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(Floral) Friday Fragments #243

 
 職場で連絡先のLINEを教えてほしいと真顔で言われて驚いた。まず聞かれるのは、メールか電話番号だろうと勝手に思い込んでいた。

 いくつもの理由でLINEは使っていない。仕方なく「LINEを使っていないから連絡はメールでして」と伝えたら、便利だからLINEを使えとしつこく誘われる始末。最近はLINEを使わない人が増えていると感じていたから、ちょっと意外なお誘いだった。
 その前はヨーロッパに少しばかり住んでいたので、LINEを使う知人は誰ひとりいなかったし、なくて困るものでもないと感じていた。たしかに似たようなツールとしてWhatsAppを使うこともあったわけで、LINEのような仕組みがヨーロッパにないわけでもない。とは言え、日常的に会話が続くものでもないから、LINEとは少し意味合いが違う。自分の中で、やはり個人的にはLINEは不要なツールなのだ。

 LINEを使っていないと、「何故使わないのか」とよく聞かれることがある。LINEを使わない人がいる事を理解出来ない人もいるのだろう。
 LINEを使わない最大の理由は、のべつ幕なしに届くメッセージを避けるためだ。食事時だろうが、静かに読書していようが、はたまた疲れて寝ていようがLINEは届く。見なきゃ良いと言う指摘はごもっともだが、メールと違ってLINEは読まれることを前提とした仕組みになっている。「まあ後で見ておきます」なんて思って放っておくのだが、グループだと暇な誰かが返事をするから、再び通知される事になる。ひとたび会話が始まれば、ずっとメッセージは届き続けるのだ。
 やれやれと開けば、大抵は重要な話ではない。明日には全員集まる機会があるからそこで話せば充分な内容だったりもする。「忘年会は、和食で良いか?」なんて会話で自分の時間を潰したくないのだ。

 そうなったら次の手は通知を時間指定で受け取る作戦だ。夕方6時なら移動中だから比較的良いだろう。だが、まもなくそれも浅はかな考えだと悟る事になる。何か聞かれている事があれば、答えなければならない。返事を返せば会話が続く。一瞬では終わらない。
 最終手段は通知を切る事だ。暇な時にLINEを開く。ああ、今日は予定通り仕事も進んだし、ちょっと余裕もあるな。そう思ってLINEを開く。そんな時に限って何もない。そして、やがて開かなくなる。月に二度程度、ああそう言えばと思い出す。そんなやつに誰もLINEは送らない。だから使わない。
 気付けば忘年会の日程も内容もとっくに決まって、参加者数にもカウントされていない。そしてある日言われるのだ。
「忘年会、出ないんだね。忙しいって良いことだけど、話したいことあったのになあ。」
えっ、どういう事?だからメールしてってお願いしてたのに。そう思った後で気付くのだ。だってLINEに入ってたんだから、みんなは連絡したつもりだよねと。
 たまに読むだけのLINEほどひどいものはない。
「あー、そうか。ちゃんと会話したい人なんだね。じゃあ、電話で良いかなあ?」
なんて言われる事もある。いや、そういう事じゃない。食事中に電話はとりたくない。食事中にLINEが来て、慌てて見たらお地蔵さんの写真だったというくらい、電話で「いま暇?」と聞かれるのは嫌だ。大抵は暇じゃない。
 冷静になって使い方を考えてみれば、たまにしか見ないSNSより、むしろのメール方がチェック頻度が高い。次がblueskyのようなSNS。一番チェックしないのがLINE。

 SNSって見たい時にしか見ないものだよね。なんて同意してもらえないのかなあ。

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(Floral) Friday Fragments #242

 
 齧られた花弁をベッドに刺刺した尻尾のようなふさが垂れ下がる。そう思ったら、どうにも撮りたくなった写真だが、撮ってみたら案外つまらない。いつものことである。
 できれば毎日1枚くらいは写真を撮りたい。大仰なカメラでなくても良い。スマホで十分。そう思って義務感のように撮る写真は、大抵はつまらないスナップになってしまう。歩きながらふと直感的に感じた何かを無意識に撮ったもののほうがよほど面白い。この写真は、その中間で、義務感のようなものを感じながら撮った写真ではあるのだが、ふと感じるものがあったから撮ったので、ちょっと期待した写真ではある。きっと、その期待というものがよくなかったのだろう。

 日々、世の中のニュースを見ていると、時々何か言いたくなるのは自然なことだろう。時には、「政治家なんて…」とか、「どうしてそんな他人を貶めることを…」とか、そんな愚痴見たいな言葉がいくらでも出てくる。それをここにあまり書かないのは、意見がないからではなく、一方通行だからである。ほとんど何も解決しない一方通行の愚痴は、むしろ他の人にまで不愉快さを共有しているようなものだから、ある意味自分も共犯者になったような気がしてくるのだ。
 その点、街中で直感で感じた何かを(それが何かはわからないことも)表現するのは、同じ自分の感覚の押し付けであっても後悔が少ない。もちろん、不愉快に感じるのか愉快に感じるのかは人それぞれ。時には自己満足だけの押し売りに嫌な思いをされる方もいるかもしれないが、そこは多少のずれがあるのが人というもの。割り切ることにした。

 そんなわけで、中途半端だなと思いながらアップした今日の写真である。