A pile of stones, a megalith, an ancient relic, a place of prayer, a part of the universe – whatsoever, it’s there, next to you.
石積み、巨石、古代の遺物、祈りの場、宇宙の一部、何であれ、それはすぐそこにある。
A Part of Mostly Monochrome Monday
capturing in prose

引き続き鎌倉の写真なのだが、この写真のどこが鎌倉かと考えれば、この雰囲気なのかも知れない。いや、どこで撮ったってこんな写真になるでしょうと冷静な頭が反論はしているが、これが鎌倉なのである。
今やほとんど観光でしか行かなくなったとはいえ、頭のどこかに観光地とは異なる鎌倉のイメージというものがあって、横浜から短いトンネルを抜けたら全く違う場所に出るものだと思っているらしい。それは観光で行く別な場所とかいうのとは全く違っているものなのであって、日用品を買いに行く近所のスーパーに対する深緑の公園のようなものだし、大船イタトマJrが閉店したというのと横浜のよく行くレストランがなくなってしまったというのが似たようで全然違う、ということでもある。
先日初めて気がついたのだが、大船駅は、鎌倉市大船と横浜市栄区笠間の間にある。それなのに、大船駅は立派な鎌倉なのだ。だからこの写真も誰がなんと言おうと鎌倉なのだ。そんなイメージが頭の中の鎌倉というエリアを構成している。でも、それって何なのだろう。答えはない。

向こう側に逗子との境となる山を眺めながら、鎌倉の街は本当に小さいなと思う。鵠沼まで行けばその先は平らだというのに、どういうわけか鎌倉の場所は小さな山がいくつもあって、そのひとつひとつの谷戸に人の住む場所とお寺がひしめいている。
刀と弓の時代にここを攻めるのは大変だろうなと思うのだが、それは観光客の視点であって、住むとなるとスーパーの場所がむしろ気になるだろう。小さな商店だって散在していないわけでもないが、谷戸の狭い道にそって歩けばそれなりの距離になる。一番開けた若宮大通を挟む両脇の広い土地であっても、少し行けば山があるから道が広いわけではない。その上土地は少し傾いている。狭い道を歩いていれば車も通るし、観光客も好き勝手に歩き回る。そういう自分も今は観光客でしかない。
生活を邪魔してごめんなさいねとか思いながら歩いてはいるが、つい覗き込んだお店に面白い形の器でもあれば立ち止まってすっかり観光客である。横浜から来ているのだから、たとえ用事があろうとたった30分の距離であろうと、のんびり歩く自分は立派な観光客なのだ。
由比ヶ浜の先に遠く見える相模湾の隅っこを眺めながら、どこか場違いな場所にでもいるような気分になってそんなことを考えた。
それでも、住んでいるはずの横浜だっていつだって、どこか異邦人のような気分を感じながら生きてきた。生まれた場所をとっくの昔に離れ、今やその生まれた街に行けば道に迷う。長く住んでいる横浜だって、少しブランクがあれば景色も変わる。そうやって住んできたのが自分なのだ。だから横浜だって異邦の土地でもあるし、鎌倉だって地元みたいなものと思うこともある。