Is it selfish to find the sound of a bell annoying at night, yet feel a little disappointed when I stand in front of it and realize that it doesn’t ring?
夜の鐘の音が耳障りと感じながら、鐘の前に立ってその鐘が鳴らないことに気付くと少しがっかりするのは、わがままだろうか。
A Part of Mostly Monochrome Monday
capturing in prose

このblogでは、ずっとタイトルと共に ‘capturing in prose’ と書いてきた。おやおやそんなことには気づかなかったぞという向きには、たまにはBlogリーダーではなく l’atelier tanu | tagnoue のトップページにアクセスしていただいて、そのタイトルの下の部分を見ていただきたい。Webブラウザで直接見ているならこのポストのヘッダでも良い。
正直に告白するならば、この少々斜に構えた ‘capturing in prose’ というコピーには特段の意味はない。in prose は、そのまま文字面だけを見れば「散文で」という意味であり、時に「面白みのない平たい言葉で」という意味でもある。それは、韻文に対する散文であって、抑揚に欠ける装飾もないようなつまらない文章というニュアンスがどこか見え隠れする。つまりは、 ‘capturing in prose’ は、単に説明的に捉えるという意味合いに読めなくもない。
そんな言葉を堂々と書いているのは、決して謙遜とかではない。謙遜で私のblogには韻文のような美しさはないなんて言おうものならかえって鼻につくようで落ち着かない。
事実だから書いているというつもりもない。プロの売れっ子の作家のようには到底行かないが、ここにアウトプットしている物には、ある程度の自信は持っている。たとえ独りよがりな自信であっても、面白みもないものだとは思ってはいない。少々読者層が狭いとか、ここがダメなんだよなとか、そんなところはあっても、無味乾燥なblogであるつもりはない。
ここで言う ‘capturing in prose’ は、韻文のようなある種型にハマった詩的な表現ではなく、散文のように必要であれば言葉を重ねて、新たな見方で物事を捉えたいという意志みたいなものだ。だからずっとそう書いてある。
「いや、そんなふうには見えないぞ」
まあ、そう言わず。温かい目で見るのも時には必要ですよ。

これがヒメジョオンなのかハルジオンなのかと問われると、もしかしたらヒメジョオンなのかなとしか言えないのが残念なところである。
子供の頃、誰に教わったか白いのが春らしいからハルジオンで、ピンクのがお姫様みたいだからヒメジオンだと信じていたが、後になって色では見分けがつかないと知って、もう区別の付けようがなくなった。そもそもヒメジオンという記憶が間違いであって、ハルジオンに対してヒメジョオンなのだ。名前が似ていて花が似ていて、でもよく見ると名前が微妙に違っているだなんて、誰がそんなことにしたんだなどと怒っても仕方ない。
花弁が細かくて反り返っているいる感じなのがハルジオンで花弁がすっきりしているのがヒメジョオンだとか、一枚一枚の葉が茎に回り込むようについているのがハルジオンで普通にすっきりとついているのがヒメジョオンだとか、1日もすれば忘れてしまうような知識では、到底区別もつかないのである。こうやって書いている間も、どっちがどっちだっけ?なんて、Webを調べながら記憶を更新しているのだが、明日の朝にはもうすっかり忘れているに違いない。
冒頭でヒメジョオンなのかなと書いているのも、花弁が比較的太くてすっきりしているからそう書いているのであって、葉のつき方を見てるとハルジオンなのかなと思わないでもない。まあ、分からないのだからこれ以上書いても仕方ない。
ところでハルジオンは春紫苑、ヒメジョオンは姫女苑なので最後の「苑」は同じでも名前としては全然違う。だからと言ってハルジオンは紫苑の仲間ではないらしいからさらにややこしい。
はっきりしているのは、どちらも北米から来た要注意外来生物というところである。侵略的外来種ワースト100だそうだ。やれやれ。