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Mostly Monochrome Monday #392


I gazed upon this flimsy wall expecting to see a mirror-like space on the other side, but when I finally managed to peer inside, all I saw was a tiny empty space.

この薄っぺらな壁の向こう側に鏡のように対称的な空間が広がっている様な気がして眺めていたが、やっとのことで覗き込んでみると、ちっぽけな空き地があるだけだった。

A Part of Mostly Monochrome Monday

Bonne journée, Photo

magnolia


 公園のフェンスの隙間から覗き込んだ先に、春らしい暖かく湿った芝生が緑色に輝き、紫木蓮の巨木が枝いっぱいに花をつけていた。その下に行って肺の奥まで空気を吸い込みたかったが、公園の入り口は少し離れた場所にあった。誰でも入れる公園なのに、どこかもどかしさを感じる朝だった。

 紫木蓮(シモクレン)は、フランス語ではマニョーリア。ヨーロッパでも日本と同様に公園や庭に植えられているありふれた観賞用の花木であって、様々なところで広く愛されている。あまりに普通に植えられているからヨーロッパ原産なのかと思いきや、フランス人に聞くと日本原産じゃないの?なんて聞き返される。実際のところ、中国南部原産である。そう言われてみれば、中国の伝統的な絵などにも描かれていそうではある。花弁は大きく、泰山木のような南の木を感じさせる。泰山木も木蓮の仲間であるので、そうイメージするのかもしれない。花が終わった後の実も泰山木と木蓮は似た形をしている。
 そんな紫木蓮だが、個人的には「詩木蓮」と書きたいなと思う時がある。うまく説明できないが、春の花であるはずの木蓮を見ていて、どこか涼しげな初夏や秋の詩情を感じることがあるのである。泰山木と木蓮の関係の様に、何か理由があるのだと思うのだが、どうしても理由が見つからない。

 写真は、何年か前の3月半ばにフランス北西部で撮ったものである。

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #211


(日本語は下に)
Come to think of it, I wonder when I started to feel a sense of elegance when I see red and white plum blossoms. When it was no big deal to carry my skis and visit ski resorts in northen and then middle Japan, I used to take naps on benches on the platform at Otari Village Station at Nagano in the middle of winter, but I would freeze to death if I did it now. I should be aware that I am no longer young, since I have come to take a break by viewing the warm plum blossoms. Just as spring comes after repeated cycles of warm and cold weather, the passage of time changes the way I see things.

 とうとう3月も最終週以外は完全には空いていない状況になってしまった。隙間時間なんてたっぷりあるのだが、何かしらひとつでもやることが入っていると、その日はなんとなく他に割り当てたくない気分になる。その昔は年度末の忙しさみたいな話も聞こえてきたが、今の仕事は会計年度=カレンダーだから、3月が特段忙しい訳でもない。スタッドレスタイヤを交換するとか、植え替えをするとか、そんなちょっとした予定が入っているだけである。
 ある程度の年齢になると「キョウヨウ」とか「キョウイク」が大事だそうで、つまりは「今日、用事がある」とか「今日、行くところがある」とかが健康を保つらしい。そんな事を気にするような年齢でもないが、知人の中にはそれなりに高齢になっている人もいて、「あっという間だよ」なんて脅されている。ちょっと前までは、そんな脅しも愛嬌みたいなものだったが、最近はそうなのかと考えないこともない。そんなわけで、用事が入っているのは良いことなのだろう。
 そういえば、なんて思うのである。いつから紅梅白梅を見て風情を感じるようになったのかなと。スキーを担いで東北と中部のスキー場を梯子することも何でもなかった頃は、真冬の小谷村の駅のホームにあるベンチで昼寝したこともあったが、今なら凍死しそうである。暖かな梅の花見で一息つくようになったのだから、若くはないと自覚すべきなのだろう。暖かくなったり寒くなったりを繰り返しながら春になるように、時間が過ぎて行くことで、またひとつ、見えるものが違ってくるのだ。