
There is something aesthetic about dead leaves,
and just because they are dead doesn’t mean they have lost their color.
枯れ葉には枯れ葉の美学のようなものがあって、
枯れ葉だからといって、必ずしも色を失うわけではない。
A Part of Mostly Monochrome Monday

capturing in prose

There is something aesthetic about dead leaves,
and just because they are dead doesn’t mean they have lost their color.
枯れ葉には枯れ葉の美学のようなものがあって、
枯れ葉だからといって、必ずしも色を失うわけではない。
A Part of Mostly Monochrome Monday


白い花はどうやらニラだと分かっている。ただ、植えられたニラではないので、どう言った経緯でそこにあるのかは分からない。坂がちの横浜の市道の階段にこぼれて育つニラは、抜いても抜いても毎年咲き続ける。ネギの仲間だから葱坊主のような丸い花だが、案外観賞用としても美しい。若芽をとって食べても良いのかもしれないが、何しろ路傍の雑草。そう考えただけで試す気にはなれない。飼われている牛を見て食べたいと思わないのと同じなのか、違うのか。なんだか色々疑問の湧く秋ではある。
その周りにあるのは、まだ花が咲いていないが、萩だろうと思う。こちらは隣家からはみ出てきたもので、間違いなく植えられたものである。この原稿は実際に投稿するより前に下書きしている状態だから、きっと投稿する頃には咲いているのだろう。投稿時にこの文章を修正する気にもならないだろうし、書き換える時間もなさそうだから、それを分かってそのままにしておく。きっと今頃は紫色の花がいくつか咲いているはずだ。咲いた花を見て萩じゃなかったら、投稿をやめるかもしれないけれど。
この写真のフレームの外、右上には葛が咲いている。こちらも紫のようなピンクのような秋らしい色である。もちろん葛も植えられたものではない。北米の南部ではトレリスなどに使われたものが広がり、危険な外来種に指定されているらしいが、日本だと秋にすっかり枯れることになっている。現実的なことを言えば、最近の暖冬のせいか、枯れかかったまま冬を過ごし、春にどんどん大きくなる葛が多い。根っこが残っていれば再び初夏には週に1mもの速度で成長するから、どんどん広がる。週速1メートルは時速6ミリ。半端じゃない。
まあ、そんなわけで、秋である。

It is actually a natural way of the world that the smaller something is, the darker and deeper it is, and the larger it is, the more obscure it is.
小さければ小さいほどにより黒く深く、大きければ大きいほどにより曖昧になるのは、案外世界の道理というものだ。
A Part of Mostly Monochrome Monday

子供の頃からコスモスの花といえば秋のような気がしていたが、そうでもないと分かったのは案外最近のことだ。北関東生まれだから、庭に植えたコスモスは大抵9月〜10月頃に咲く。そういうものだと思い込んでいた。
一般的なコスモスは25度くらいが咲く温度だから、少し涼しくなった9月下旬に見頃になる。その意味では子供の頃からの記憶は間違っていない。ただ、大人になる頃には北関東を離れてしまっていて、いつかコスモスも気にしなくなっていた。だから暫くして山中湖周辺に咲くコスモスを8月に見た時は、おや?と疑問を感じたのだった。まだ若かったから、涼しいんだなくらいにしか思わなかったが、いつかそれが当たり前のようになって、気にも留めなくなっていた。
山中湖の標高はほぼ1000メートルだから、夏の最高気温も28度くらいにしかならない。いや、昔はそうだった。だから、9月下旬に咲くはずのコスモスが、8月に咲き始めたりする。それで最初は違和感を感じたのだ。ただ、毎年、山中湖周辺で夏の週末を過ごしていたから、いつか8月のコスモスが当たり前になって来ていた。
暫くして、社会人としての自覚というわけでもないが、週末に山中湖で遊んでばかりもいられないと、だんだん山中湖とも疎遠になった。だから夏のコスモスとも疎遠となった。そしていつかコスモスは9月下旬の花だったかなと思い出したのだった。
先日、久しぶりにコスモス畑を見てそんな記憶が蘇ったのだが、実は、沖縄では1月〜2月にコスモスが咲く。冬が比較的暖かい沖縄なら、コスモスも冬に咲けるのだ。元々は緑肥だそうだが、今では半分観光用でもあるらしい。なんだか四季の移ろいを感じながら、その感じている四季がステレオタイプな凝り固まった四季のような気がしてきた。東京の四季を無理矢理に日本の四季のように説明してはいないか?そんなことを感じるコスモス畑だった。