Cross Cultural, Photo

Floral Friday #214


ハクモクレンが雨に濡れている。普段は焦茶色にくすんだ枝も、雨に現れて赤く輝き、降り頻る雨が飛び回る小さな虫のように春をつげる。落ちたがらない雨粒はようやくその赤い枝にしがみつき、煙った空気の向こうで自由奔放な紅梅が雨を楽しむ。ホッとする春がある。

The white magnolia tree is wet with rain. Its branches, usually a dull dark brown, shine red by washing out in the rain, and the drizzling rain heralds spring like little bugs flying around. The raindrops that don’t want to fall finally cling to the red branches, and on the other side of the foggy air, the free-spirited red plum blossoms enjoy the rain. That’s the spring that makes you feel relieved.

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #213


 ブルビネラという名前だそうだ。フラワーアレンジなどに使われるらしいが、これまで花屋さんでは気がついたことがなかった。調べたら真っ先にニュージーランド原産と出てきたが、それは同じ種の仲間の話で、どうやらこちらは南アフリカ原産。この写真は南房総で撮ったもので、やっぱりあのあたりは温暖なのだろうなんて考えていたら、寒さには強いのだと書いてあった。ひとつ勉強になったななんて思いつつも、一方で、きっと忘れてしまうんだろうなとも思う。ただ、ちょっとだけ期待が持てるのは、別名の方である。African Cat’s Tail、猫のしっぽ。こちらは覚えていられそうである。

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #212


 今日のポストは完全に予約投稿であって、このテキストを書いているのは実のところ6日も前の3月8日だったりする。写真はさらに一週間前なので、本当の時間は自分でもよくわからない感じになっている。予定がたくさんあるのは良いことなのだが、皺寄せも大きいので、「やることないから本でも読もうかな」なんて考えるくらいがちょうど良い。もう、積読が多すぎて本を買う気も起きない訳で、現代社会は忙しすぎるんじゃないかなんて、過去も知らずに言いたくなる。
 先日、フランス在住のフランス人と昔話をしていたら、しみじみと夏の湿気が懐かしいと言う。前の仕事がひと段落して今は一緒に仕事をすることも無くなったが、そのフランス人が言うには、あの頃は良い時代だったのだそうだ。曰く、
 雨が降り続く長い冬を抜けてようやく天候が回復してきた4月から5月にお前がフランスに来て、一週間もかけて議論を重ね、その議論に従って翌年までの計画を検討し、7月の頭に俺が東京に行って計画を確定させる。そうやって前に進めてきたから、抜けるような青空の冬の東京も、梅や桜が咲く春の風景も、赤く染まる秋の紅葉も知らない。記憶に残っているのは、馬鹿みたいに高温多湿の暗い「梅雨」だけだ。「梅雨」という単語も覚えたし、「梅雨」のクレイジーな蒸し暑さも、次に進めるというシグナルだった。だから、ホテルに戻ってシャワーを浴びても一向にさっぱりしないベトベトした梅雨が懐かしいと。
 はい、すみません。思わず謝りたくなる日程だったと思い出して、梅も桜も見たことないの?と確認する言葉を思わず飲み込んだ。フランスにだってアーモンドやプラムの木もたくさんあるし、桜並木もない訳じゃない。それでもたまには日程を変えてもよかったかななんて今更思っている。

Bonne journée, Photo

magnolia


 公園のフェンスの隙間から覗き込んだ先に、春らしい暖かく湿った芝生が緑色に輝き、紫木蓮の巨木が枝いっぱいに花をつけていた。その下に行って肺の奥まで空気を吸い込みたかったが、公園の入り口は少し離れた場所にあった。誰でも入れる公園なのに、どこかもどかしさを感じる朝だった。

 紫木蓮(シモクレン)は、フランス語ではマニョーリア。ヨーロッパでも日本と同様に公園や庭に植えられているありふれた観賞用の花木であって、様々なところで広く愛されている。あまりに普通に植えられているからヨーロッパ原産なのかと思いきや、フランス人に聞くと日本原産じゃないの?なんて聞き返される。実際のところ、中国南部原産である。そう言われてみれば、中国の伝統的な絵などにも描かれていそうではある。花弁は大きく、泰山木のような南の木を感じさせる。泰山木も木蓮の仲間であるので、そうイメージするのかもしれない。花が終わった後の実も泰山木と木蓮は似た形をしている。
 そんな紫木蓮だが、個人的には「詩木蓮」と書きたいなと思う時がある。うまく説明できないが、春の花であるはずの木蓮を見ていて、どこか涼しげな初夏や秋の詩情を感じることがあるのである。泰山木と木蓮の関係の様に、何か理由があるのだと思うのだが、どうしても理由が見つからない。

 写真は、何年か前の3月半ばにフランス北西部で撮ったものである。

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Floral Friday #211


(日本語は下に)
Come to think of it, I wonder when I started to feel a sense of elegance when I see red and white plum blossoms. When it was no big deal to carry my skis and visit ski resorts in northen and then middle Japan, I used to take naps on benches on the platform at Otari Village Station at Nagano in the middle of winter, but I would freeze to death if I did it now. I should be aware that I am no longer young, since I have come to take a break by viewing the warm plum blossoms. Just as spring comes after repeated cycles of warm and cold weather, the passage of time changes the way I see things.

 とうとう3月も最終週以外は完全には空いていない状況になってしまった。隙間時間なんてたっぷりあるのだが、何かしらひとつでもやることが入っていると、その日はなんとなく他に割り当てたくない気分になる。その昔は年度末の忙しさみたいな話も聞こえてきたが、今の仕事は会計年度=カレンダーだから、3月が特段忙しい訳でもない。スタッドレスタイヤを交換するとか、植え替えをするとか、そんなちょっとした予定が入っているだけである。
 ある程度の年齢になると「キョウヨウ」とか「キョウイク」が大事だそうで、つまりは「今日、用事がある」とか「今日、行くところがある」とかが健康を保つらしい。そんな事を気にするような年齢でもないが、知人の中にはそれなりに高齢になっている人もいて、「あっという間だよ」なんて脅されている。ちょっと前までは、そんな脅しも愛嬌みたいなものだったが、最近はそうなのかと考えないこともない。そんなわけで、用事が入っているのは良いことなのだろう。
 そういえば、なんて思うのである。いつから紅梅白梅を見て風情を感じるようになったのかなと。スキーを担いで東北と中部のスキー場を梯子することも何でもなかった頃は、真冬の小谷村の駅のホームにあるベンチで昼寝したこともあったが、今なら凍死しそうである。暖かな梅の花見で一息つくようになったのだから、若くはないと自覚すべきなのだろう。暖かくなったり寒くなったりを繰り返しながら春になるように、時間が過ぎて行くことで、またひとつ、見えるものが違ってくるのだ。