Bonne journée

冬の終わり

木々がようやく淡い緑色になって、朝日に透けるオレンジ色の森を抜ける風に冷たさをさほど感じずに済むようになった3月の終わり、野うさぎの跳ねる白い尻尾を追いかけるようにまだ落ち葉の多い小道を歩きながら、冬の終わりのつまらないため息をつく。

明日からの夏時間が憂鬱なわけでもなければ、土曜の午後のお決まりのデモにうんざりしているわけでもない。正直に言えば、ようやく朝の出勤時間が明るくなってきたというのに来週からまた暗い朝に逆戻りというわけで、通勤の運転が少々憂鬱なのは間違いない。街中のデモの騒音が、暖かくなって開け放った窓から午後のゆっくりとした時間に割り込んでくるような気分にさせていることも否定はしない。それでもそれらは些細なことであって、日常の一部でしかない。

移動中に見つけたEUとフランスとブルターニュの旗

つまらないため息は、どこかに失くした冬への落胆のようなもので、身勝手な自分に対する舌打ちと大差ない。さして雨も降らず、凍りついた朝は数えるほどで、春の到来を知らせるジブレも2回しか記憶にないにもかかわらず、夏時間がやってくる。冴え渡る青空を脳天気に楽しむのは、案外容易ではない。

Bonne journée, Cross Cultural

Narcisses

スイセンが咲き始めると、春の花壇が最初のピークを迎える季節となる。案外スイセンの時期は短いのだが、それでも日向から咲き始めて日陰の花壇に移っていくので、3週程度はどこかしら咲いている。時々誰が植えたのだろうと思うような場所に一輪だけ咲いていたりして、きっと以前に植えたものがずっと残ったに違いないと思うのだが、それだけ身近な花なのだなと実感する。フランス北西部は3月までは雨も多いので、雨に濡れたスイセンを見ながら春を知るわけである。

スイセンは、英語でもフランス語でもほぼ同じNarcissus/Narcissesであって、ナルシズムの語源であるナルキッソスの意味だ。ずっとスイセンが先なのだと勘違いしていたのだが、ギリシャ神話のナルキッソスが命を落とした場所に咲いたのがスイセンなのだと今頃知って驚いた。自分の無知をここで書く必要もないのだけれど、まだまだ文化の背景知識が不足しているなとこれまた実感するのである。

で、ついでに書けば、スイセンはヒガンバナ科だそうで、これまた知らなかった。言われてみれば似ていなくもないが、ということは玉ねぎも遠い親戚ということになる。そうやってくだらない知識を増やしながら週末を過ごしている。

フランス語を読めなくても英語とほぼ同じ
Bonne journée, Cross Cultural

colours

一連の不幸な出来事が始まって以来、至る所に青と黄色の組み合わせを見るようになった。昨日まで他人事のように気にもとめなかった場所が、やがて世界で最も注目される場所に変わりゆく様子を目の当たりにして、世界がつながっていることを実感する。フランスのワクチンパスにもその旗が現れ、無縁だった街のマークもここ暫くは青と黄色の組み合わせに塗り替えられた。COVID -19の制限の中、アフリカに実家のある知人がどうやって帰ろうかと思案する姿を見ながら他人事ではないと思っていた数ヶ月前の日々が、頭の片隅から消えぬまま今日に移り変わっていく。

Since the beginning of unfortunate days, we have seen combinations of blue and yellow everywhere. I realise that the world is connected each other by witnessing how a place that I didn’t care until yesterday will soon change to a most known place in the world. French vaccination pass showed the flag with those two colours on it and a mark of my town is now coloured with those. A few months ago, I was concerning myself in a foreign place by listening to a sigh of my colleague originally from Africa about COVID-19 and it turns to be new before forgetting a nightmare.

Bonne journée

ブルターニュ#7

「素晴らしい教会ですよ。すっと力強く建った尖塔が見事です。旧市街には中世の建築もいくつか残っています。季節の花に彩られた街を存分に楽しんでください。水車小屋も面白いかも知れませんね。」
右手のペンを忙しく動かしながら、案内人はいつになく上機嫌で街の散策を強く薦めるのだった。焼き物はどうですかとガイドブックに書いてあったことを興味本意で尋ねると、彼はペンを止めて両方の襟に手をやってこう続けた。
「あそこまで行かなくてもその辺の骨董市で安く買えますよ。ホテルの近くには木曜日に市が立ちます。正直、私には区別がつきません。少々古臭く見えますがね。運河沿いを歩きたいなら行っても良いかもしれません。」

(ブルターニュ案内の7回目をアップしました。この続きはこちらから。あるいはメニューの「旅」から辿ることもできます。)

Bonne journée, Cross Cultural

door

 時々、ドアの向こう側にある世界がこちら側とまるで違ったもののような気がして戸惑うことがある。大きな壁に穿たれた分厚い木材と赤錆びた鉄の枠で誰もを拒む冷たいドアのことではなく、ガラス越しにその向こうが見える薄っぺらな区切り記号でしかないありふれたドアが隔てる世界の話である。ドアノブに手をかけてみればもしかするとスーっと開くはずのそのドアが、ドアに手をかけることすら憚られるほどに二つの世界を分け隔てている。
 だからガラスに反射するその大して意味のない空間を写真に収めたくなるのだ。向こう側にあるものとこちら側にあるものは、同じように息をして、同じように笑い、同じように苦しんでいるに違いない。向こう側に見える冬の空気に燻んだ建物も、何も主張することなくじっとしている樹木も、そこを通り過ぎゆく人々も、名もなくそこにあって、なんらここと向こうに違いなどないものなのだ。
 ただドアを開けてみれば良い。違うと見えたものに差して違いはないはずだ。そう言い聞かせながら日々を過ごす。

フランスの知人のひとりが先日車を買い替えました。燃費の良いコンパクトな日本車で、最近はようやく安いから選ばれる車から良いから選ばれる車になってきたようです。もちろん、買えるならドイツ車だけれどコンパクトなフランス車が良いと考える人も多いので、まだまだ日本車は3年保証だからといった理由がついて回っているのは確かです。とは言え、この知人の買った車は評判も良く、これが欲しいと言って買われる車になったことは間違いありません。

でも、日本で売っているものとどこか違うような気がしてよく眺めさせてもらうと、外見もかなり違っていることがわかります。明らかにヨーロッパ仕様の方が伸びやかなデザインで、車重も概ね同じであろうにホイールすらも違っています。内装を見ても電動パーキングブレーキがヨーロッパ仕様にはついています。同じ車なのに、市場が違うだけでどうしてここまで変えるのかわかりませんが、おそらく日本向けは徹底的なコストダウンをしているのでしょう。同じ名前でも似て非なるものなんだろうなと感じます。

コロナの簡易検査キット(抗原定性検査)がスーパーで買えるようになって、たとえば高齢者と会う前に気になったら検査してみるのが当たり前となった今、とうとう検査キットの価格は1.2ユーロ以下(150円程度)まで下がってきました。日本では2000円以上と言われていますので安いものを探してみましたが、実はほぼ同じものでした。FFP2やN95のマスクもフランスでは1枚当たり20円程度で、日本とは10倍ほどの価格の差異があります。きっと医療関係の認証や物流などの背景があるのでしょう。

今や薄いドア1枚隔てただけの近い世界が、実は全然違うような気がしてくるのは、そんな似ているようでどこかが違う二つの世界が、ガラス越しにすぐそこにある身近な世界になったからなのかもしれません。