Cross Cultural, Photo

Floral Friday #173


 向こう側に逗子との境となる山を眺めながら、鎌倉の街は本当に小さいなと思う。鵠沼まで行けばその先は平らだというのに、どういうわけか鎌倉の場所は小さな山がいくつもあって、そのひとつひとつの谷戸に人の住む場所とお寺がひしめいている。
 刀と弓の時代にここを攻めるのは大変だろうなと思うのだが、それは観光客の視点であって、住むとなるとスーパーの場所がむしろ気になるだろう。小さな商店だって散在していないわけでもないが、谷戸の狭い道にそって歩けばそれなりの距離になる。一番開けた若宮大通を挟む両脇の広い土地であっても、少し行けば山があるから道が広いわけではない。その上土地は少し傾いている。狭い道を歩いていれば車も通るし、観光客も好き勝手に歩き回る。そういう自分も今は観光客でしかない。
 生活を邪魔してごめんなさいねとか思いながら歩いてはいるが、つい覗き込んだお店に面白い形の器でもあれば立ち止まってすっかり観光客である。横浜から来ているのだから、たとえ用事があろうとたった30分の距離であろうと、のんびり歩く自分は立派な観光客なのだ。
 由比ヶ浜の先に遠く見える相模湾の隅っこを眺めながら、どこか場違いな場所にでもいるような気分になってそんなことを考えた。
 それでも、住んでいるはずの横浜だっていつだって、どこか異邦人のような気分を感じながら生きてきた。生まれた場所をとっくの昔に離れ、今やその生まれた街に行けば道に迷う。長く住んでいる横浜だって、少しブランクがあれば景色も変わる。そうやって住んできたのが自分なのだ。だから横浜だって異邦の土地でもあるし、鎌倉だって地元みたいなものと思うこともある。
 

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #172


 最近若くないなと思う瞬間のひとつが、美しい花を見て写真を撮る自分に気づいた時だ。普段からある意味工夫も何もない花の写真をただ綺麗だなと思って撮っているわけで、その度に若くないなと思うわけではない。それどころか、インスタだろうがXだろうが、花好きの人がちょっとしたテクニックを駆使して驚くほど美しい花の写真をアップしているのを見れば、そこに年齢など関係ないことがよくわかる。花の写真が年寄りの趣味だなんて、誰が言ったのか。
 若くないなと思うのは、ふと「何故この変わり映えしない写真をまたも撮っているのだ?他に撮りたいものなどいくらでもあるだろうに。」と考える自分に気づいた時である。血気盛んな若者だった頃は、知人が貸したカメラに勝手に残したペンキの空き缶とドライバーだけの写真に嫉妬したではないか?雪上車の黒々とした巨大なタイヤをこれでもかとデフォルメした写真を撮って自己満足したのは誰なのだ?風に揺れる野花の中にカメラを沈めてニヤニヤしながらその瞬間を待っていたではないか?
 どうでも良い話ではある。空き缶の写真は今だって撮っているようなものだ。先日はシロアリに穴だらけにされた放置木材の写真を熱心に撮ろうとしていたし、ある程度写真の撮り方のお作法みたいなものが分かってきた今は、むしろ50mmくらいの標準レンズでどうやったら大きさをデフォルメできるかなんて考えたりもする。
 だから若くないなと思う瞬間は、「だって綺麗なんだから写真に撮りたいだろ?」と言い訳する瞬間なのである。若者は言い訳しないものだ。少なくとも、そういうことになっている。現実はそうじゃないけどね。