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(Floral) Friday Fragments #287


 地球が属する太陽系は、天の川銀河の腕のひとつにあって、天の川銀河は、おとめ座銀河団のはずれにある。もはや何を言っているのか分からないレベルでスケールが大きい。そもそも住んでいる場所を俯瞰してみるには、高い位置からドローンで見るなどしなければならないように、天の川銀河を高い位置から観測しなければ、どんな風になっているかは計算でしか分からない。

 それでも、似たような形状の銀河を見て想像することはできる。かみのけ座銀河団はよく知られた銀河団で、きっとかみのけ座銀河団に属する銀河の中の星から地球の属するおとめ座銀河団を観測すると、こんな感じに見えるのかなあなんて思う。

 何でそんなことを書いているのかと言えば、上の写真を見ながら銀河団を想像したからである。物理的な理由も何もかも異なるものであるとは言え、自然の造形などさして違いはない。この花をじっと見ていると、そのうち銀河を構成する星が見えてきそうな気がするのだ。

 ん?かみのけ座銀河団がどんなものか知りたい?星好きでもない限り、退屈ですよ。
 検索リンクを貼っておきます。

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(Floral) Friday Fragments #286


 猛暑日が普通になって、最高気温が32度くらいだと涼しいような気がするのは、感覚がおかしくなっているのだ。そんな会話をしていたら、案外気温が下がってきた。夏だって昔から涼しい日もあったのだ。これが普通だ。でも、寝苦しいことには変わりはないらしい。むしろ、曇った日が続くと、湿気がまとわりついて、この枕木みたいに朽ちそうな気分になる。

 最近、ふとしたことから温泉の記事を調べていて、頭に乗せるタオル(昔だったら手拭い)の意味が他にもあったことを知った。ある程度の年齢になっても、案外、知らないことも多い。それは、時代が変わって不要になったとか、習慣が変わったとか、そんなことも背景にあるのだろう。TV番組で蚊帳(かや)の話が出てきて、そういえば最近は見ないなあと思ったが、確かにこれほど網戸が普及したら蚊帳も必要ないのだろうななんて改めて考えたりする。だったら、頭に乗せたタオルの意味合いだって、違ってくるのだろう。

 で、ふと思ったのだ。網戸のない、蚊帳を吊った宿なんて面白いんじゃないかと。もちろん防犯上の課題はあるだろうが、外から入れないような作りの宿なら、雨戸を開けて蚊帳で寝る宿なんて、ワイルドで良さそうだ。テントで寝るより面白そうな気がしないでもない。ん?そもそも蚊帳が売っていないか?きっとそんなことはない。ニーズは減っても生産はしているに違いない。

 この記事を書いているうちに蚊取り線香の匂いがしてきた。もちろん、頭が勝手にそう感じているだけで、蚊取り線香の煙が漂っているわけでもない。でも、それは子供の頃に、蚊取り線香を焚いて蚊帳の中で眠った微かな記憶にも関連するに違いない。あの時すでにクラシカルなものだったのだから、今はどうなのだろう。

 SNSで蚊帳とか銭湯の手拭いとかのポストを見ても、今や昔話であったり昭和レトロ的文脈のものばかりで、さすがにもう普通に使われているようなポストは多くなさそうだ。それどころか、男性更衣室に女性の清掃員が入ってきたというポストに、結構な数のけしからんというコメントが付いていて、確かにコンプライアンスなんて視点もあるよななんて考えた。でも、20年くらい前までは、清掃員の方はサッカーのレフリーと同じ。石として扱ったような時代だった。いや、その当時もけしからんことだったが、これほど叩かれる話でもなかった。

 そう考えると、蚊帳だけの部屋なんて、今や成り立たないような気がしてきた。でもなあ、何だか面白そうな気がするのだ。古民家でも改造して、周囲に人が入れないように塀を作って、五右衛門風呂に蚊帳の部屋なんてだめかなあ。利益出ないか。

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(Floral) Friday Fragments #285


 毎年楽しみにしていた南国風の木槿が、今年はどうしたことかオクラに見える。花の色も大きさも全然違うのに、どうしたことか。身体がバテてオクラを欲しているのか、単に卑しいのか。

 どちらもフヨウ属(ハイビスカス属)なので、花が似ていても驚くようなことではないが、特に南国の花というわけではないというあたりは驚いた方が良いのかもしれない。日本では、特に亜熱帯に咲くフヨウ属の花の一部をハイビスカスと呼んでいるということなのだそうだ。じゃあ、誰がハイビスカスを南国の花として広めたのか?という疑問が湧いてくるが、暑いせいか、もう調べるのも面倒になった。

 この写真は、もしかしたらお気づきの通り、朝の光に照らされている。日中に見ると真っ白で目に眩しいムクゲなのだが、朝はオレンジがかった陽の光に染められて、かすかに黄色味がかった白をしている。これもまた、暑いせい。もう日中に出歩く気にはなれない。写真を撮ったのは朝6時を少し過ぎたくらいの時間だが、それでも日差しが当たると痛いほど。

 あと一月もして9月の半ばになれば、多少はマシになるのだろうか。

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(Floral) Friday Fragments #284


 いよいよアホみたいに気温の高い夏がやってきて、街角に咲く花も少なくなった。近所にいくつかある百日紅を楽しみにしていたのだが、ほとんどが切られてしまって、あまり見かけなくなったし、高速道路沿いによく植えられていた夾竹桃も流行りではないらしい。環境変化に強いヒルガオのような「雑草」はまだまだ咲いているが、流石に花数は少ない。

 我が家の玄関先にほったらかしにされているランタナの鉢植えは、あまりの暑さに花芽を落とし始めた。ヘリオトロープに至っては、完全に成長が止まった感じに見える。35度を超えるのが常態化するなど、10年前には想像もできなかった。

 先日SNSを見ていたら、欧州熱波に対して、フランス人は馬鹿だから景観を重視してエアコンをつけるのを禁止しているとか、人種差別の国だから低所得者は冷房も買えないとか、根拠のないポストがたくさんあって驚いた。もちろん、そんなことはないし、他のポストを見れば書いている人が差別的な感覚の持ち主でわざと煽っていることは明らかだったが、きっと一部の人にはそんな風にも見えるのかもしれないなとは感じたのだった。

 欧州熱波は、ほとんど毎年のようにやってくる。年に1回か2回。アフリカからの熱波がジブラルタルをわたり、スペインからフランス、そしてドイツへとやってくる。そんな大気の循環とそれを支えるであろう暖流があるから、北海道よりはるかに高緯度でも冬を過ごすことができる。そのあっても2回程度の熱波は、数日の間40℃もの高温を涼しい欧州にもたらす。何しろ、普段の夏の気温は、最低気温15℃、最高気温25℃程度である。もちろんスペインあたりやフランス南部ではもっと上がるし、北欧ならずっと涼しいが、多くの地域では冷房はいらない。むしろ夏でも長袖の上着が必要なほどである。そんな地域だから、たった3日のために冷房は導入しない。普及しないから高額だし、高額だからますます冷房が馬鹿馬鹿しい。知人も散々悩んで、結局冷房を買っていない。

 とはいえ、そんな地域に40℃の熱波がやってくれば、当然死者が出る。駅や公共施設では水を配ったり、噴水を開放したりと対応に忙しい。路上生活者には、ボランティアが声をかけて回っている。地球温暖化に対して欧州が敏感なのは、そうしたことも背景にありそうだ。

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(Floral) Friday Fragments #283


 もう花も終わりのヤグルマギクを見ながら、昔の職場の近所にあった原っぱを思い出した。原っぱなんていつの時代の言葉だろう。昭和を古い時代遅れの懐かしい昔のように言う風潮にも慣れたが、その慣れのせいなのか、色々な言葉が古臭く感じて使いにくくなった。それで他の言葉を探すのだが、思い出したものは「原っぱ」としか表現が思いつかない場所だった。

 原っぱ。決して自然が残された草原のような場所でも、森の中に開いた草地でも、作られた遊び場でもなく、何かの跡地を整地したものの、ずっとそのまま残されたままの土地で、それでも定期的に草が刈られている。立ち入り禁止で、杭が立てられロープで区切られてはいるが、子供たちは時々その原っぱに入り込んで鬼ごっこをしたり、バッタを捕まえたりもしている。子供たちの目から見ればその場所は十分に広く、小さな空き地といった類ではない。

 ともかく、そんな場所なのである。思い出した原っぱは、季節折々に花が咲いていた。おそらくは以前にはタネが撒かれ、しばらくは整備されていたのだろう。その花が残って、毎年、同じように花が咲く。もう整備はされていないから、終わった花殻も積まれることは無い。だから、茶色くなった花弁がまだ咲き続ける花に混じっている。作られた花壇ではなく、原っぱの自己主張。

 この場所は、きっと間も無く刈り取られる。放置された原っぱなどではなく、花壇の一部である。それでも都会に住み続けていると、こんな風景がきっと楽しいのだ。