う)である。トップの写真はまさにその ‘le jeu de palets breton’ なのだが、これだけ見てもよく分からないに違いない。あえて言うなら、モルックやペタンクのようなスポーツと遊びの中間のゲームである。きっと日本だと競技人口は限りなく0に近い。今ならもれなく日本代表候補になれそうなんて思ったが、案外難しいのでやめておいた方が良さそうだ。(デカトロンの紹介記事 フランス語ですが写真がありますのでどうぞ)

Palet Breton often refers to galette, a French butter biscuit. In fact, if you search for ‘palets bretons’ on the web, you will almost certainly find some articles introducing galette. There is no clear definition, but a thin butter biscuit is a galette, and a thick one is a palet breton.

Breton here refers to Brittany, a region in northwestern France, and in Brittany, galette refers to a buckwheat crepe. A wheat flour crepe for dessert is called a crepe, and a restaurant that serves galettes is called ‘creperie’. There are a lot of creperies all over Brittany, and if you ask a Breton which one is the best, there will be endless arguments.

At this stage, things are already pretty confusing, but no matter how much I search for ‘palet’ or ‘palets bretons’ in Japanese, I can’t find anything: ‘le jeu de palets breton’. The top photo is exactly that, ‘le jeu de palets breton’, but even just looking at this, I’m sure it’s hard to understand. If I had to say, it’s a game that’s somewhere between a sport and a game, like Mölkky or Pétanque. I’m sure the number of players in Japan is close to zero. I thought that right now I could be a candidate for the Japanese national team without fail, but it’s surprisingly difficult, so I think it’s better to give up. (Decathlon article in French)

Bonne journée, Cross Cultural

(pas) Très sale 4


 Très saleの最終回です。極力不快な描写を使わないようにしていますが、今回もblogではあまり取り上げない内容となっています。

 若い頃は、体力の衰えってどういう事?なんて思うものである。スポーツ選手がなぜ20代で引退するのかも分からなかったし、30代でも体力が落ちた気がしなかった。
 学生時代に何かの授業で「皆さんは殺しても死なない年齢です。」なんて冗談を言われて笑っていた事もあったが、ただ、その意味が分かる年齢になるのは案外早かった。20代や30代はある意味走り続けていたのだ。どんどん時間が過ぎ、「中年」と影で言われる年齢になったあたりから「若い頃」の意味が分かったのだった。
 先日歯医者さんで歯科医が若い歯科衛生士さんにこんな説明をしていた。
 年寄りの歯が悪いのは年齢による衰えだけの問題じゃない。わずか30年前くらいまでは、学校でまともに歯磨きをさせていなかった。その頃子供だったら、虫歯になる。50年前は歯ブラシを持ち歩くどころか、歯磨きの時間もなかったし、寝る前に歯磨きをすることも習慣化されていなかった。つまりは生活習慣の変化も含めて、年齢差は出てくるのが当然なのだと。
 最近は、その歯科のトイレもそうなのだが、綺麗なトイレには「男性も座ってね」なんてシールが貼ってあったりする。立って小用をたすと飛び散って不衛生だというのが主な理由なのだが、コロナ騒動で一気にパブリックなトイレにも広がったような気がしている。自分もずいぶん前から座ってするが、年齢が上がると割合は少なくなるらしい。20代は自宅なら8割が座るそうだが、50歳を超えたら半分以下ではないかとのことである。
 こうした事も生活習慣の変化なのだろう。毎食事ごとの歯磨きなんて当たり前のことを社会全体が当たり前と思うようになったのが30年前なのだとしたら、男性が座ってトイレに行くのを常識とするのは間も無くなのかもしれない。

(こうした内容を不快と感じる方は、ここまでとしてください。ここから先は、トイレ事情や性に関する内容が含まれます。)

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