Bonne journée

こちふかば -3-


 ちょっとツキに見放されていた。

 その日は、取引先候補との交渉状況を、日本の出資者に報告する予定が入っていた。資料を確認し、夜の間に届いたメールをチェックする。いくつものメールを斜め読みしていると、その報告をしようとしていた取引先候補からの連絡があった。なんだろうなと思って開くと、ようやく話が進みそうな取引の打ち合わせをキャンセルしたいと書かれている。よりによって状況報告の朝に打ち合わせの延期の連絡とはツイてない。やれやれと思いながら読み進めると打ち合わせのキャンセルどころの話ではない。コロナの影響を見定めるまで、全ての計画が白紙になったとあるではないか。

 今更出資者への報告を延期するわけにもいかなかった。状況を報告する出資者は日本だから、打ち合わせはの時間は時差の関係で早朝に設定してあって、まもなく始まる時間だった。共同パートナーは休暇中。仕方なく会議に接続する。繋がってみれば相手は何故か大人数で、誰もが不機嫌な顔をしている。きっとその前に何かあったのだ。さあ、なんと説明しよう。コロナだからなどと言い訳しても、「そんな事は分かっている。だからどうするのか?」と聞かれるのが関の山。困ったな。ひと月前ならきっと問題なかった。ツイてない。

 仕事は努力+運だと言う人がいる。いやいや才能だと言う人もいる。幸運は掴み取るものだなんて書かれた本もある。じゃあコロナは何だろう。

 確かにリスク分析をして、失敗時のダメージを最小にしながら、少ないチャンスをモノにするのは運・不運の話ではない。だから、チャンスを逃さないことが運・不運みたいなもので、運は自分でつかみ取れると説明する人はたくさんいる。正論である。でも、避けられない不運というのは間違いなくあって、避けられない不運を反省せよと言っても何も改善しない。不思議なことに、この不運を反省するのが大好きなのが日本のような気がしている。
「こんな簡単なミス、どうして避けられなかったの?二桁の足し算じゃない。一箇所ミスがあるだけで全体が信用できなくなるんだよ。」
いや、二桁の足し算だから暗算したわけで、しかも報告書の隅っこのメモだからチェックもしなかったんだけどなぁ。そう思う時、このミスは不運なのだ。だって、きっとその前にもっと重要な案件が舞い込んできたのだ。その担当者は外出中だし、大した計算でもないからサッとやっつけただけのこと。で、慌てていたから計算ミスをした。

 こんな時に反省しても何も解決しない。「ダブルチェックする」なんて対応策を言う人もいるようだが、ダブルチェックの担当者が計算し直すとは限らない。やがてダブルチェックの後で提出した資料は事務局が再チェックするという長大なフローが出来上がる。

 凡ミスは反省しても仕方ない。人間は誰だってミスをする。1000個注文しようとして1000個単位の入力と知らず1000,000個注文したら大事だろうが、そのミスは絶対に防げない。だって人間なのだ。むしろ、いつもと違った注文があったら警告を上げるしくみを考えた方が良い。入力したら指差し確認するとか、注意深くチェックするとかいった仕組みは、いくらやっても機能しない。

 どうしてこんなことを長々と書いているかといえば、フランス人の同僚に指摘されたからである。なぜ日本人はつまらないケアレスミスのために何時間もかけて議論するのか、そのフランス人には理解できないと言う。
「一時間あたり5000千円の費用がかかっている従業員を3人も拘束して、反省会とそのための資料作りに半日もかけたら、それだけで5万円の損失だ。それで何も解決しない。先日は1ユーロの誤差のためにエース級の社員を2日も拘束したではないか。損金だったわけでもなく、損金だったとしても高々1ユーロだ。」
そして、監査で指摘される。
「しっかり課題があれば問題点としてあげて対応しているのは大変に良いことですが、コストもかかります。そもそも、監査は経営の問題点がないか見ているのであって、ネガティブな事を取り上げるのが仕事じゃありません。この会社にとってチャンスがないか、ちゃんと項目をあげてみているかどうかも経営課題です。しっかり点検して、良い面もリストアップしてください。」
つまらんことに時間をかけてないで、チャンスを見ることに時間をかけろと言うのだ。

 最近の日本はコンプライアンス流行りでネガティヴな面を上げるのが仕事みたいになっている。だが、そんなことが流行りの国はそう多くはない。法的な面はしっかりチェックするが、不運は不運、ミスはミス、深追いすべきでないことは深追いしない。そんな能天気さが必要なのかもしれない。

 幸運といえば、Good luck。日本人が間違いやすい単語を思い出した。海外と仕事をするようになって、早々に面食らった単語である。このGood luck、「幸運を」なんて単純に訳してはいけない。そう意味合いもあるにはあるが、普段の会話はちょっと違う。大抵は、これから不幸が待ち構えているであろう時に使う。不運であること間違いなしの絶体絶命だから、幸運を!なのだ。

 フランスに移住して仕事を始めたら、健康診断に行けという。そりゃそうだ。日本だって仕事を始めたら職場の健康診断がある。そう思って色々聞いたが、どうも歯切れが悪い。至って普通の健康診断であるし、産業医も車で5分の場所にいる。予約も取ってくれたと言う。何ひとつ困ることもない。なのにちょっと変だ。
「まあ、身長・体重・視力その他もろもろ検査して、その後インタビューだから着の身着のまま行けば良いよ。じゃあ、Good luck。」
そう言ってウインクしてみせる。

 行ってみても特に問題はなかったし、検査の後のインタビューも40分も楽しく話をして、仕事をする上で制限はないという結論だった。会社に戻ってそう伝えると、ようやく真相がわかった。まず、今回の担当医は初めての人だったのだ。誰も詳しくは語らないが、前任の産業医がともかく変わり者で、誰も彼もが絶対に受けたくない健康診断だったそうだ。後任の医師はどんな人物かを誰も知らず、どう考えても健康診断がまともな筈がない。その最初が日本人なんて、何が起きるか分からない。そう考えていたのだった。だからこそGood luck。そう言う時にも使う言葉なのである。


 ニュアンスといった話ではなく、言葉の誤解という点で、少しだけ驚いた話があった。新しいiPhoneのOS(iOS26)に、「スヌーズの継続時間」という項目があるそうだ。目覚まし時計を止めても再び鳴るようにするスヌーズの設定である。これが理解しにくいということらしい。スヌーズボタンを押す時間とか、鳴る時間とか、よく分からないがそんな時間の長さと感じるということだった。

 スヌーズはSnoozeであって、つまりは居眠りである。ボタンを押して音を止め、もうちょっと居眠りをするのがスヌーズだ。だから、スヌーズの継続時間は、居眠りをする時間を意味している。これまではその居眠り時間が固定だったのが変更できるようになったそうである。元の英語であれば、違和感もないこの言葉が、日本語化されるとどこかで意味がわからなくなる、そんな典型例なのかもしれない。

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #245


 基本的にはここでは季節の話題と普段思っている事でも書こうと思っていた筈なのだが、気がついてみたら、あまり季節の話もない。というわけで、今日も違う話。

横浜は、ここ数日はそれなりに晴天になったりもしているが、その前はかれこれ二週間以上、ほとんど日差しがなかった。気持ちよく晴れたのは先々週の金曜だけで、それでも多少雲があったように記憶している。ようやく今週になって日差しも出てきたが、それでも雲は多めだ。秋の農作物の時期がずれたりしているそうだし、確かに今頃になって秋雨前線が停滞しているなんて半月以上は遅れているのだろう。とはいっても、それでもサツマイモもカボチャも美味しいし、同僚は栗を食べに行った(買いに行ったんじゃないのかい?)そうだ。

 そんなスッキリしないお天気で思い出したのが、かつて住んでいたブルターニュの雨だ。ブルターニュはあまり日本では馴染みがないが、モン・サン・ミシェルがあるのはノルマンジーとブルターニュの間だし、のだめカンタービレの撮影があったサンマロはブルターニュにある。夏になればヨーロッパ中から人々がバカンスに訪れるリゾートがたくさんあり、パリからの移住者も多い。そんなトップクラスの旅先が雨とはどういうことと疑問を感じるだろうが、ブルターニュのイメージは雨なのである。ブルターニュ人は、雨が降ってもバーベキューをするとか、どんよりとした曇り空を見ていい天気だねと言うとか、雨の話で揶揄される。傘をさしながらバーベキューをするイラストは、お土産にもなった。
 そんなに降るのかと思って年間降水量を調べたら、実は案外そうでもない。東京と変わらない。なぜそう感じるのかといえば、10月から4月くらいまでは、降ったり止んだりだからだろう。降り始めたなと思っていたら、薄日が差し始め、やがてまた降り出す。時々はざっと降ることもあるが長続きせず、しとしと降る長雨はない。だから傘は持たないし、時に雨が降っていても外のテーブルでコーヒーを飲む。3月から4月にかけては多少激しいストームもくるし、突然のあられに一面真っ白になることもあるが、激しい雨はせいぜい15分。その後は日差しがあって虹も出る。ただ、安心していると、30分後にはまたストームだ。
 そんなわけで、本降りの雨っていうわけでもなく、曇ってばかりで時々降る小雨を見ながら、なんだかブルターニュみたいだなと思ったのだった。これから秋晴れになると良いのだが。