
You won’t know until you go there whether the dark, damp, narrow staircase leads to a place shrouded in darkness or a place where light shines in.
暗く湿った狭い階段を上がった先が暗闇に包まれた場所なのか、それとも光の差し込む場所なのかは、行ってみなければ分からない。
A Part of Mostly Monochrome Monday
capturing in prose

今日のポストは完全に予約投稿であって、このテキストを書いているのは実のところ6日も前の3月8日だったりする。写真はさらに一週間前なので、本当の時間は自分でもよくわからない感じになっている。予定がたくさんあるのは良いことなのだが、皺寄せも大きいので、「やることないから本でも読もうかな」なんて考えるくらいがちょうど良い。もう、積読が多すぎて本を買う気も起きない訳で、現代社会は忙しすぎるんじゃないかなんて、過去も知らずに言いたくなる。
先日、フランス在住のフランス人と昔話をしていたら、しみじみと夏の湿気が懐かしいと言う。前の仕事がひと段落して今は一緒に仕事をすることも無くなったが、そのフランス人が言うには、あの頃は良い時代だったのだそうだ。曰く、
雨が降り続く長い冬を抜けてようやく天候が回復してきた4月から5月にお前がフランスに来て、一週間もかけて議論を重ね、その議論に従って翌年までの計画を検討し、7月の頭に俺が東京に行って計画を確定させる。そうやって前に進めてきたから、抜けるような青空の冬の東京も、梅や桜が咲く春の風景も、赤く染まる秋の紅葉も知らない。記憶に残っているのは、馬鹿みたいに高温多湿の暗い「梅雨」だけだ。「梅雨」という単語も覚えたし、「梅雨」のクレイジーな蒸し暑さも、次に進めるというシグナルだった。だから、ホテルに戻ってシャワーを浴びても一向にさっぱりしないベトベトした梅雨が懐かしいと。
はい、すみません。思わず謝りたくなる日程だったと思い出して、梅も桜も見たことないの?と確認する言葉を思わず飲み込んだ。フランスにだってアーモンドやプラムの木もたくさんあるし、桜並木もない訳じゃない。それでもたまには日程を変えてもよかったかななんて今更思っている。

公園のフェンスの隙間から覗き込んだ先に、春らしい暖かく湿った芝生が緑色に輝き、紫木蓮の巨木が枝いっぱいに花をつけていた。その下に行って肺の奥まで空気を吸い込みたかったが、公園の入り口は少し離れた場所にあった。誰でも入れる公園なのに、どこかもどかしさを感じる朝だった。
紫木蓮(シモクレン)は、フランス語ではマニョーリア。ヨーロッパでも日本と同様に公園や庭に植えられているありふれた観賞用の花木であって、様々なところで広く愛されている。あまりに普通に植えられているからヨーロッパ原産なのかと思いきや、フランス人に聞くと日本原産じゃないの?なんて聞き返される。実際のところ、中国南部原産である。そう言われてみれば、中国の伝統的な絵などにも描かれていそうではある。花弁は大きく、泰山木のような南の木を感じさせる。泰山木も木蓮の仲間であるので、そうイメージするのかもしれない。花が終わった後の実も泰山木と木蓮は似た形をしている。
そんな紫木蓮だが、個人的には「詩木蓮」と書きたいなと思う時がある。うまく説明できないが、春の花であるはずの木蓮を見ていて、どこか涼しげな初夏や秋の詩情を感じることがあるのである。泰山木と木蓮の関係の様に、何か理由があるのだと思うのだが、どうしても理由が見つからない。
写真は、何年か前の3月半ばにフランス北西部で撮ったものである。