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(Floral) Friday Fragments #245


 基本的にはここでは季節の話題と普段思っている事でも書こうと思っていた筈なのだが、気がついてみたら、あまり季節の話もない。というわけで、今日も違う話。

横浜は、ここ数日はそれなりに晴天になったりもしているが、その前はかれこれ二週間以上、ほとんど日差しがなかった。気持ちよく晴れたのは先々週の金曜だけで、それでも多少雲があったように記憶している。ようやく今週になって日差しも出てきたが、それでも雲は多めだ。秋の農作物の時期がずれたりしているそうだし、確かに今頃になって秋雨前線が停滞しているなんて半月以上は遅れているのだろう。とはいっても、それでもサツマイモもカボチャも美味しいし、同僚は栗を食べに行った(買いに行ったんじゃないのかい?)そうだ。

 そんなスッキリしないお天気で思い出したのが、かつて住んでいたブルターニュの雨だ。ブルターニュはあまり日本では馴染みがないが、モン・サン・ミシェルがあるのはノルマンジーとブルターニュの間だし、のだめカンタービレの撮影があったサンマロはブルターニュにある。夏になればヨーロッパ中から人々がバカンスに訪れるリゾートがたくさんあり、パリからの移住者も多い。そんなトップクラスの旅先が雨とはどういうことと疑問を感じるだろうが、ブルターニュのイメージは雨なのである。ブルターニュ人は、雨が降ってもバーベキューをするとか、どんよりとした曇り空を見ていい天気だねと言うとか、雨の話で揶揄される。傘をさしながらバーベキューをするイラストは、お土産にもなった。
 そんなに降るのかと思って年間降水量を調べたら、実は案外そうでもない。東京と変わらない。なぜそう感じるのかといえば、10月から4月くらいまでは、降ったり止んだりだからだろう。降り始めたなと思っていたら、薄日が差し始め、やがてまた降り出す。時々はざっと降ることもあるが長続きせず、しとしと降る長雨はない。だから傘は持たないし、時に雨が降っていても外のテーブルでコーヒーを飲む。3月から4月にかけては多少激しいストームもくるし、突然のあられに一面真っ白になることもあるが、激しい雨はせいぜい15分。その後は日差しがあって虹も出る。ただ、安心していると、30分後にはまたストームだ。
 そんなわけで、本降りの雨っていうわけでもなく、曇ってばかりで時々降る小雨を見ながら、なんだかブルターニュみたいだなと思ったのだった。これから秋晴れになると良いのだが。

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(Floral) Friday Fragments #244

 
 秋になれば稲から始まって、ススキもセイタカアワダチソウもブタクサも風に揺られ、なんだか鼻がムズムズする。セイタカアワダチソウは帰化植物でススキと競合するとか、セイタカアワダチソウが蔓延ると自家中毒で次第に勢力が弱まるとか、なんだかあまり良いイメージがない。おかげで秋の黄色い花は、推し並べて悪そうな感じがしてきてしまう。なんだか嫌だなあ、なんて黄色い花を見ながら思うのだ。

 ところが、よく聞くと、秋の花粉症はブタクサであってセイタカアワダチソウはあまり花粉を出さないのだそうだ。帰化植物の上にどんどん広がるから、花粉の原因もセイタカアワダチソウだと思っていたのは誤解であった。なんだ、そうかブタクサか。帰化植物だからと言ってそんな目で見てはいけないな。ブタクサが犯人だった。

 そう思って調べたら、ブタクサも帰化植物とのこと。世界は小さい。

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(Floral) Friday Fragments #243

 
 職場で連絡先のLINEを教えてほしいと真顔で言われて驚いた。まず聞かれるのは、メールか電話番号だろうと勝手に思い込んでいた。

 いくつもの理由でLINEは使っていない。仕方なく「LINEを使っていないから連絡はメールでして」と伝えたら、便利だからLINEを使えとしつこく誘われる始末。最近はLINEを使わない人が増えていると感じていたから、ちょっと意外なお誘いだった。
 その前はヨーロッパに少しばかり住んでいたので、LINEを使う知人は誰ひとりいなかったし、なくて困るものでもないと感じていた。たしかに似たようなツールとしてWhatsAppを使うこともあったわけで、LINEのような仕組みがヨーロッパにないわけでもない。とは言え、日常的に会話が続くものでもないから、LINEとは少し意味合いが違う。自分の中で、やはり個人的にはLINEは不要なツールなのだ。

 LINEを使っていないと、「何故使わないのか」とよく聞かれることがある。LINEを使わない人がいる事を理解出来ない人もいるのだろう。
 LINEを使わない最大の理由は、のべつ幕なしに届くメッセージを避けるためだ。食事時だろうが、静かに読書していようが、はたまた疲れて寝ていようがLINEは届く。見なきゃ良いと言う指摘はごもっともだが、メールと違ってLINEは読まれることを前提とした仕組みになっている。「まあ後で見ておきます」なんて思って放っておくのだが、グループだと暇な誰かが返事をするから、再び通知される事になる。ひとたび会話が始まれば、ずっとメッセージは届き続けるのだ。
 やれやれと開けば、大抵は重要な話ではない。明日には全員集まる機会があるからそこで話せば充分な内容だったりもする。「忘年会は、和食で良いか?」なんて会話で自分の時間を潰したくないのだ。

 そうなったら次の手は通知を時間指定で受け取る作戦だ。夕方6時なら移動中だから比較的良いだろう。だが、まもなくそれも浅はかな考えだと悟る事になる。何か聞かれている事があれば、答えなければならない。返事を返せば会話が続く。一瞬では終わらない。
 最終手段は通知を切る事だ。暇な時にLINEを開く。ああ、今日は予定通り仕事も進んだし、ちょっと余裕もあるな。そう思ってLINEを開く。そんな時に限って何もない。そして、やがて開かなくなる。月に二度程度、ああそう言えばと思い出す。そんなやつに誰もLINEは送らない。だから使わない。
 気付けば忘年会の日程も内容もとっくに決まって、参加者数にもカウントされていない。そしてある日言われるのだ。
「忘年会、出ないんだね。忙しいって良いことだけど、話したいことあったのになあ。」
えっ、どういう事?だからメールしてってお願いしてたのに。そう思った後で気付くのだ。だってLINEに入ってたんだから、みんなは連絡したつもりだよねと。
 たまに読むだけのLINEほどひどいものはない。
「あー、そうか。ちゃんと会話したい人なんだね。じゃあ、電話で良いかなあ?」
なんて言われる事もある。いや、そういう事じゃない。食事中に電話はとりたくない。食事中にLINEが来て、慌てて見たらお地蔵さんの写真だったというくらい、電話で「いま暇?」と聞かれるのは嫌だ。大抵は暇じゃない。
 冷静になって使い方を考えてみれば、たまにしか見ないSNSより、むしろのメール方がチェック頻度が高い。次がblueskyのようなSNS。一番チェックしないのがLINE。

 SNSって見たい時にしか見ないものだよね。なんて同意してもらえないのかなあ。

Bonne journée, Cross Cultural, Photo

Loire-7/7


No matter how beautiful and magnificent the castle may look on a sunny day, no matter how rich the history that resides within it, on a rainy afternoon it appears more like an awe-inspiring, forbidding ruin. Perhaps there was a tragic person imprisoned in that tower? Perhaps anyone who approached the castle without permission was shot with an arrow. Of course, such a story is up to the viewer’s imagination. Some people might imagine that a magnificent ball was being held in this magnificent castle shrouded in dark clouds.

I could say that the charm of the Loire Valley is that the castles that appear one after another have various stories, and the way you imagine them may depend on how you feel when you see them. This post is the last one. If you have never been there, I recommend you add it to your bucket list.

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(Floral) Friday Fragments #242

 
 齧られた花弁をベッドに刺刺した尻尾のようなふさが垂れ下がる。そう思ったら、どうにも撮りたくなった写真だが、撮ってみたら案外つまらない。いつものことである。
 できれば毎日1枚くらいは写真を撮りたい。大仰なカメラでなくても良い。スマホで十分。そう思って義務感のように撮る写真は、大抵はつまらないスナップになってしまう。歩きながらふと直感的に感じた何かを無意識に撮ったもののほうがよほど面白い。この写真は、その中間で、義務感のようなものを感じながら撮った写真ではあるのだが、ふと感じるものがあったから撮ったので、ちょっと期待した写真ではある。きっと、その期待というものがよくなかったのだろう。

 日々、世の中のニュースを見ていると、時々何か言いたくなるのは自然なことだろう。時には、「政治家なんて…」とか、「どうしてそんな他人を貶めることを…」とか、そんな愚痴見たいな言葉がいくらでも出てくる。それをここにあまり書かないのは、意見がないからではなく、一方通行だからである。ほとんど何も解決しない一方通行の愚痴は、むしろ他の人にまで不愉快さを共有しているようなものだから、ある意味自分も共犯者になったような気がしてくるのだ。
 その点、街中で直感で感じた何かを(それが何かはわからないことも)表現するのは、同じ自分の感覚の押し付けであっても後悔が少ない。もちろん、不愉快に感じるのか愉快に感じるのかは人それぞれ。時には自己満足だけの押し売りに嫌な思いをされる方もいるかもしれないが、そこは多少のずれがあるのが人というもの。割り切ることにした。

 そんなわけで、中途半端だなと思いながらアップした今日の写真である。