
埋め尽くされるピンクに少し望郷の念を感じなくもない。
ピンク色に染まった木をしばらく眺め、iPhoneを取り出して写真を撮るのは、こんな風景を眺めながら望郷の年にかられるからだろうと思います。昨年だったかは、よほど熱心にとっていたのでしょう、通りすがりの人にこれは桜ですかと聞かれました。フランスであってもどこにでもある桜(チェリー)やりんごですが、こんなふうにピンクが広がると少しホッとするものです。
capturing in prose

木々がようやく淡い緑色になって、朝日に透けるオレンジ色の森を抜ける風に冷たさをさほど感じずに済むようになった3月の終わり、野うさぎの跳ねる白い尻尾を追いかけるようにまだ落ち葉の多い小道を歩きながら、冬の終わりのつまらないため息をつく。
明日からの夏時間が憂鬱なわけでもなければ、土曜の午後のお決まりのデモにうんざりしているわけでもない。正直に言えば、ようやく朝の出勤時間が明るくなってきたというのに来週からまた暗い朝に逆戻りというわけで、通勤の運転が少々憂鬱なのは間違いない。街中のデモの騒音が、暖かくなって開け放った窓から午後のゆっくりとした時間に割り込んでくるような気分にさせていることも否定はしない。それでもそれらは些細なことであって、日常の一部でしかない。

つまらないため息は、どこかに失くした冬への落胆のようなもので、身勝手な自分に対する舌打ちと大差ない。さして雨も降らず、凍りついた朝は数えるほどで、春の到来を知らせるジブレも2回しか記憶にないにもかかわらず、夏時間がやってくる。冴え渡る青空を脳天気に楽しむのは、案外容易ではない。