Category: Bonne journée
土の感触

あるblogで土壌について書かれた本を紹介しているのを見て、ふと、最近は土に触れていないなと思い出した。まるで触っていないわけではない。先月もシクラメンを慌てて植え替えたし、少しずつ冬らしさを感じるようになってきた森を散策して、小学生のようにドングリを拾ってみることもある。だが、だからといって地面に直に触れる感覚はない。
かつて住んでいた北関東のある街で、いつだったか少し深く地面を掘ったことがある。全く理由は思い出せないが、大きめの木を植え替えるのでも手伝ったのか、あるいは別な理由だったのか、その掘った穴はそれなりに深いものだった。黒々としてずっしりと重い湿った土は、スコップに片足をかけてもなかなかそれを沈める事が出来ないほどに硬く締まっていた。それでも何度も掘り続けるうちに、やがて大地に穴が穿たれ、人が入れるほどになり、不意にその黄色の地層は現れた。その黄色はくっきりと黄色であって、それまでの黒い土とは明らかに違っていた。いわゆる関東ローム層である。
普通の黒土を少しくらい掘った程度では見ることのない土は、掘り続けてみて初めて出会う黄色であって、いささか驚きを感じるほどに異なった風合いである。湿っていれば時に鮮やかな黄色となり、乾けば軽石のようでもある。火山が作り出したその層は、だが、普段に見ることはない。
コンクリートで固められた街への嫌悪をステレオタイプに吐き捨てることは難しくない。時に大地に触れたいと思うこと自体は悪い感覚でもない。その一方で、土壌をどうこう思う軽々しさには、どこかで安易な思考停止がつきまとう。大地に触れる感覚がないのは、都会の生活からはもはや逃れられない現実と裏腹の関係にあるのだろう。都会とはそんなものなのだ。
新品の傘

予報より幾分早く本降りとなった雨が傘を叩く音をぼんやりと聴きながら、赤に変わったばかりの信号に足急ぐ。確かにいつもの気象予報士が自信ありげに午後の驟雨を語ってはいたが、短時間だと添えてはいなかったかと頭に中で独り言ちた。言ったところで何も変わりはしない。そんなことはわかっている。
特徴のないモノトーンの音を受け止めるその傘は、雨続きの10月の終わりに手に入れた大型の割には持ち歩くのにあまり気にならない三段折りのカーボン骨のもので、買ってからというものずっと家で好天が終わるのを待っていたという代物だった。要は、重い傘に肩がこるのが嫌で、とうとう軽い傘を手に入れた途端、雨はピタッと降らなくなったのだ。ようやく本領発揮というところだが、やっぱり雨は降らないほうがいい。特に用事があってどうしても外を歩かないければならないとなると、傲慢な人間の本性が出る。晴れが続けば雨を待ち、雨が続けば晴れを期待するというものである。
この傘、200グラムという軽量でありながら、普通の傘以上に大きさがある。三段折りの一番外側は開く際に手で広げてやる必要があるが、普段から持ち歩ける軽さは肩こり性の人間にはありがたい。多少、風に弱いところがあっても強風でなければ大丈夫だから、バッグに入れておく御守りみたいなものである。
そこで思うのである。いや、待てよと。御守りとはなんだろう。降られるのが心配だから忍ばせておくというからには、雨にあたるのが心底困るということか?ちょっとした神頼みが必要だというなら、傘など持っていないフランス人の仕事仲間は、毎日危険を犯してまで傘を持たずにいるというのか?そういえば、遠く雷鳴を聴きながらガラス張りの会議室から外を眺めれば、バケツをひっくり返したような真っ白な雨の中を襟を立てて小走り建物に入ってくる彼の姿に呆れたこともあった。ずぶ濡れのまま仕事をしたのか、それとも濡れなかったのか。あるいは御守りなど必要のない強烈なパワーを持っているとでも言うのか。そうだ。フランス人は傘など持たないのだ。御守りなど信じないのだ。雨の多い7月の東京に、折りたたみ傘も持たずに来るではないか。
そう思うのは、だが、単なる偏見である。フランス人は傘を持たないなど誰が言ったのか。
「雨降りに郊外のハイパーマーケットに行く時は、もちろん傘を持っていく。だって、駐車場が広くて車にたどり着くまでに濡れちゃうじゃないか。」
そんなものである。フランス人も必要な時には傘を使うのだと主張するその目には、偏見を正そうとする意思が微かに感じられたのだった。
この文章は少し前に書きかけたボツ原稿を校正、再編集したものである。
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