Art, Bonne journée

Bonne journée (5)

秋は行楽の季節である。夏のようなどこまでも明るくまぶしい季節ではないが、落ち着いたトーンの光にあふれている点では、夏以上に風景が眩しく見えることすらある。FMからは、音楽と共に楽しげなトークが聞こえてくるとなれば、急ぎすぎない日常が心地よく感じてくる。もちろん、三連休ともなれば、気が遠くなるような渋滞情報も聞こえてくるのだが。

10月の江ノ島周辺の海は、相変わらず夏のようにサーフボードとヨットでいっぱいだ。海岸で日焼けを楽しむ人は、真夏に比べればずっと少ないが、すぐ近くの葉山の海のような静かな海ではない。江ノ電のゆっくりと流れる車窓からは、夏と間違えてしまいそうな輝く海が見え隠れする。停車する駅から古い寺社に向かう人が散見されなければ、夏はもう終わることがないのだろうかとさえ思えてくる。それでも、もうじきこの最後の夏のかけらも影を潜め、初冬の心地よい寂しさがやって来る。

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Books

A Book: 都市と都市

books-cityハードボイルド小説かと思うような前半だけで、映画化はいつかと調べたくなる「都市と都市」は、ハヤカワからSFとして翻訳が出版されている。よく考えたら絶対にありそうもない状況に、恐らくは一切の疑問を持つこともなく、一気に読了してしまう類の稀有なSFである。そもそも、SFと書きながら、本当にSFと書くべきかどうか迷う。異なる2つの都市が、重なり合って存在しているという設定自体がSFであると言ってしまえばその通りだ。しかし、その特異な設定は、見事にリアリティを感じさせるまでに書き込まれており、読みながら疑問を感じるようなものではない。設定が、ヨーロッパのイスタンブールからもそう遠くない一都市としている(と思われる)ところが、さらにリアリティを増す要因となっているだろう。昔から言われるSFのScience Fiction とは異なる意味 Speculative Fiction とするのが分かりやすい。

この手の小説にこれ以上の説明を加える事は、明確なルール違反である。ルール違反は避けなければならない。ここまでが限界だろう。だが、これだけは書いておかなければならない。この特異な設定は、時に、ごく身近な構造でもあるという事だ。
重なりあう都市のイメージは、多重化され多層化された都会の生活にも似た、ある種のもどかしさを感じさせるものである。時に、隣に誰が生活しているかを知らず、それどころか、人が住んでいるかどうかすら知らない。街ですれ違う多くの人は、すれ違っても覚えていないし、すれ違ったことすら記憶に残らない。それでも、その一人ひとりには生活も固有の世界観もある。つまり、同じような周囲を感知しない状態は、すべての人が共通に持つものであり、複雑にたたみ込まれた複層的な状態である。それは、単純に都市空間の孤独感や無関心という言葉で括れるものでもなく、多層に重なりあう構造そのもののネガティブな側面でもあるだろう。

ミルフィーユのような甘い複層化された都市空間は、SFやハードボイルドには似合わないというところもあるのだろうが、それにしても、重なりあう都市は、それ自体が重いのである。

最近読んだ本

都市と都市 (ハヤカワ文庫SF)
チャイナ・ミエヴィル 著, 日暮 雅通 訳

Bonne journée

Bonne journée (4)

ハロウィン(Halloween)はケルト由来らしい。アイルランドやイギリスやアメリカに親しい知人がいないから、どのくらい重要な行事かはわからないが、少なくとも、子供たちには相当楽しみな行事に違いない。おばけとお菓子の組み合わせなんて、無視できない誘惑である。輸入食品屋さんの店先を見るだけで、十分伝わってくる。

Wikipediaによれば、カソリック系の行事だから、プロテスタントが多い地域では、翌日の諸聖人の日だけが抜け落ちて、お楽しみの部分だけが残ったということだ。日本のハロウィンはアメリカから入れたようなところがあるので、楽しければそれで良しなのかもしれない。 Continue reading “Bonne journée (4)” →

Cross Cultural

Patchy rain

201408-023世界中に天気予報を提供している予報会社のウェブサイトを見ていると、普段あまり見かけない予報が出ていたりする。耳慣れない単語に大雑把な地域と時間。初めて見ると、なんだか分からない印象である。テレビの天気予報はさらに曖昧だ。特に衛星放送だったりすると、かなり大まかで、ここがどこだか分からないということもしばしば。曰く、「ヨーロッパ北部は、今日は概ね patchy rain である。」3時間毎の降水確率はどうなってるのかとか、横浜の夕方の時間帯は降っているのか曇りなのかとか、やたらと細かい予報に慣れていると、大雑把な天気予報はほとんど役に立たないような錯覚に陥ってしまう。
ヨーロッパから明日日本に向かうというのに、「日本」は概ね雨だと言われても、どう考えても大阪と東京が同じ天気とは思えない。そう考える。そして、案の定、飛行機に乗った途端、「東京は曇り時々晴れ、気温は30度の予報」とアナウンスを聞き、スクリーンの天気予報で西日本を中心に雨のところがあると説明していたりすると安心する。半日遅れでもよほど正確ではないか。

とはいえ、ヨーロッパの人が大雑把なわけではない。皆が見ている情報である。しっかりとした予報会社もあるし、今や、天気予報はグローバルなデータで行われている。1時間毎の予報があり、アメリカの会社が日本の各都市の予報を出していたりもする。ようは、視点やニーズの違いなのだろう。

 

20130916-001シドニーやパリでは、雨が降っても傘をささず、襟を立てて歩く人を多く見かける。傘をさしているのは、皆、旅行者なのではないかと思いたくなる。少なくとも、明らかに住んでいそうな人を見ていると、傘を持っていないことが多い。もちろん、傘をささずに歩けるような人は、旅行者のような格好ではないということだろう。あるフランス人に聞いたら、家に傘はあるが持ち歩いたことがないという。少し待てば止むし、ほとんど車で移動だし、持ち歩く理由がないのだそうだ。特に女性には傘を使う人も多いようだし、雨に無頓着というのは、あまりにステレオタイプな見方であろうが、確実に日本よりは傘を使わないとは言えるだろう。

そんな文化の違いもあって、日本語には雨に関する単語が多いという説もある。音もなく静かに降る小粒の雨を小糠雨(こぬかあめ)と表現するが、確かに雨を小糠に例えるのは、風情があるというだけでなく、生活文化の背景があってのことだろう。
小糠雨の反対ではないが篠突く雨(しのつくあめ)となると、細竹で突き刺すように激しく降る雨であり、これまた篠という文化背景がありそうな言い回しである。
今時はほとんど聞かないが、秋霖(しゅうりん)という言い方もある。秋雨とは響きの違う言い方に、使い分けたくなる単語である。
音の響きという点では、小夜時雨(さよしぐれ)も古風で良い。秋霖の季節が終わり、しばらくすると、小夜時雨の季節となる。コートが欲しくなっても季節の変わり目までは恨めしくならない響きである。

 

こうやって考えると、何となく日本語の背後にある雨の感覚と表現の広がりに目が行くが、実際には、その土地の文化と言語に詳しいかどうかの違いである事には気付かなければならない。イギリスで雨が rain と shower だけというわけではない。冒頭の patchy rain は天気予報で使われる言い方で、情緒あるという表現ではないが、つぎはぎの疎らな雨という、少し分かりにくい日本語にはない感覚である。英語もフランス語も得意ではないし、語彙も多くないので何とも分からないが、北部フランスなどで patchy rain を実感することはある。降ったり止んだりというのとは少し違う。もっと地理的に見た感覚である。恐らくは、篠突く雨のように、日常ではほとんど使われない雨に関する単語が各言語にあるだろう。
ついでに天気予報で使われる〜もちろん日常でも使われる〜単語を少し拾えば、 drizzle は霧雨が近い。一面の雲を表す overcast という単語は、英語の授業では出てこなかったように思われる。

 

さて、「ヨーロッパ北部は、今日は概ね patchy rain である。」という曖昧としか思えない表現だが、実際は、滞在中は十分に正確である。こんな予報が出ていれば、いつ雨が降るかわからないし、関東の天気でありがちな、降ればしばらくしとしと降りで、止めばどんより曇り空という感じではない。晴れたかと思えばざっと降り、いつに間にか止んだかと思えば再びポツポツ、そしてまた晴れ間という天気だったりする。12:00から15:00の降水確率50%曇り時々雨でも、午後は patchy rain でも情報としてはさほど変わらない。知りたいのは、せいぜい、雨が降る可能性があるのかどうかだけである。それによって、朝、傘を車に積んで仕事に行くか、健康のために自転車で行くかを決めるのだから。
「今日の降水確率は、午前中10%、午後30%、晴れ時々曇り、山沿いを中心に雷雨のところがあるでしょう。」と「晴れ、カミナリの可能性あり」との差異は思いのほか小さいのかもしれない。

Bonne journée

Bonne journée (3)

一色海岸9月の葉山の海は、思いのほか静かな海である。サーフボードを抱え、森戸から一色海岸の車のすれ違いにも気を遣う狭い道を歩く人もまだ多く、午後の海を見れば必ず誰かを太陽の反射の中に見つけるが、それでも片瀬海岸のような喧噪はない。

三浦半島はさして遠くないが、かと言って週末の度に訪ねるほどは近くない。横浜横須賀道路で外洋の潮が洗う三浦の先まで行くのも簡単だから、葉山に立ち寄る機会も少ない。それでも、葉山は、独特の景色で訪ねる度に魅力を再確認する場所でもある。海沿いの道は所々で極端に狭くなり、海辺の旧い街並みに風情を感じる一方で、洒落たレストランや美術館やマリーナなどにリゾートらしさを見つける場所でもある。訪ねる度に新しい発見がある。

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