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(Floral) Friday Fragments #282


 このオオスカシバは、スズメガ(雀蛾)の一種で蜂ではありません。スズメガは、テンガ(天蛾)とも書きますのでなかなかややこしいのですが、要は蝶もその仲間のひとつである蛾の一種であって、当然毒針も持たず、花の蜜を集めて飛び回っています。
 ややこしいついでに書けば、オオスカシバは、大きな透かし翅(はね)だろうと思うのですが、透かし翅を持つスカシバの仲間ではありません。スカシバに似ているがそれより大きなスズメガであって、意外なことに蚕も案外近縁のようです。
 オオスカシバはありふれた蛾ではありますが、最近はあまり見かけなくなったような気がします。幼虫はクチナシなどで育ち、かなりの大食漢であるとのこと。見かけたら駆除されてしまいますので、都会ではあまり見かけなくなったと言うことなのかもしれません。

 こんな見た目ですし、蜜を吸う時はホバリングもしますから、蜂と間違われるのはある意味、仕方ないことではあります。もしかしたら、この見た目が一種の擬態として作用しているのかなと思います。巨大な蜂に見えれば、鳥に襲われる確率も低そうです。
 でも、ふと思うわけです。蛾なのに、どうして羽が透明なんだろうと。透明な羽がありなら、透明な蝶々だっていそうです。
 少し調べてみてわかりました。このオオスカシバ、サナギから蛾として出てきたばかりは、蝶や蛾の仲間らしく、鱗粉に覆われた羽を持っているらしいのです。普通の蛾と違って、ホバリングのために羽をかなり震わせます。そんな小刻みに震える羽根から、あっという間に鱗粉が剥がれるとのこと。自然界は、ほんとうによくできています。

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(Floral) Friday Fragments #281


 このポストは、完全に予約ポストであって、私はここにはいません。

 …と言うのは本当なのですが、今日の話題は「私はここにはいません」です。この「ここ」ってどこなのでしょう。

 哲学的な疑問を投げかけているわけではありません。今、予約ポスト用に記事を書いている7/4(土曜)の自分は、自宅のソファーでMacのキーボードを叩きながら、「ここ」って自宅のソファーってことじゃないよなあ、なんて考えているわけです。きっと予約した7/10(金曜)のBlogページのどこかが「ここ」なのです。

 いや、待てよ。まだ影も形もない7/10(金曜)を想像して、もっと言えばありもしないBlogページという場所を「ここ」と言っている?それって変じゃない?なんて思い始めます。もしかしたら、「私はここにはいません」という言い方が間違っている可能性もあります。ひょっとしたら、「私は7/4(土曜)にここにいました」と言うべきなのかもしれません。

 ここまで書いておいてこう言うのもどうかと思うのですが、英語だったらどうでしょう。”I’m not there.” と書くのでしょう。Google翻訳に訳させると、”I’m not here.”と訳すところですが、明らかに読者がいるので、読者にとっての「そこ」にいないと言わないと混乱するかもしれません。「来週行くよ〜」と言うのに”I will go next week”なんて言ったら、どこに行くのかなあ?会えないのかなと思ってしまうのと似ています。きっと、”I will come”なのです。

 まあ、どうでも良い話ではあります。ここがどこだって結果は同じ。大抵は意味は通じます。それって、大抵は、互いに何とか相手の言うことを理解しようとしているコミュニケーションの努力の結果なのです。その重要性を理解しない輩もいるのは確かですが、そこはそれ、仕方ないのです。たぶん。

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(Floral) Friday Fragments #280


 屋根と外構の痛みが蓄積してきて、そろそろきちんと修繕しないとダメだな、なんてことになってから数年。小手先の修理はしてきたものの、自分では手に負えなくなってきたので、ようやく重い腰を上げて、いつもの業者さんに修繕を依頼した。

 ここ数年続く人手不足と資材不足や価格高騰で、実際に修繕を開始するまでに時間がかかり、後半は梅雨になってしまいそうだなあなんて思っていたら、今年は平年通り梅雨が始まって、すっかり梅雨に被ってしまった。しかも、いつまでも降ったり止んだりの本格的な梅雨。おまけに早くも台風が3個通過。僅かに晴れた隙間を縫って撮ったオシロイバナ(白粉花)の写真がやけに夏っぽく見える。

 幸いにも本格的な雨になる前に屋根の修復を終えられたのでひと安心ではあるが、どうしてこうも雨好きなのかななんて、意味不明な疑問を自分に投げかけてみた。もちろん、意味などない。

 さて、白粉花の受粉がスズメガによるものだといったことがWebに書かれていたりするが、そうしたウンチクが、案外楽しかったりする。今回は、根や種子が生薬として使われることよりも、それがアルカロイド成分だという事に驚かされた。子供の頃、あれほど遊んだ種子は安全だったのか?

 まあ、今更である。

 以前にフランスでほとんど毎日昼食を食べていたカフェテリアが、ある日お詫びのポスターを貼り出したことがある。曰く、前日に提供したパンに微量の麻薬成分が含まれていたとのこと。健康には問題ない僅かな量だが、今後、チェック体制を強化するというのである。その時の同僚の反応はこうである。
「よくやった!道理で会議で良いアイデアがどんどん出てくるわけだ。ブラヴォー!」
まあ、今更とはそういうことである。

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(Floral) Friday Fragments #279


「その400字には、可能性しかない。」

東京都のスタートアップ支援のコピーを見て、ドキッとした。
そうなのだ。
いくらアイデアが良くても、
いくら計画が明確でも、
それは可能性があるというだけで、実践的であるかどうかは別な話。
可能性はいくらでもあるかも知れないが、
それが成功するかどうかは別な話。

つまり
「そのあなたが思うアイデアには、可能性以外の肝心なものがないから、東京都が手伝ってやる。」
そう言っているに違いない。
そんなストレートな言い方しなくても…

で、後で気がついた。
これは、今時の言い方であって、
あなたの思いには必ず可能性があると言っているのだと。
ストレートに課題を言っているのではなく、
「成功する予感しかない」
といった今時の表現なのだ。
ああ、理解できない。時代についていけない。

言葉なんて時代と共に変わるもの。
理解できないからといって文句を言うものでもない。
とは言え、冷静に考えてみれば同じこと。
可能性があるから支援するよと言うのと、
可能性以外がないから支援するよと言うことに、
さして違いは無いのだ。

紫陽花もそろそろ終盤。
伝統的な色合いが梅雨時の少し暗い空に優しく見える。
今週は、大嫌いな書き方をしてみた。
慣れないことは、するものじゃない。

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(Floral) Friday Fragments #278


 ホオノキは、頬の木か何かと思っていたら、「包」の木なのだと最近知った。カシワのように、食べ物を包むのに使われたから包の木。これに食べ物を包んで持ち運ぶだけでなく、蒸し焼きにもするとか。バナナの葉みたいな使われ方か。
 とは言え、漢字で書くときの標準は、「朴の木」なのだそうだ。おや?と思って調べてみたら、木偏に卜という漢字は、木の意味を表すときはホオノキやエノキ、普通に使う時は、素直で飾り気がないことを意味するという。ますます疑問符だらけだ。朴訥(ぼくとつ)とか純朴(じゅんぼく)とかの朴の字が、急にゲシュタルト崩壊をし始める。

 見た目はモクレンにも似た大柄でダイナミックな花と葉だから、予想通りモクレン科。背も高いし、庭木には適さないだろうから、公園にでも行かないと見られない。葉っぱの形は違うが、なんとなくタイサンボク(泰山木)に似ているなと思ったら、同じモクレン科。モクレン好きには気になる木なのだ。

 ちなみに泰山木の原産は中国ではなく、アメリカ。ずっと中国の木だと思っていたのに、アメリカ産だと分かったら、今度はなぜ中国産と思い込んでいたのか気になり始めた。確かに見た目がなんとなく中国南部からインドにかけての仏教伝来に関係ありそうな気もするが、それも単なる偏見というもので、後付けの言い訳でしかない。

 まあ、考えても仕方がない。作りの大きな木は面白い。