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(Floral) Friday Fragments #279


「その400字には、可能性しかない。」

東京都のスタートアップ支援のコピーを見て、ドキッとした。
そうなのだ。
いくらアイデアが良くても、
いくら計画が明確でも、
それは可能性があるというだけで、実践的であるかどうかは別な話。
可能性はいくらでもあるかも知れないが、
それが成功するかどうかは別な話。

つまり
「そのあなたが思うアイデアには、可能性以外の肝心なものがないから、東京都が手伝ってやる。」
そう言っているに違いない。
そんなストレートな言い方しなくても…

で、後で気がついた。
これは、今時の言い方であって、
あなたの思いには必ず可能性があると言っているのだと。
ストレートに課題を言っているのではなく、
「成功する予感しかない」
といった今時の表現なのだ。
ああ、理解できない。時代についていけない。

言葉なんて時代と共に変わるもの。
理解できないからといって文句を言うものでもない。
とは言え、冷静に考えてみれば同じこと。
可能性があるから支援するよと言うのと、
可能性以外がないから支援するよと言うことに、
さして違いは無いのだ。

紫陽花もそろそろ終盤。
伝統的な色合いが梅雨時の少し暗い空に優しく見える。
今週は、大嫌いな書き方をしてみた。
慣れないことは、するものじゃない。

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(Floral) Friday Fragments #278


 ホオノキは、頬の木か何かと思っていたら、「包」の木なのだと最近知った。カシワのように、食べ物を包むのに使われたから包の木。これに食べ物を包んで持ち運ぶだけでなく、蒸し焼きにもするとか。バナナの葉みたいな使われ方か。
 とは言え、漢字で書くときの標準は、「朴の木」なのだそうだ。おや?と思って調べてみたら、木偏に卜という漢字は、木の意味を表すときはホオノキやエノキ、普通に使う時は、素直で飾り気がないことを意味するという。ますます疑問符だらけだ。朴訥(ぼくとつ)とか純朴(じゅんぼく)とかの朴の字が、急にゲシュタルト崩壊をし始める。

 見た目はモクレンにも似た大柄でダイナミックな花と葉だから、予想通りモクレン科。背も高いし、庭木には適さないだろうから、公園にでも行かないと見られない。葉っぱの形は違うが、なんとなくタイサンボク(泰山木)に似ているなと思ったら、同じモクレン科。モクレン好きには気になる木なのだ。

 ちなみに泰山木の原産は中国ではなく、アメリカ。ずっと中国の木だと思っていたのに、アメリカ産だと分かったら、今度はなぜ中国産と思い込んでいたのか気になり始めた。確かに見た目がなんとなく中国南部からインドにかけての仏教伝来に関係ありそうな気もするが、それも単なる偏見というもので、後付けの言い訳でしかない。

 まあ、考えても仕方がない。作りの大きな木は面白い。

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(Floral) Friday Fragments #277


 梅雨前に楽しめてよかった。
 どことなくハイビスカスにも似たタチアオイ。同じアオイ科だから近いのかと思いきや、ハイビスカスはフヨウ族、タチアオイはタチアオイ族なので、分類的にはあまり交流のない遠い親戚くらいの関係だろうか。確かにタチアオイは、すっと天に向かって伸びる芯のしっかりした草のイメージだが、ハイビスカスはあちこちに枝を延ばす木質のイメージ。花の咲き方が多少似ているだけで、咲いていない時は別物ではある。

 そんなタチアオイだが、梅雨葵(つゆあおい)という別名を聞くと、俄然、イメージが変わってくる。本来は6月の半ばくらいから7月下旬にかけて、徐々に下から花咲いて行く。梅雨が始まると同時に咲き始めて、てっぺんの花が咲く頃には梅雨が明けている。だから梅雨葵。そんな季節感だが、最近は5月の中旬には咲き始めてしまうような気がしないでもない。気温が早く高くなってくるのが原因なのだろうか。
 それでも、この呼び方が静かで良い。漢字よりもひらがなの柔らかさが似合っている。つゆあおい。梅雨明けの青空に映える真っ赤なタチアオイも悪くはないが、つゆあおいの静けさも悪くない。

 ハイビスカスのような亜熱帯のイメージのタチアオイと梅雨の肌寒い朝のつゆあおい。なんて、対比を考えていると、頭の片隅の理性がオイオイと割り込んできた。ハイビスカスは冬の花。なんとなく南国のイメージを持ってしまうが、必ずしもそうではない。
 あー、オクラが食べたくなってきた。まだ、もう少しかかるなあ。

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(Floral) Friday Fragments #276


 今更この写真?そう言われそうですが、出しそびれていました。今週は、どうかご容赦ください。
 ちなみに撮った理由は蜂です。えっ、蜂なの?そう言われそうですが、中央の左寄りにちゃんと飛んでいます。何度も言いますが、今週は、どうかご容赦ください。

 昔は、古い300mmマクロ・レンズなんてものを持ち出して、こんな写真をよく撮っていました。300mmですからもう少し蜂に寄っていましたし、そんなレンズ特性を活かして、柔らかな光を捉えるようにしていました。でも、最近は、そんな教科書通りの写真を撮ってもつまらないと思うようになりましたし、何よりも、肩凝りを覚悟で持ち歩く元気がありません。フルサイズセンサー用の300mmなんて、ご飯食べるのにスコップ持ち出すようなものです。今時のスマホなんて、小さなコップいっぱいの水より軽いのです。

 えっ?分かっています。言い訳です。ウエイトトレーニングだと思って、持ち歩けば良いのです。鍛えるより先に、肩凝って腕が上がらなくなりそうですが。

 で、蜂は見つかりました?

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(Floral) Friday Fragments #275


 たびたび書いているのだが、今年はなんだか季節の進みが早い気がする。それとも自分が速度についていけてないのか。
 バラももう終わりだし、最近はもうずっと雨降りで梅雨みたいだし、紫陽花もそろそろ満開だし。それって6月中旬じゃなかったかなあ。なんて思ったりもする。
 で、よくよく調べてみたら、確かにバラの時期は1週間くらい早いし、紫陽花も同じように1週くらい早めの感じではあるのだが、せいぜいその程度の差でしかないらしいのだ。えっ?もしかして、時間についていけてない?なんて心配になってきた。

 まあ、そんなことは個人的なことで、ここに書く話じゃない。そういえば同僚が会社を去る日は今月末だったな、なんて急に思い出すのだが、極めて個人的な話じゃないか。やれやれ。
 決まって最後はひとり反省会みたいなことになっている。

 年齢が上がるにつれて、経過する時間がどんどん速くなると聞くが、それって実は間違いなのじゃないかと思い始めた。経過する時間が速くなるんじゃなくて、自分の時間が遅くなっているのかも知れない。自分の時計がゆっくりしか動かないから、周囲の時間がどんどん速く感じているのだ。きっとそうだ。そうに違いない。困ったことになった。
 どうやったって、自分時計の速度を速める事などできない。

 というわけで、やれることはたったひとつ。現実を受け入れよ。それだけだ。
 がっかりする事などない。悲観的な気分になろうが、あっという間に時間が過ぎて行こうが、自分の時計の速度が遅いからと言って、世界は変わらない。