
Have a good holiday.
capturing in prose

Have a good holiday.


今週は、しばらく前に撮ったもみじの写真でご容赦願いたい。色々と忙しい時期でもあって、新しい写真を用意したりする時間が取れなかったのもあるが、このスマホ写真を使おうとして、すっかり時期を逸したから、このあたりでさりげなく使っておこうという本音もある。
この華やかなモミジはおそらくはイロハモミジで、ヨーロッパでも大変人気が高い。
紅葉といえば赤や黄色の色とりどりの山をイメージするが、欧州の赤は案外美しくない。個人的な直感でしかないが、恐らくはそれは天候が悪いからなのではないかと思っている。よくガイドブックなどには「北米や欧州には赤い紅葉があまりない」と書いてあるが、そんなことはない。多分、単なる思い込みであって、それが美しい赤かどうかは別にしても、赤い紅葉はごく普通にある。ただ、多くの地域で秋から冬にかけては日照時間が少なく、青空をバックに燃えるような赤が山を覆うようには見えないということなのかなと想像している。
同様に、四季がはっきりしているのは日本だけだと書いていたりもするが、フランスも四季ははっきりとある。日本の四季と違うというだけである。サハラからの熱く乾いた風が吹き込んで40度になったり、北極海の低気圧が冷たく湿った空気をもたらしたり、メキシコ湾流の比較的暖かな海流が北の風とぶつかって冬中雨が降ったりと、日本とは全く異なる季節がある。
ただ、この紅葉の色は別格である。今年は紅葉がかなり遅れたが、ようやく輝く花のような紅葉を見て、ホッとしているところである。

遅い朝の柔らかな光に照らされた山茶花にも、どこか夏のイメージを感じることがあるのは気候が温暖なせいなのか、それとも勝手な思い込みなのか。
最近は椿や山茶花を見ても苦手な感じがしなくなったのは、年齢が上がってきたということなのだろう。こんな派手な造形を見慣れたという事もあって、余裕を持って見ることができるようになったのは間違いない。若い頃は、花を見ても写真に撮りたいなどとも思わなかったし、興味もなくて、単純にきれいだなと思う程度だったものが、道端の花に興味を持てるようになったのは喜ぶべきことに違いない。
ひとつ自分で納得しているのは、色々と経験を重ねてきて、スリルとか緊張感のようなものにはあまり驚きも喜びも感じなくなってきている、というのはあるのかなと思っている。それよりも、今まで目をやる余裕もなかった道端の花にも目が行くようになって、ようやく観察ができるようになったのかなと。
理屈はどうであれ、こんな山茶花を見て写真を撮っているのは、若い頃には考えられなかったことだということだけは間違いない。
ちなみに中国だと、茶梅と書くのがサザンカ(sasanqua)であって、山茶花はツバキのことだそうである。山茶花は本来はサンサカであって、これが転じてサザンカとなったなんて言われると相当ややこしいが、この手の類のうんちくを喜んで聞いたり話したりするのも若い頃には考えられないことだったような気がする。クイズ研究会なら別なのかもしれないが。

急に朝晩に暖房が欲しいなと感じ始めたと思ったら、あっという間に初冬の花が咲き始めて、ようやくいつもの季節に戻ってきたような安心感を感じている。寒くないに越したことはないのだが、ずっと夏ばかりでも困るし、寒くならないものどうも違う気がする。常春の国に住めたら良いななんて考えていたが、常夏よりは良いにしても、季節が多少ある方がかえって楽と言うものだ。DNAに記憶されているなんて言い方もあるが、人は多少の変動がある方が健康でいられるような構造なのかもしれないなんて考える。
まあ、正直言って、どうでも良い話ではある。夏に美味しい冷たいものを食し、冬に美味しい温かいものを食す。その間の春と秋は、豊かな作物をおいしくいただく。結局は食欲なのかと反省。