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Floral Friday #226


 日差しがあるとなんだか楽しい気分になるのは、もしかすると生命を感じるからかもなどと、大袈裟なことを考える。いや日差しがないとそもそも生きていけない生き物なのかもしれないと考え始めた時点で、すっかり梅雨にやられていると言うものだ。花が咲き乱れ、蝶が舞う公園の片隅で、キラキラと輝く空気を感じていたいのは、当たり前と言えば当たり前なのだろう。
 雨降りが続いたって大きな葉の下では雨が止むのを待つ昆虫もたくさんいるし、先日切ったクズの葉からうっかり落ちてきた黄金色の毛虫だって、大急ぎで別な葉の下に隠れたくらいで、たまたま晴れたら目につく場所に命が湧いてくるように見えるだけなのだ。つるに躓いた右足の真っ白な靴の下に、どれだけの生き物がいるかなどわかるはずもない。
 大体において、梅雨の中休みで真夏のような日が来たらホッとするのかと言えば、そんなことはない。蒸し暑くてたまらんと不平を漏らすのだ。そんなことも含めて梅雨が続く。

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Floral Friday #225


 無数の真っ赤に熟したヘビイチゴが広がる道端の草原に足を踏み入れ、そっと絡み合った細い緑の葉の中を覗きむと、小さく髪の毛のように細い脚があちこちで動いていた。何かを狙っているのか、獲物を捉える罠を作ろうとしているのか、緑褐色の蜘蛛がヘビイチゴの上でじっとしていた。その様子を眺めていたら、その奥に広がるドクダミの花の場所まで進む気にはなれなくなったのだった。そしてふと考えた。この人工皮革の白いスニーカーの白いソールの下に、どれだけの営みがあるのだろうと。
 かつて沖縄のその先の離島の誰もいない浜辺で、珊瑚のかけらで出来た真っ白な砂と流れ着いた枯れ枝の間に無数の米粒のようなヤドカリを見つけ、ふと持ち上げた足の下からいくつものヤドカリが這い出してきたことを思い出した。アウターリーフの白波を遠く眺めながら、全く音のないその場所で、足元からは賑やかな声が聞こえたような気がしていた。
 早々に引き上げた日常の世界では、鶯が最後の囀りをいつまでも続けていた。

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Floral Friday #224


 色々と面倒なことが続いた一週間が終わると、一息つくよりも次のことを考えるのは現代人の悪い癖か。貯湯槽の補修代の請求書が届いていないなとか、病院の予約は何時だったかなとか、そろそろ契約処理の連絡が来ても良い頃だなとか、休みの日にはちょっと贅沢なものでも食べに行きたいなとか、延々と考えている。そういえば葛の蔓が伸びてきてたから切らなきゃなんて思い出すと、慌ててTODOリストに書き加えるのだが、それで安心すると美容院の予約の時間が気になり出す。たまにはのんびり何も考えない時間を作った方が良い。何もしない時間は頑張れば作れるのだが、何も考えない時間というのは難しいのだ。

 まだまだ晴れの日があるとはいえ、もう5月の半ばから梅雨入りしたみたいな横浜。そんな曇りや雨の日の隙間時間に無機質なコンクリートが並ぶ場所を通れば、不意に路傍に咲く花を見つけたりする。その写真を撮りながら、錆びたガードレールの模様が面白くなって写真を撮り直す。そしてふと思うのだ。

 「考えすぎだって。」

 そんな週末が過ぎていく。

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Floral Friday #223


 いつの間にか梅雨の気配がしてきた5月の晴れ間。咲き出した控えめなハスのクリーム色の花弁を見ながらひと息ついた。ようやくホッとできる見慣れた街に戻ってきたというのに、豪勢なピンク色の背の高いハスが咲き乱れる異国の池を思い出していた。人間は不思議なものだなと、使い古された感想に苦笑いする。
 5月の関東といえば、大抵の年はそこそこ好天の日が多い梅雨前のホッとできる時期だが、今年は曇天が多いからか、なかなか出歩くのが億劫だ。やっと咲いた春バラは連日の強風や雨で痛み、強い光を感じることも少ない日中の外出は、どこかで義務的な気分を感じてしまう。要は、5月らしい楽しみがなかなかない。そうこうしているうちにもう6月。もう、長袖シャツは使わないかな。

 

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Floral Friday #222


 ピンクや乳白色の優しい色の花が淡い水色の空の下でゆっくりと揺れる春に、いっときフレッシュな黄色と緑色の溢れる時期が現れる。そんな時期を過ぎると初夏の気配である。散歩していてビタミン・イエローという感じの元気な黄色が見えたから覗き込んでみたら、こんな透明感あふれる黄緑色が広がっていた。
 他所のお宅の庭先から溢れ出た草花を見て覗き込むなんてちょっと怪しいやつだが、見て正解だった。こんな色にはなかなか出会えない。ありがたいことに、今時は大仰なカメラを使わなくてもそこそこ美しい写真が撮れる時代である。カメラが小さければちょっとした場所に潜り込むことも難しくない。
 なるほど猫の皆さんは、こんな美しい景色を楽しんでいたんだななんて気付けるのである。