Yokohama Chinatown in silence.
A part of
Monochrome Monday.
Category: Bonne journée
習作

その丘は平坦な住宅街の中に腫れもののように唐突にあった。それは、丘と言うより遠い昔に誰かが思いついて作り上げた土塁のようでもあった。周囲よりわずかに高い土地が細長く広がり、その中腹をまっすぐに線路が貫いて、ちょうど中央の部分に小さな駅がある。その駅から丘のてっぺんに伸びる道を進むと古い教会風の建物があって、丘の上の街はそこから広がっていた。駅がなぜ平坦な部分でも丘の上でもない部分にあるのかは、おそらくだれもわからない。それは、あるべくしてそこにあったのだった。記録がどこかに残っていそうなものだが、どの文章を見ても最初から駅の位置はそこと決まっているかのように記載されていた。線路を通すことに反対する意見文書ですら、その線路と駅の位置は以前から不適切とされてきたと指摘するだけで、その具体的な理由には触れていなかった。丘の上に住む者にとって、駅に向かう道は町外れに向かう緩やかな下り坂に過ぎなかったが、駅から家に帰る道はだらだらと続く嫌な上り坂だった。一方で平地に住む者にとっては、駅に向かう道は夏でなくても汗をかく面倒な道であるだけでなく、どこかに行くためにわざわざ遠回りを強制する無言のルールに思えた。ただ、ずっとそうであったということだけが街の構造を正当化しているのだった。やがて正当化された無言のルールは習慣となり、誰もそれを考えようとはしなくなっていた。そうやって日常が過ぎ、ある朝誰もが気づかないまま、その丘は漂流を始めていた。
時にはスタイルを変えて書いてみるのも刺激があって良い。とはいえ、慣れない書き方は時間もかかって妙な疲労感が残される。冒頭だけで終えるのもどうかと思うが、続きを書く予定はない。
Wordless Wednesday: Red and Blue
梅, Ume or Apricots
読書

「平日は目の回るほど忙しいので、読書はかけがえのない趣味です」と言う人がいる。きっと素晴らしい週末を過ごしているに違いない。ほっとする週末に、カーテンや木々の隙間からもれる柔らかな日射しのなかで、いつもの場所とは異なるどこかへのドアを開けるのは、至極簡単なことだ。本を開くだけで良い。ブラームスのレクイエムでも聞きながら指環物語を繰れば黒い影がまとわりつき、深煎りのコーヒーを飲みながらサガンを開けば少しだけ懐かしい時代のフランスがあらわれる。
「読書は脳の食事です」と言う人がいる。ガツガツと音を立てて読む姿をなんとなく想像するが、実際はゆったりと豊かな人生を歩んでいるに違いない。通勤電車の揺れる車内でさっとkindleを取り出し、その少し指紋に汚れたスクリーンに新しい自分の影がかすかに落ちる。やがて降りる駅のアナウンスが聞こえてくる頃には、脳のどこかに次の読書のアイデアが生まれ、飲み込んだ文字はすでにエネルギーとなっている。読書は欠くことのできない生活の一部だ。
自分にとってはどうかと自問すれば様々な答えが出てくるが、ひとつ加えるなら、読書は身嗜みである。本を読まずとも生きていくことはもちろんできる。それでも読書は無くせない。
今日の写真は横浜港。東京都庭園美術館での読書に憧れるが、横浜港周辺での読書も悪くないに違いない。



