Cross Cultural, Photo

Floral Friday #199


 急に朝晩に暖房が欲しいなと感じ始めたと思ったら、あっという間に初冬の花が咲き始めて、ようやくいつもの季節に戻ってきたような安心感を感じている。寒くないに越したことはないのだが、ずっと夏ばかりでも困るし、寒くならないものどうも違う気がする。常春の国に住めたら良いななんて考えていたが、常夏よりは良いにしても、季節が多少ある方がかえって楽と言うものだ。DNAに記憶されているなんて言い方もあるが、人は多少の変動がある方が健康でいられるような構造なのかもしれないなんて考える。

 まあ、正直言って、どうでも良い話ではある。夏に美味しい冷たいものを食し、冬に美味しい温かいものを食す。その間の春と秋は、豊かな作物をおいしくいただく。結局は食欲なのかと反省。

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #198

 

 コンクリートの壁を横切る微かな光に、
 線香花火のようなハゼランの実が
 チチと音を立てていた。
 その真紅のスパークは夜よりも昼下がりに輝き、
 そのエメラルド色の発射筒は控えめに揺れ動く。
 ようやく過ぎ去った溶鉱炉のような秋が、
 街に残した翌年の宿題。

 さて、どうしたものか。やりたいことはいくらでもあるというのに、そのやりたい事が多ければ多いほど、時の進みは加速する。先日まで待ち遠しかった週末が、今は月曜日を迎えた途端にやってくるようだ。その暴力的なまでに加速する時を味方につける術を未だ知らない。

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #197


 カメラが売られなくなって久しい。各種統計情報を見るまでもなく、世の中からカメラ屋さんが減り、カメラ屋さんにとって変わった電気屋さんにもカメラが置かれなくなり、気づけばコンパクトカメラがそもそもあまり生産されていない。今やカメラといえば、業務用か高級なものということになっている。そんな状況を嘆くかと言われれば、自分も基本的にはスマートフォンでしか写真を撮っていない。時々古いカメラを持ち出して撮った写真をこのblogでは使っているが、それも徐々にスマートフォンの写真に置き換わりつつある。それで十分なのである。

 このポストでもスマートフォンの写真を使っているが、「それで十分」というのは、個人で楽しむ分には十分な品位の写真が撮れるからという意味が隠れている。ある意味少し消極的な理由であって、本当は良いカメラを使った方が良いのだけれど、この程度ならスマートフォンでも問題ないと割り切っている感じである。ところが、最近は、スマートフォンの方が面白いというむしろ積極的な部分を感じている。

 巨大な一眼レフやそれに代わった業務用ミラーレスだったら上の写真は撮っていない。ポケットに入っていたスマートフォンだったから、さっと取り出して写真を撮ったものだ。まるで花が咲いたようなカラフルな赤と青い背景に気がついたから、仕事での移動中にスマートフォンを取り出して、30秒だけ立ち止まって撮ったのだ。被写体までの距離はごく近く、見た目以上に実物は小さい。

 下の写真も同様にスマートフォンだったから撮った写真である。まるでソフトフォーカス・レンズかフィルタを使ったようなぼやけた画像で、フォーカスがどこにあたっているのかもわからない。これが大型のミラーレスカメラならピントを追い込んで撮っている写真だが、そんな写真はきっと面白くない。このボケたような画像は画像処理の結果なのであって、要はスマートフォンが画像処理に失敗したからこそ撮れた写真でもある。良い写真ではないかもしれないが、少なくともつまらない写真にはならなかった。背景の紅葉が、花が咲いたようにすら見える。写真はそんなところも面白い。

 

Bonne journée, Cross Cultural

(pas) Très sale 4


 Très saleの最終回です。極力不快な描写を使わないようにしていますが、今回もblogではあまり取り上げない内容となっています。

 若い頃は、体力の衰えってどういう事?なんて思うものである。スポーツ選手がなぜ20代で引退するのかも分からなかったし、30代でも体力が落ちた気がしなかった。
 学生時代に何かの授業で「皆さんは殺しても死なない年齢です。」なんて冗談を言われて笑っていた事もあったが、ただ、その意味が分かる年齢になるのは案外早かった。20代や30代はある意味走り続けていたのだ。どんどん時間が過ぎ、「中年」と影で言われる年齢になったあたりから「若い頃」の意味が分かったのだった。
 先日歯医者さんで歯科医が若い歯科衛生士さんにこんな説明をしていた。
 年寄りの歯が悪いのは年齢による衰えだけの問題じゃない。わずか30年前くらいまでは、学校でまともに歯磨きをさせていなかった。その頃子供だったら、虫歯になる。50年前は歯ブラシを持ち歩くどころか、歯磨きの時間もなかったし、寝る前に歯磨きをすることも習慣化されていなかった。つまりは生活習慣の変化も含めて、年齢差は出てくるのが当然なのだと。
 最近は、その歯科のトイレもそうなのだが、綺麗なトイレには「男性も座ってね」なんてシールが貼ってあったりする。立って小用をたすと飛び散って不衛生だというのが主な理由なのだが、コロナ騒動で一気にパブリックなトイレにも広がったような気がしている。自分もずいぶん前から座ってするが、年齢が上がると割合は少なくなるらしい。20代は自宅なら8割が座るそうだが、50歳を超えたら半分以下ではないかとのことである。
 こうした事も生活習慣の変化なのだろう。毎食事ごとの歯磨きなんて当たり前のことを社会全体が当たり前と思うようになったのが30年前なのだとしたら、男性が座ってトイレに行くのを常識とするのは間も無くなのかもしれない。

(こうした内容を不快と感じる方は、ここまでとしてください。ここから先は、トイレ事情や性に関する内容が含まれます。)

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Cross Cultural, Photo

Floral Friday #196


 朝の弱い日差しを浴びる秋の花々が鮮やかに感じられるのは、どういうわけか。朝日や夕日がわずかな時間だけ黄金色に輝くように、弱い光の作り出すそのわずかな瞬間が生活する時間と重なり合うからなのか。それとも黄色に惹かれる季節の思い込みなのか。
 ようやくキク科の花が咲き始めて、冬になってきたのだなと実感する。それがなぜ美しく感じるのかなど考えるだけ無粋というもの。秋の日のもの悲しげな音よりも、足急ぐエンジン音の響きが目立つ秋の乾いた空気を忘れ、ただひたすら秋色に魅入る。