The text was written only in Japanese.
教会の鐘が朝を告げた。裏庭では赤い薔薇が自分自身を支えきれずに頭をその横のベンチにもたれかけ、小さな表通りでは、ショートコートの襟を立て小さなパンの袋を抱えたサラリーマンが道を急いでいる。またポツポツと雨が降り始めていた。6月の北フランスはまだ初夏からは遠い。
サマータイムは、夜10時を過ぎても明るい。仕事を終えた後もつい外出したくなるそんな夕べとなる。もう、ひどく寒いという季節ではないが、半袖一枚で過ごせるものでもない。だから今日は何を着ようかと少し悩む。日中の強い日差しを考えて半袖で外出しようかと思っても、朝夕の冷たい風を思い、結局はその上に一枚羽織ることに決める。ショートコートか雨に当たっても染み込みにくいジャンパーが簡単だろう。一日の中にあらゆる天気があるのだから。朝、窓の向こうには色の消え失せた雲が覆い尽くすように広がり、アメリカ製の天気予報アプリは一日 overcast と告げているが、恐らく間もなく晴れてくる。白く柔らかな雲がぽつりぽつりと浮かび、そよ風が首の周りを抜けて行く爽やかな午前が始まるのだ。その頃には、件の天気予報アプリも初心を忘れてclearとかpartly cloudyとか表示するに違いない。やがて夕方には再び雨となって、気温はあっという間に下がっていく。であれば天気予報など要らないではないか。
横浜、さして重要とも思えない仕事から遅く帰宅する夜。先月末のヨーロッパのニュースサイトは、すっかり欧州議会選挙とウクライナ情勢一色という状況だった。そうでなければサッカーの結果。日本からの距離を感じなくもないが、すぐそこにあるいつもの日常でもある。直ちに影響が現れるものでもないだろうが、選挙結果を見ていると右傾化は世界的な状況のようでもあって、時代の変化にどことなく不安を感じなくもない。そう考えながらも、それは同時に他人事でもある。買い物をしながらふと一度雨に洗われた路面に目を遣る。雨はすっかり乾いていても、汚れの落ちた路面は時折輝きを見せた。
横浜では誰もが首を垂れて、後生大事に小さな呪文の書かれた光る箱を抱え、何事かつぶやくようにそれを覗き込む。電車の妙に丁寧な英語のアナウンス。帰りを急ぐシワだらけのワイシャツ。咲き始めた紫陽花の青にあたるLEDの他人事のような光。夏はすぐそこにあると告げる湿気は、シャツの中にじわじわと入り込んでくる。遅い電車だというのに、人は一向に減らない。暗くなってからの時間は、疲れて不満顔の人々に置き換えられて消えていく。あたかも最初から無かったように。
電車の中を人混みの頭越しに振り返り、ふと、アーチ状の梁が連なる回廊を思い出した。休日、誰もいない街の朝だった。iPhoneを取り出し、写真を探す。自分もまた、現代の聖書を抱えたひとりとなった。
3枚の写真はiPhoneで撮影


