Bonne journée, Cross Cultural

Still hot, going to be

201809-211

「命にかかわる危険な暑さ」という言い方に違和感を感じるというblogを見かけるが、その感覚もわからないでもない。コーパスでも当たれば何かわかるかもしれないが、少なくとも感覚的にもあまり見かける言い方ではなさそうである。こんな時には「命にかかわる」をgoogleして検索候補の状況で確かめるのが良いのかもしれない。ともかく、聞き慣れない言い方だからこそ違和感も大きくなる。
さて、いつも仕事を一緒にしているフランスの同僚は、この危険な暑さを理解していなかったようである。案外、暑さを理解するのは難しいものなのだ。フランスから羽田に降り立った彼は、あまりの暑さに驚いたものの、手持ちのシャツはオクスフォードの長袖ばかり。どうにもならないと悟るまでにはいくらも時間がかからなかっただろう。オフィスに現れた時には全身ずぶ濡れで、どう見ても夕立のあとという程に汗をかいていた。慌てて冷たい水を渡したが、おそらくは500ミリでは足りなかったに違いない。
フランスを発つ時に天気くらい調べたと思うのだが、35度の暑さが続く事までは思い至らなかったのかもしれない。今年はヨーロッパも猛暑で北部でも35度になったと報道されていたし、まれに暑い日もないではない。スペインで40度という話を聞く事もある。それでも北部では「暑い暑い」と盛り上がる程にまれなのだそうだ。
さて、違和感だが、暑いのは誰でもわかるから大雨と同列にするなというのがひとつの意見のようである。でも意味が違うのである。そう言わなければ伝わらない事もあるという事なのだ。倒れる時は唐突である。

Bonne journée

Prejudice

201808-411

「男性が女性の服を選ぶ」のがフランスとか、「不都合には遠慮なく文句は言うが不都合を気にしない」のがフランスとか、そんな見方がステレオタイプで一面的なのは分かっているが、フランス人といるとなんとなく納得してしまうものである。そこにはその裏返しとしてのステレオタイプな日本がある。店頭で男性が女性のために服を選ぶなんて気恥ずかしいとか、ちょっとした事なら文句を言うものではないとか、そんな類である。
そんな凝り固まった偏見も、この程度のレベルであればさして害はない。小さな偏見を冗談として楽しみ、それにとらわれずに生きれば良い。問題なのはその偏見が冗談の範囲を超えてしまった時であって、一線を超えたかどうかは誰もが容易に気づけるものである。気付こうとしさえすればであるが。
ここでこの話題を続けるつもりは毛頭ない。ある映画を見て一番輝いていたと感じた女優への偏見に満ちた少々悲しいニュースに触れ、ふと思うことがあっただけである。愛着を感じているものと少し異なっていたからつい不平を漏らしただけなのか、どこかに強い偏見があったのかは様々だろう。
人は思いの外わがままな存在である。ある街に、信号で停止した車の周りを巡ってコップに金を集める男性がいた。想像どおりこぎれいな格好というわけではなく、ウィンドウの向こうでカップを差し出す事で無言で物乞いするわけだが、大抵は運転席に座って目を合わせる事なく青信号を待っている。物乞いの男性は、もらえなくても何も主張しないし、信号が変わればふと姿を消している。誰も金を出すことなどないように見えるが、何年もそうやっているのだから誰かしらがコップに金を入れているのだろう。
ところが何年かしてその交差点に行ってみると、その物乞いの男性がいない。今日はもう集めるのは終わったのかななどと思いながら翌日に通って見ても、その日も姿を見ない。これが何日か過ぎると、不思議なことに心配になってくる。名前も知らなければ話をしたこともない。そもそも1ユーロだって渡したことがない。それなのに心配する理由もなさそうだが、病気でもしたのではないかと考えている自分がいる。
ご都合主義と言われればその通りである。人は見たいものしか見ようとしないものなのだ。

 

Bonne journée, Photo

brief vacation

201808-211

I’ve reached a point of saturation
and missed to find my way out.
Now I’m away on brief vacation
and going to give exultant shout.

なんだか手詰まり感で
出口を見失い、
今や束の間の休憩に
歓喜の叫びをあげようとする。

Half off line for a while because it was the 1000th post.
千回目のポストに、ここしばらくは休暇をとって、少しばかりオフライン気味。

 

Bonne journée, Cross Cultural

熱帯夜

 

201808-110

20時間の移動ともなれば、身体も頭もまともな状態であるはずもない。ふくらはぎはじんわりと熱を持ったように怠く、本を開いても3ページを待たずに行を見失う。ようやく慣れたホテルのベッドを抜け出してからすでに24時間。機内でうとうとしていたからその数字に意味があるわけでもないが、少なくともそろそろ平らなベッドが欲しいとは思っていた。だから、ボーイングの馴染みの機体が小さな振動とともに東京湾のそれでも青い海に囲まれた滑走路の隅に降りた時には、これでようやくフレッシュな空気が吸えるとひと安心したのだった。
もちろん東京が暑いことはわかっていた。とは言え、連日のニュースで38度という異常な高温と休まる余裕もない熱帯夜は聞いてはいたものの、日中でも25度で朝晩は長袖の上着が必要な異国にあっては、そのニュースはどこか他人事でもあった。そして、機内持ち込みの荷物をまとめ少しでも広い空間へと出たい気持ちがすっかりそれを忘れさせていた。しかして、宇宙船のような湾曲したドアから一歩出た瞬間、あっと思わず声を上げることになったのだった。歩きながら振り返れば、誰もが例外なく同じ場所で呻き声を上げている。それはちょっとおかしな空間だった。
羽田空港のビルの中は、もちろん十分涼しい。少なくとも税関を抜けるあたりまでは、少しばかり汗をかく程度でなんら問題はない。フレッシュな空気を吸うことはままならないが、飛行機を出た瞬間の少し笑ってしまうような暑さを思えばなんでもないことだった。それが、バスに乗ろうと外に出た瞬間に、これはとんでもない事なのではないかと急に心配になってきた。
バス停の誘導係は、乗客を正規の場所から少しでも影となる場所へと誘導し、その傍で重いスーツケースを順番に並べ、次々と来る問い合わせに答えながら、制服の袖で汗を拭うのだった。乗客を屋根の下に誘導しているから本人は直射日光を浴び続けている。よく見れば、汗をかいているには違いないが、袖はあまり濡れていない。思わず水分を補給した方が良いと言おうと思ったが、話に割り込むまもなくバスがやってきてしまった。まもなく誘導係の彼は、笑顔で乗客を送り出し、再び汗をぬぐって次の乗客に対応するのだった。
なんでも温暖化と結びつけるものでもない。全体としてはそうなのかもしれないが、だからと言って、この異常な暑さの原因の全てが温暖化によるものではない。地球規模の流体力学を解くのは容易ではないが、結局は大きな大気や海流の流れで説明されなければならない。その流体の揺らぎの中で、平均としての温暖化がある。だからすぐに異常気象とか温暖化とかを局所的な気象で語るべきではない。少なくともそう学んだつもりである。

201808-111

そんなことを考えつつ、羽田の暑さにバス停の係員を心配しながら、ふとスロベニアの光景を思い出した。ヨーロッパでは当たり前の自転車専用道だが、彼の地にもそれはしっかりあった。専用の道を作るだけの幅が車道になければ歩道の一部を区切り、歩行者も自転車も違いに道を譲りあうマナーは、いったいどこから来るのか。誰もが自転車を重要な交通機関として理解しているようでもあった。そして言う。二酸化炭素出さないでしょ。オンラインで登録できるレンタルバイクも整備され、自転車がどこでも使える環境は、ちょっと羨ましい。しかも、短時間なら無料と言う。それだけではない。そのレンタルバイクの横にはEV用の充電ステーションが当たり前のようにある。まだまだEV車両は少ないが、あれならきっと普及するに違いない。便利なのだから。
ところで「熱帯夜」と言う表現にはずっと疑問がある。熱帯の夜ってホントにこんな暑さなのか?何しろ行ったことがない。

201808-112