
またひとつ銭湯が店じまいした。銭湯が営業を止めることをを店じまいというのかどうか分からないが、その場所はあっという間に更地になって、やがてコインパーキングに代わり、今ではそこにあった銭湯がどんな形だったかも思い出せない。記憶にあるのは黒い木の壁と高い煙突があったことくらいで、大抵は銭湯とはそんな特徴があるのだから、本当の記憶だかどうかもわからない。
こんな事を書きながらこう続けるのもなんだが、銭湯がなくなって困った訳でもない。もうずっと銭湯には行っていなかった。何故銭湯を思い出したかと言えば、断水である。最近、近所で水道工事があって何度か断水したのだ。ほんの数時間だから銭湯に行く必要もない。それどころか、長時間断水するなら風呂を心配する以前に色々考える事がある。ただ、断水からボイラーの故障でお湯が使えなくなった事を思い出して、そんな時は銭湯が便利だなとふと思ったのだった。
実は何度も断水やらボイラー故障を何度も経験した。日本ではなく、フランスのことだ。二度ほどは冬のお湯なしサバイバル生活を断念してホテルに転がり込んだが、大抵はバケツやバスタブに水を溜めて、なんとか凌いだのだった。ホテルに泊まればお金もかかる。滅多にないとは言え、断水如きで毎回ホテルには泊まれない。
海外旅行でのシャワートラベルは時々聞くが、住めばもっといろいろ起きるというものだ。そしてフランスには銭湯がない。パブリックのプールやシャワー付きのジムはあるから、そのついでにしっかりシャワーを浴びてくるなんて手もないではないが、断水だから行くのも心理的に落ち着かない。
だいぶ前の話だが、温泉の湧くリゾート施設のそばのベンチでのんびりていたら、話好きのおじさんがやたらと親切にその地の案内をしてくれた。今ほど外国人との軋轢がなかった時代の事である。元々外国人に優しいカナダだから、拙い英語など気にもせず、あれは見たか、ここは楽しいぞと申し訳ないくらいである。最後に教えてくれたのは半洞窟の温泉で、疲れが取れるからぜひ行ってみろと言う。ひとしきり話をして去り際に思い出したように付け加えたのは、こうだった。日本じゃ温泉は裸で入るが、ここは水着だ。絶対水着を忘れるな。いや、分かってるって。そう思ったが、ありがとうと言って楽しいおしゃべりを終えた。
世界と仕事をするなんて書くと鼻につくが、日本を出て仕事をしていると、実にコミュニケーションが重要だなと心から感じる。最近は外国人はルールを守らないと嫌がる人も多いが、そうした問題の多くはコミュニケーションの問題だったりする。温泉に水着で入る事くらい分かっているが、それが分からずに裸で入ったら、きっとカナダ人も日本人はルールを守らないなんて言うに違いない。
あまり現実的な話じゃないなんて感じる人もいるかも知れないが、ゴミの出し方だろうが、お店での買い物の仕方だろうが、コミュニケーションしなければ分からないものだ。フランス人と仕事をするならまずは会話だなんて、当たり前すぎる話であって、相手が日本人だって同じはずだ。でも、あったら目を見て握手をし、まずはバカンスの話でもするなんてことが案外できない。温泉で水着を着るなんてことと同じレベルで、フランスなら握手をするのが常識なのだ。親しくなれば、同性だろうが異性だろうがビズを交わす。フランスのお店に入って黙っていたら怪しいやつと思われるのと同じで、握手もせずにいきなり仕事の話をしたら怪しいやつに見えるかもしれない。
温泉と言えば、こんな話もある。ドイツのちょっと名の知れたメーカーに出張した時の事だ。提携しているホテルがあるからそこに泊まれと相手から連絡が来た。調べてみたら、温泉付きの五つ星ホテルである。正直、馬鹿高い。そのホテルに話をしてあるからそこに泊まれと言う。提携価格だから格安だと言うが、正直不安しかない。だが、打ち合わせの待ち合わせ場所もホテルのロビーという事で、えいやっと泊まってみる事にした。行って見れば、歴史ある堂々としたホテルである。恐る恐るチェックインしてみたら、なんと普通のビジネスホテル並みの価格を提示されて、これで良ければ先に支払えという。しかも、通常の温泉と健康的な朝食付きのオールインクルーシブ価格だった。もちろん喜んでサインしたが、相手先の会社がかなり負担しているのだろうと想像できた。
無事に打ち合わせ相手とも会えて、ディナーを一緒に楽しみ、ホテルに戻ってみたら、入り口近くにスパの案内があった。ドイツの温泉は行ったことがなかったので興味深いが、書いてある説明がよくわからない。肝心なところはドイツ語だ。レセプションで聞いてもよいが、水着やタオルを借りたりしなければならないし、明日に備えて資料の準備もあるから時間をかけたくない。温泉に入りたいわけじゃないからまあいいか、なんて考えながら案内を眺めていたら声をかけられた。「タオルは貸し出しますよ。」だそうだ。ああ、でも水着もないし…、と思ったら無料エリアにはプールはないという。いや、プールとかではなく水着がないのだと疑問符だらけで部屋に戻った。
翌日に聞いたら、ドイツの湯治場は、日本と同様に水着は不要のところが多いという。身体をしっかり洗ってから、温泉またはサウナに入るルールだと聞かされた。しかも男女混浴だから嫌な人もいるだろうと。えーっと驚いたら、「湯治場だから半分はおじいちゃん・おばあちゃんだし、若い人もいるけど湯治場だから誰も気にしないよ」とさらっと言う。こればっかりは体験しなきゃ分からないと思ったのだった。結局のところ、自分がなんとなく気恥ずかしい上に部屋にも立派なシャワーがあるから温泉は利用しなかったが、こんな事にもコミュニケーションなのだった。きっとタオルを巻いて温泉に入ったら変な外国人だったに違いない。
仕事の方は順調で、相互にやりたい事を確認し、ホワイトボードに殴り書きしたアイデアに全員がサインして日程を終えたのだが、全部で三日間の予定を喋りっぱなしだったから、最後は喉がヒリヒリするほどだった。一緒に出張したフランス人は、「お前といるとずっと会話が英語だから脳みそに糖分が足りない」なんて文句を言っていたが、ドイツ人とフランス人と日本人のコミュニケーションなんて英語でするしかないのだから、お互い様というものだ。全員ネイティブじゃないから、時々説明も長くなる。
「なんだ、アレだ、その、階層化された仕組みの…」
「ひょっとしてビルのフロアの話?」
「それそれ、急に単語が出てこなくなった」
コミュニケーションはいつもややこしい。だが、阿吽の呼吸など役に立たない。世界と仕事するなら話してなんぼなのだ。
そう言えば銭湯の話だった。ずっと行っていない銭湯だが、先日WEB記事で紹介されていた銭湯は、若い頃に行った銭湯の記憶と随分違っていた。クリーンでオシャレな内装だし、小さなタイルがモザイク画のようになっていたあの独特の景色は、もう残っていないように見えた。フランス人が伝統的な銭湯に一度行ってみたいと言っていたが、もう手遅れかもしれない。
昔は番台という一段高くなった場所が銭湯の入り口にあって、入る時に「こんばんは」とか言いながら番台の木の枠にお金を置いたように記憶している。面白いことに番台にいる人は、入り口に背を向けて内側を向いて座るような構造になっていて、着替えをおく棚にも鍵がないところがあった。もちろん有料のロッカーもあったが、手ぶらで来ているなら鍵も必要なかったのかもしれない。番台の人が見ている前で裸になるのは恥ずかしかったが、それだけおおらかな時代があったのだ。古い銭湯もなくなるというものだ。
タイトルの「こちふかば」はもちろん「東風吹かば」である。
しばらくの間フランス人と仕事をしてきて、日本の常識が通じなかったり、良いと思っていたことがむしろ良くない行為に感じられたりとギャップを感じてきた。だから、これから世界と仕事をしたいと思っている人に向けて、ビジネスの教科書的ではない、ちょっとした感覚の違いを書こうかなと思ったのだった。
そうした背景からは、「日本的な風を吹かして」という意味で付けたタイトルのように見えるかもしれないが、実は少し違う。関東に生まれた身からすれば、東風が吹くということは、冷たい小雨が降るような少々暗い天気だということを意味している。自分ではどうにもならない冷たい風が吹くようなそんな環境に身を置けばという意図である。
日本では、仕事をしていればなぜか漢語が多くなる。あるいは意味も曖昧なままに導入されたカタカナ英語である。「じゃあ、総意として遅延させる方向でコンセンサスに至りましたので、この部分は後ろ倒しということで」なんて、「皆が遅らせても良いとのことですので、先送りします」でも良いわけで、和語の方が柔らかく感じられるではないか。しかもせっかくの和語になっている「後ろ倒し」なんて言葉は誤用でもある。そんな反省も踏まえて、柔らかく「こちふかば」なのである。



