Art, Bonne journée

il me semble que j’entre dans un rêve

Je ne sais pas si vous êtes comme moi, mais quand je pénètre dans ces serres et que je vois ces plantes étranges des pays exotiques, il me semble que j’entre dans un rêve. 
あなたも同じかどうかわかりませんが、温室でエキゾチックな国からの植物を見ていると、夢の中を歩いているような気がします。

Henri Julien Félix Rousseau
アンリ・ルソー

 元祖ヘタウマなどと誉めているのか貶しているのか分からないことも言われるルソーだが、間違いなく夢の中でも歩いているような独特の世界観を見せてくれる。やれ立体感がないとか、人間の形が変だとか、何を描いているのか分からないとか、そういうどう考えてもまともじゃない絵を日曜日の趣味みたいに描き、仕事といえば税関職員だったなんて、歩くアバンギャルドだ。今だったら絵描きというよりイラストレーターに近い感じもするが、実際のところ商用などでは全くない絵だったから画家以外の何者でもない。
 そのアンリルソーを誰もが認めたのは死後であって、早い段階から支持者はいたものの、評価される類の絵などではなかったらしい。今となっては歴史に残る作品となった「眠るジプシー女」は売れない困窮の中で描いたと言われているし、売れないから絵で支払ったという話もある。そもそも絵で支払ったなんて困窮画家の典型的な話のようだが、受け取った側はキャンバスに価値があって絵にはいらなかったとか。
 ルソーといえばジャングルをテーマにした作品も多く、その熱帯の森をどこで見たのかということも話題となる。最近の研究では若い頃に軍隊で行ったメキシコという説は否定され、パリ植物園ということだったらしい。上の言葉はそのことを語っているのだろうか。
 ルソーの集大成といえば、言わずと知れた「夢」である。このジャングルの層が重なったような絵と「蛇使いの女」の印象がよほど強かったのか、ルソーと言うとどこかジャングルに蛇がいるようなそんなイメージが湧いてくる。実際にはそんな絵はないと思うのだが、頭の中に思い浮かぶルソーがそれなのである。
 冒頭の写真は、そんなイメージを狙って撮ってみた。と言うより、光が熱帯的だななんて思っていたらカナヘビがやってきたから、これはラッキーと撮ってみた写真である。


パウル・クレーの言葉
Le génie, c’est l’erreur dans le système.

ポール・ゴーガンの言葉
L’artiste ne doit pas copier la nature

Art, Bonne journée

L’artiste ne doit pas copier la nature

L’artiste ne doit pas copier la nature mais prendre les éléments de la nature et créer un nouvel élément.
アーティストは自然を映しとるのではなく、自然の要素を取り込んで、新しい要素を作成するのです。

Paul Gauguin
ポール・ゴーガン

 ありきたりな言葉にも聞こえるが、これをゴーガンが言うと説得力のある強い言葉にも聞こえるのが面白い。実際のところ、タヒチやブルターニュの自然を大胆に描いた作家のようで、意外に生物を描きこんでいないのが、ゴーガンでもある。
 ゴーガンの絵は、明確に印象派を否定しているかのようである。それは西洋絵画に詳しくなくても一目見ればわかる。大胆で強い筆の運び、色彩を否定するかのような深く沈んだ色、その風景の印象よりも内省的な風景を重視するかのような題材。印象派の最後に属しながらポスト印象派に向かって行った時代のようなものがあったのだろうか。今ではその絵の価値を評価されながらも画家という人間としては否定的な見方も多いゴーガンであり、単純に褒め称えて良いものか躊躇はするが、自然から新たな要素を見出して表現してきたのだろうことは否定できない。
 ブルターニュに移ったばかりに描いた素朴な絵を見て、その後にタヒチからブルターニュに戻った後に描いたタヒチの絵を見れば、その間のタヒチの少女たちとの関係を考えざるを得なくなる。もはやそれを差し置いて評価はできない。それでも上の言葉が表面的なものではないのだろうと考えられるのは、やはり絵の力なのである。

 Paul Gauguinの日本語表記は、近年ポール・ゴーギャンからポール・ゴーガンに変わってきたように思います。今回は、少し本来の発音に近いゴーガンとしました。また、冒頭の写真はタヒチの海岸やブルターニュの田舎ではなく、先島諸島のものです。ブルターニュの写真もありましたが、より楽園のイメージに近いと感じたこちらの写真を使いました。

Art, Bonne journée

Le génie

Le génie, c’est l’erreur dans le système.
天才とは、システムのエラーである。

Paul Klee
パウル・クレー

 ソフトウェア技術者が聞いたら勘違いして大喜びしそうなこの言葉は、残念なことにコンピュータとはまったく関係ない。パウル・クレーが亡くなったのは1940年の6月の事である。ソフトウェアの原型を作ったアラン・チューリングが若くして亡くなったのは1954年だから、関係ないと断言できる。ソフトウェアがシステムレベルとなるのはずっと後の事だ。
 この言葉がどんな文脈で発せられたのかは把握していない。原典にもあたれていない。だから本当にパウル・クレーの言葉かどうかも分からない。きっとあちこちに書いてあるからパウル・クレーの言葉なんだろうという程度である。だから誤解している可能性がある事を承知で書くが、ここでいう意味は日本語にはなかなか訳しにくい「系」なのだろうと思う。
 平たく言えば、「系」とは様々なものの組み合わせで出来ている仕組みのようなものだ。だから、社会そのものでもいいしスーパーマーケットの物流網を想像したって良い。その仕組みにエラーがあった時にそれを天才だと言っているのかなと思う。まずこれをやって、次にこれをやって、そうしたら誰かにその結果を渡して、なんていう手順と実際に行う仕組みは、物事をスムーズに行うための仕組みである。それがあるから失敗なく短時間で仕事が終えられる。それなのに、こんなことやめてこっちの方を先にやったら?などと一日がかりの仕事を30分で終えてしまうようなやつは、仕組みを壊すエラーであると同時に天才というものだ。
 そんな事を言っているのかどうか知らないが、あの他の誰にも引けないような線で天使を描いたパウル・クレーがどんなことを考えてこれを言ったのか興味深い。忘れっぽい天使は、誰に才能を与えたのかすら覚えていないのかも知れないが、その感性に満ちた才能とシステム・エラーは関連しているのだろう。

 Paul Kleeの日本語表記は、ほぼパウル・クレーに統一されているようですので、これに従いました。

Art, Bonne journée, Cross Cultural

文学と絵画とブルターニュ

 アンリ・モレの「ブルターニュの断崖」やポール・ゴーガンの「二人のブルトン人」を見たかったら、地の果てなどと揶揄されるブルターニュの西の隅まで出向かなければならない。所蔵するポン・タヴェン美術館は、パリからは相当遠い場所にある。だからフランスの西の果てと言われるくらいは仕方ない。だが地の果ては少々言い過ぎだろうと思う。TGVでブレストまで行ってレンタカーで南下してもいいし、そもそもバカンスを過ごすような場所なのだから、遠くからでも時間をかけて辿り着けばよいのだ。もっとも、ゴーガンのポンタヴェン派としての代表作である「美しきアンジュール」も「黄色いキリストのある自画像」もそこにはない。あるのはオルセー美術館だから、わざわざ行くまでもないと言われればそれまでではある。
 でも、行かなければわからないこともある。川のせせらぎ(下の写真)も、どこまでも透明な海も、行って体感しなければわからないように、アンリ・モレの描き出す色とりどりのブルターニュの断崖は、パリにはない。
 もっとも「黄色いキリストのある自画像」ですら日本にいては見られない。スマホで見ても大きさも色もタッチも違うから、分かるのは知識としてのゴーガンでしかない。
 それでも絵はまだ良いほうかもしれない。どんなにお金を出そうが、どんなに時間をかけようが、もはやショパンが弾くピアノは確かめようがない。ワグナーが恭しく指揮をとるワルキューレが聞こえる事もない。ひょっとしたらそれよりもずっと出来が良いオーケストラで、ずっと洗練された指揮の下、当時以上の再現演奏を聴くことが出来ているのかもしれない事が救いではあるが、絵とは違ってオリジナルはもうないのだ。
 その点、文学はありがたい。書き手が意図したそのままをいつでも手に出来ている可能性が高い。小さな誤りが訂正されていたり仮名遣いが現代表示に訂正されていたりすることもあるかも知れないが、模写やコピーとは違って劣化しないのだ。それがたとえkindleであろうが、そこで読む宮沢賢治は宮沢賢治そのものだ。
 いや翻訳ものはどうするんだとか、絵なら世界共通だとか、そんな指摘はあるだろうが、それはそれ、大目に見ていただきたい。文学の普遍的なアドバンテージはその劣化のない作品を手にすることの喜びなのである。
 ありがたいことにブルターニュ大公城にあるターナーの「ナント」は、まもなく国立西洋美術館で見られるらしい。3/18から始まる「憧憬の地ブルターニュ」という企画展のリストに確かにあった。熱烈なラグビーファンでターナー好きの方には残念だが、日本戦を応援に行ったついでにターナーの「ナント」は見られないのかもしれない。いや、その頃にはブルターニュ大公城の美術館に戻っているのか?

 トップの絵は「ダイヤのエースを持ついかさま師」などで知られるジョルジュ・ド・ラ・トゥールの代表作のひとつ「聖誕」。
 地元の人はこれくらいしかいい絵がないと言って残念がるが、これを見るために行く人もいるレンヌ美術館所蔵品。他にも佳作がたくさん。

アヴァン川のせせらぎ
Art

Kin no Kokoro

20130501-0062013年ゴールデンウィークの直前、六本木ヒルズが開業10周年を迎えたそうだ。10周年のマークは、ジャン=ミシェル・オトニエル(Jean-Michel Othoniel)の作品に着想を得たという。この「着想を得」たという表現を安易に使うあたりに六本木ヒルズらしさを感じるのは、偏ったイメージかそれとも違うのか。

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