
The door has been closed and nobody’s coming there but still you hear the voices of nature.
A Part of Mostly Monochrome Monday
capturing in prose

You are soon going to find peaceful places here and there because those are just next to you.
心配事のない場所はすぐに見つかる。だってすぐ隣にあるのだから。
A contribution to A Photo a Week Challenge: Peaceful Place by Nancy Merrill Photography.
尻尾の話は写真の下。

多くの人にはどうでも良い話ではある。恐らく自分自身にとってもさして意味はない。それでも気になりだすとずっと引っかかる疑問というものがある。いつもならやがてきれいさっぱり忘れてしまって、あれ何だったかなと思い出そうとしても思い出せずちょっとスッキリしない気分を味わうだけか、そもそも疑問が湧いた事自体を忘れてしまうものである。ところが、ある種の疑問はなぜかしばらくついて回る。しかも大抵はあまりにどうでも良い疑問である。こんな下らない疑問はすっかり忘れて、昨日新たに出会ったフランス語の単語のひとつでも覚えれば良いと思うのだが、なかなかそうはいかない。
その疑問というのが、たぬきの尻尾である。どんな形だったかなとふと思ってから、ずっとその疑問がふわふわと周囲を漂っている。茶色だったような気がするのだが、だからと言ってその形と色が思い浮かぶわけでもない。ちょっと短かったような、そうでないような。
ところで、たぬきはフランスにはいない。正確に言えばペットとして入ったものが野生化したという事で、ヨーロッパ東部を中心に棲息しているらしいが、少なくともフランス人に聞いても多くがそんな動物は知らないと答えるだろう。先日は英語でraccoon dogだとかフランス語だとshien viverrinだろうとかいろいろ説明してみたが、時間をかけて説明した結果は「あぁ、知ってる。アライグマだろう。尻尾が縞模様だよね。」と徒労に終わるのだった。アライグマではraccoonだけではないか。dogはどこに行ったのか。
どうでも良い話である。棲息していない生き物の名前を聞いたところで、話が噛み合うはずもない。これがキツネなら話は別である。フランスにもキツネはたくさんいるし、メソポタミアからギリシャ、ヨーロッパへと広がる「キツネとツルのご馳走」という知られた寓話もある。ふた月前にも知人に「この窓の外を歩いてたんだよ」などと自慢げに話された。
はて、「キツネとツルのご馳走」とはどんな話だったか。キツネはツルに平皿でスープをご馳走したがツルはくちばしなのでスープが飲めず、ツルがキツネに細長い壺で食事をご馳走したがキツネはくちばしがないので食べられなかったという話である。いや、本当にそんな話だったのか。もしそうであったとしても、順番はキツネが先かツルが先か。キツネはいつもずる賢いやつに描かれているから、きっとキツネが悪戯をして、ツルが仕返ししたという話に違いない。だとするとツルも案外意地悪ではないか。仕返しまでしなくても良いだろうに。ひょっとして、どちらかが意地悪ということではないのかも知れない。世の中にはいろいろな個性があるから尊重しようというダイバーシティの寓話なのではないか?さすが世界最古の文明とまで言われたメソポタミアである。いや、でもまさかそんな話ではないだろう。
外出と言えば1kmかつ1時間以内の運動か必需品の買い物だけである。それ以上は許可されない。時間もたっぷりあるはずだから何でも調べてみれば良い。どうでも良い話なのだろうが、分かるまで疑問はずっとついてまわる。何かの拍子にふと思い出し、どうなんだろうと考える。でも、きっと分かってしまえば忘れてしまうのだろう。さて、たぬきの尻尾はどんなだったか?