Bonne journée

Temple town


 門前町とはお寺さんの周りに発展した街のことだが、この写真の場所は城下町の中のまさに城の下にあるお寺さんの前の通りなので、門前と言われる通りである。こうした裏路地にはどういうわけか猫がのんびりしていることになっていて、この猫も横を誰かが通り抜けても気にすることなく休んでいた。

A temple town is a town that develops around a temple, and the location of this photo is a street in front of a temple located directly below the castle within the castle town, so it is a street that is called a front-of-temple street. For some reason, cats are known to hang out in these back street, and that cat was resting there without seeming to mind someone walking past him.

この隣の通りは、子供の頃には決して近づくなと言われた場所なのだが、確かに小さな飲み屋がいくつかあって、あまり子供の行く場所ではなかったように記憶している。

This neighboring street is a place that I was told never to go near when I was a child, and I do remember that there were a few small bars there, and it wasn’t really a place that kids would go.

 ある日、友達がいい加減なもんじゃ焼きの店に連れて行ってくれたことがある。確か私はまだ10歳かそれ以下だった。その友達はそこのすぐ隣に住んでいたのだ。子供心に何か危険なものがあるのか​​なと思ったりもしたが、何も起こらなかった。

One day one of my friends took me there to eat a local junk food. Probably I was 10 years old or younger. He lived just next block. I wondered if it could be danger. However, nothing happened.

 大人になって気がつけば、そこはさほど危険な通りでもないし、近年はおしゃれなカフェもできて観光客が立ち寄るような場所になっていた。

As I grew up, I realized that it wasn’t such a dangerous street after all, and in recent years, stylish cafes have opened there, making it a popular spot for tourists.

そんな裏通りの風景は、もはや何ひとつ覚えていなかったし、少し疲れた自分にとっては、何もノスタルジックを感じるようなこともなかった。少しだけ体を休め、次の場所へと移動した。

I no longer remembered anything about the backstreet scenery, and feeling a little tired, it didn’t bring any nostalgia to me. I rested for a bit and then moved on to the next location.

 考えてみれば門前町は観光地とかではなく、そのお寺に関わる人の住む街なのであって、生活の場でもあったはずだ。いつの間にか観光客になった自分は、その街にはもう関わりがないのだなと気がついた。

It is true that temple towns are not tourist destinations, but towns where people related to the temple live, and they should have been places of daily life. I realized that I had become a tourist without realizing it, and that I no longer had any connection to the town.

 用事を済ませてその街から帰る時、そばの花が美しく風に吹かれていた。

While I was returning back from the town after running some errands, the buckwheat flowers were blowing beautifully in the wind.

Bonne journée

Study (習作)


止むことのない季節外れのウグイスの甲高い声。
止んだばかりの薄緑色の雨の埃っぽい匂い。
蒸し蒸しとした粘っこい空気が通り抜ける階段に足をかけ、
積み重なる記憶で重くなった荷物をようやく引き摺り上げる玄関口。
こめかみの奥に染み込んでくるニオイバンマツリの甘い息。
雨粒が転げ落ちる紫陽花の隅についた茶色の傷。
耳の後ろを流れる汗が染み込んだコットンシャツの襟元を広げ、
深呼吸する空気が思いも掛けず冷たいことに気づく朝。

執筆中の作品のための習作を久しぶりに公開しています。下の英語訳は詩の体裁になっていませんが、英語読者のために参考に追加しました。翻訳できない単語は、代替となる別な単語に置き換えています。このため、日本語のニュアンスに込めた意図が、若干大袈裟になって現れてしまっていますが、それもまた面白いと思ってご理解いただければ幸いです。

( translation )
The never-ending song of an out-of-season warbler’s shrill singing.
The earthy smell of pale green rain that has just stopped.
Stepping onto the stairs through which the muggy, sticky air passes,
and finally dragging my luggage, heavy with accumulated memories, to the front door.
The sweet breath of the jusmin seeps into the depths of my temples.
Brown scratches on the corners of hydrangeas where raindrops have rolled.
A morning when I open the collar of my cotton shirt, soaked with sweat running behind my ears,
and realize that the air I take a deep breath of is unexpectedly cold.

Bonne journée

noisy or


 時々、日本の電車はうるさいという記事を見かける。モーター音がうるさいとか、おしゃべりがうるさいというのではなく、繰り返される車内放送や発車メロディーのことである。
 個人的には常々不愉快だと感じているのでぜひ減らしていただきたいのだが、そんな声が多少あったとしても色々事情もあるようで、なかなか静かにはなるものでもない。車内放送の少ない欧州の人が日本の電車に乗ると驚くという話は大袈裟ではなく、どうしてこうもやかましいのかと話題にもなる。それでもだからと言って困るということでもなさそうだから、我慢できる範囲ということなのかもしれない。
 車内放送などの音の是非については、ここではひとまず議論を置いておこう。発車ベルがわりの美しくもない音楽を毎日聞かされるのも、掴まりようのない吊り革に掴まれという案内も、程度問題といえばその通りであり、裏事情については山ほど記事があるからここで議論する理由もない。

 同様に、日本は貼り紙だらけという点についてもたくさんの記事がある。あまりに多いので見ないようにしているが、それでも目には入ってくるので視覚的にうるさいことには違いない。ある研究によれば、貼り紙が増えてもほとんど役に立たないという話もあるし、貼り紙は責任逃れという説も誤解だそうだし、じゃあ何のために貼り紙があるのかという素朴な疑問が湧いてくる。貼り紙の是非についても、ここではひとまず議論を置いておく。貼り紙肯定派の方のために一つだけ個人的な印象を書いておくと、例えばフランスには貼り紙が少ないからといって問題もなさそうだし、コロナ期間中に2年ほど日本を離れていて日本に戻ってみると、細かな注意書きがやたらと増えたような気がしている。窓の隙間は3cmとか、そんな類である。

 不思議だなと思うのは、誰もが安らいだり、子供たちと遊んだり、時に季節を感じたりするような公園のような場所に、それを妨げるような貼り紙がたくさんあることである。ここにアップした写真はなるべく掲示者などをぼかすように直接映らないアングルなどで撮っているのでわかりにくいかもしれないが、実際にははるかにたくさんの貼り紙があって、そこには「XXX管理事務所」のような名前も記載されている場合が多い。美しいつつじも、すっかり緑になった桜の木も、都会の片隅の畑も、目を背けるしかない。きっと気にならない人も多いのだろう。
 でも、ひとつだけ書かせて欲しいのである。この手の貼り紙に「視覚的に」不愉快さを感じるのである。内容ではない。ごちゃごちゃとした貼り紙そのものである。

Bonne journée

at Brittany


I have completely forgotten where I took that picture. It was definitely in France, probably at Brittany, and perhaps at a large park. Cow Parsley – I guess those were – were flowering and birds were singing. I was just strolling around a small lake.
Five years or some have been past. Nothing has changed other than I live at urban area now. I’m walking as before in a small nature and listning to birds in a morning. Ah, yes, needless to say, I’m older than before, at least 5 years but what else?

 この写真をどこで撮ったのかすっかり忘れてしまった。間違いなくフランス、恐らくはブルターニュの大きな公園だったと思う。多分セイヨウパセリの花が咲いて鳥がさえずっていた。そんな小さな湖の周りを散歩していた。
 あれから5年かそこら。今は都会に住んでいるけれど、それ以外は何も変わっていない。以前と同じように小さな自然の中を歩き、朝の鳥のさえずりを聞いている。ああ、そうそう、言うまでもなく、以前より5歳は年を取ったけど、他に何かあったっけ?